ワールドカップ関連のメール・コメントがいくつか届いている。
ジュセリーノは現在行われている南アフリカ大会の結果を予知夢で得たものだとして
1位ブラジル2位ドイツ3位フランス4位イングランドと公表していた。
それがいつのまにか自身のHPで 1 GERMANY, 2 FRANCE , 3 ITALY; 4 BRAZIL に変更している。
どちらにしてもハズレであることに違いはないのだが。
まあそれはどうでもいい。
自分が笑ったのは、掲載されていた画像(手紙)のほうであった。
1970年、ジュセリーノがFIFAに送ったといっている手紙の画像である。[註1]
1974年大会からの上位国の名前がズラズラと書き並べてある。
何度も名前の出てくる「Allemagne」とはフランス語でドイツのこと。(ポルトガル語では『Alemanha』になる)
しかし、ワールドカップの歴史的にはこれは大間違いである。何故かというと1990年のイタリア大会まで、エントリーしていたのは東西ドイツの二ヶ国があったからだ。
もし、本当に1970年にジュセリーノ少年が予知夢でワールドカップの結果を予知夢で得たというのならば、絶対にここは「Allemagne de l'Ouest」(西ドイツ)であるとか「Allemagne de l'Est」(東ドイツ)のように書いていないのはおかしなことだ。
ほかにも1998年大会の三位には1970年当時まだユーゴから分離独立していないクロアチア(CROATIA)の名前があったりと、それだけで世界歴史の間違い探しクイズの様相を呈している。
これだけ挙げればもうはっきりとするだろう。
つまり、これもまた(やっぱり!)ジュセリーノが後から捏造したものだという何よりの証拠となってしまうのだ。
それにしても、ジュセリーノにはこういう単純なミスというか大ボケばかりかますよねぇ。
なにもそんなに笑わせてくれなくてもいいのにさ。
2010.06.26
[註1]HPに出してある手紙画像は計4枚(後日2枚追加して6枚になった)。これはその二枚目である。(フランス語で書かれた1970年FIFA宛のものと、1999年にドイツサッカー協会に対して送ったといっているものが2枚である)。
フランス語のほうだが、多少なりともフランス語の読める人間が見たら思わず噴き出したくなるような稚拙な間違いが非常に多い。まあジュセリーノはこれを「10歳の時に書いたもの」としているので、もし完璧なフランス語で書かれていたなら逆に引いてしまうか。でも10歳児のふりをして偽造の手紙を書いているジュセリーノの姿を想像してしまうと自分はもうダメだね。笑うしかないでしょう。
新たに追加されたドイツサッカー協会(DEUTSCHE FUSSBALL BUND)宛の二枚の手紙も一見してヘンだ。何人かの人からも指摘が来ている。
http://www.jucelinodaluz.com.br/IMG/federacao_alema.jpg
http://www.jucelinodaluz.com.br/IMG/federacao_alema2.jpg
「(前略)1970年の手紙よりも紙が(経年変化で)古びているではないか。誰が見てもおかしいとすぐわかるはず(後略)」(「TOTO」さん)
なるほど、確かに。
Till 1990, There were Two German countries. Both of west and east.
They says that 10years-old boy Jucelino sent the letter to FIFA at 1970.
But this letter looks like a recentlies, written by whom knows Two German countries will unite after years.
WHY? (what a kind of laughing it is!)
And CROATIA was independent of the United nations of Yugoslavia at 1990.
HaHaHa
【追記】
カラドさんという方、その他のかたから「(たま出版の)ニラサワ氏は掲示板でジュセリーノの予想はドイツ優勝だと発言しています。しかし、同氏がソースとしている未来からの警告IIを見ると2010年南ア大会の優勝国としてジュセリーノがあげたのはドイツではなくてブラジルになっています」というメールが届いている。
こういうはなしを耳にすると「相変わらず困ったじいさんやのう」という感じ。
ちなみにその掲示板におけるニラサワ(敬称略)の書込みだが
投稿者:ニラサワ
日本チームの今野選手がデンマーク戦当日に、遠藤選手が得点をあげる夢を見たといいます。その日、予知の通りフリーキックを得た遠藤選手は見事ゴールを決めました。
さて今日の対戦はどうなるのでしょう。
「続、未来からの警告」にある今年のWカップ勝者は、ドイツということになるようです。
一方、参議院選挙の行方について予想してほしいと週刊誌の取材を受けました。
日本がWカップの決勝トーナメントに残ると、浮動票が減るので、民主党が不利になると言っておきました。SPAにコメントが出ると思います。
それにしても15年前の政界再編時に弊社で出版した「ユートピア経済学」や「友愛主義宣言」の中に、「第三の道」など、総理のキーワードが既に書かれていることにいまさらながら驚きます。
2010/06/29(Tue) 11:27 [14591]
となっている。
このニラサワという人の困ったところは(いっぱいあるけれどね)なんといっても平気で嘘をつくこととまともな仕事をしないことだと思う。この掲示板の書込みにはそのふたつの悪いところがそのまま出ている。
『続・未来からの警告』という本のP304を見ると、ジュセリーノによる2010年サッカーWC南ア大会の予知というものが掲載されている。
ジュセリーノの警告の手紙というのは、ブラジルのサッカー協会に対してのもので、要するに、フェリペ監督(2002大会ブラジル優勝のときの監督)を復帰させないとドイツ大会(2006)も南ア大会も優勝できないぞと警告している体裁をとっている。
つまり、この本で紹介されているジュセリーノの2010年の予想とは、フィリペ監督復帰の場合の順位の予想だということになる。
それが「ブラジル優勝 二位ドイツ 三位フランス 四位イングランド」ということになる。
それ以外にジュセリーノがサッカーワールドカップの予知(ただの予想だが)について書かれている個所はない。
この本のどこを探ししても「今年のWカップ勝者は、ドイツということになるようです」と書かれたところはないのだ。
もしかして、ニラサワ(敬称略)は「ブラジルの監督はフィリペでないのでドイツが繰り上がり優勝」みたいな勝手な論理のすり替えをおこなったのかもしれないが。
しかし、仮にもニラサワという人は「続・未来からの警告」という本の監修者である。その監修者が自分が手がけた本の内容もよく省みずにこのような嘘を平気で吐くことに対しては批判されて指弾されるのもしかるべきことだと私は思う。
だから自分はここでニラサワという人に対して「もういい加減ジュセリーノについて発言するのはやめろ」と何度となく言っているのだが。(つづく)
2010.06.29
2
それと同じくらいに皆が疑問を呈しているのは
日本がWカップの決勝トーナメントに残ると、浮動票が減るので、民主党が不利になると言っておきました。の個所だった。
確かに一見すると実に不思議な論理である。「どういうことなのか説明してください」みたいなことを書いてきた人も何人かいるのだが、そんなのこの自分にわかるはずがない。それこそ「本人に訊けよ」としか言いようがない。
もっとも推測ならばいくらでも可能である。ある人は「風が吹けばオケ屋が儲かるみたいなものでおそらく何か論理の踊り場をツーステップくらい省略している」と書いてきている。そんな感じもしなくもない。
しかし、自分はこれはニラサワ(敬称略)のなにかの聞き違えというか勘違いがもとになっているような気がしてならない。
たとえば、投票日当日、雨が降るなど天気が悪くなったり、あるいはほかに投票行動の妨げになるような大きなイベントがあったりすると投票率が下がり、確固たる組織票を有している政党が有利になり、浮動票頼みの大政党が不利になるというようなことは言われる。また、参院選の投票日は実はワールドカップの決勝のある日でもある。実際に、もし日本がワールドカップで決勝に勝ち進むと参院選の投票率に大きく影響するだろうというような、杞憂というべきか恐るべき楽観論というべきなのかはよくわからないが、そのようなことを言っていたテレビ番組はあったようなのである。
もしかして、ニラサワはこれを聞き違いしたのではないだろうか。決勝と決勝トーナメントを聞き違えるとか。
まあ民主党が浮動票に支えられている政党なのかということについては単純にはいえないとは思うが。
まあでもここでこんなことをいくら書いてみても何の意味も持たないのは承知のうえである。とにかく、ニラサワという人の発言についていくら深く考えてもそれはムダなことだからだ。この人のこういう発言は単純に笑いものにするのがもっとも正しい対処法だろう。質問をうけた以上はいくばくかの義務もあるだろうということで自分は書いてみたのだけれども。
2010.06.30
3
案の定というのかなんというのか…
「ジュセリーノの予言は成就寸前。世界はそれを目撃するでしょう」とか「あなたもいい加減この事実を認めてジュセリーノさんに謝罪すべき」といったコメントが舞いこんできている状態である。
それと呼応しているかのようにして「2ちゃんねる」でジュセリーノ擁護派、信者としかいいようのない書込みがつづいているという。
ため息が出てくるわ。
この世には本当にアタマの悪い人間(日本人ってことだが)がいっぱいいるもんだなぁと。
そもそもジュセリーノの先行して公表された予言というものは非常に数が多い。
その中のほんのちょびっとだけがたまに当たったように見えてしまうだけで、外れたもののほうが、そうね大体だがその100倍くらいはある。
実はジュセリーノによるサッカーワールドカップの予言というものもブラジルで公表されたものだけでも5つぐらいのバージョンが確認されている。
2006年大会に関する予言にしても、最初にジュセリーノは「ブラジルである」としていたのを二転三転したあとで「イタリア」にして、それのことを「当たった」と言っているだけだった。
そのあとになってからジュセリーノがこのいくつかのあるワールドカップ予言の、ブラジルが優勝するかしないかの点で異なる二種類の予言を結びつけるために言い出したのが「監督がフェリペならば」の条件つきの予言だった。まあそういうことにしてしまったのである。
ジュセリーノがHPで公表しているFIFA宛の手紙というのも、よく見れば今までジュセリーノが思いつくままに公表していたワールドカップ関連の予言と見比べると矛盾だらけである。(最大のポカは西ドイツとすべきところをドイツにしたところだが)
おそらくは、これらの中のどれかでも当たればジュセリーノは自分の予言を当たったと言い出すつもりのようだ。というか、日本まだ根強くいるジュセリーノ信者たちはそのつもりなんだろうが。
だからここで念押ししておくが、ジュセリーノが「優勝はドイツ」としたのはHP上に公表した新しいものである。一昨々年(2007)テレビで言っていたブラジル優勝、一昨年(2008)に出た『続・未来からの警告』にあるものとはまったく別のものだということだ。これらをごちゃごちゃにして「ジュセリーノの予言は当たった」と騒ぐことぐらいニラサワチックで愚かなことはないのだ。
2010.07.01
2010年6月27日日曜日
2010年6月24日木曜日
100624 そもそも始まりは2003年にあった (重複)
勘違いしている人もいるようだが、ジュセリーノが周囲の人間からも「予言者」と認知されたのは2003年以降のことである。[註1]
それ以前ジュセリーノには予言者としての活動履歴はまったくない。
従って、2001年9月11日に起きた同時多発テロの警告の手紙(もちろん日付を偽造したものである)を実際に目にした人はいてもそれは皆事件の起きたあとでということになる。
同様、「的中した」と言っているジュセリーノによる警告の手紙というものは全て2003年以降にしか公表されていないし、2005年にジュセリーノがブラジル中の注目を浴びてから公表した事前公表の予言は見事なくらいの外れっぷりを見せている。
それにしても今尚下のような地震の予言に対して「不安を覚えた」という人が一向に減らないというのにはアタマを悩めている。
最近もまた地元の人から「近々ここらへんで大きな地震が来るとか言われているけどあれはなんなんだろう?」とか「13日にあった地震のあとになんかそういう予言をしたガイジンがいるのを聞いたが、それがアレ(ジュセリーノ)のことなのか?」みたいなことを言われたりしている。
ときどきだが、なんとも答えようのない質問も来る。
そんなのはこの自分に質問をするよりも、ブログなんかで今でもジュセリーノのことをまるで実績のある予言者であるかのように喧伝している(つまり嘘を書いているということだ)その人にぶつけたほうがよっぽど早いだろう。
というか言われて自分もそういうジュセリーノの予言について「当たるかも」みたいな無責任なことを書いているブログなんかを目にすると「しょうもない人間ばっかなんだなぁ」とこっちが暗い気分になる。
改めて言うが、ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルースの予言とはひとことでいえば「フィクション」であり嘘でしかない。彼に予言者としての実績はまったくない。
そんなことはジュセリーノの予言が日本に紹介される前からブラジルでとっくに明らかになっていたことだった。
問題なのは、にもかかわらず、この日本にそんなインチキ予言者を商売にしようと目論んだオカルト出版社であるとかテレビマスコミが存在したことのほうなのだ。
こういった連中にこそ鉄槌でも食らわせないと、ほっといたままにするとこれからも(ありもしない)地震予言におびえる被害者の人たちは減ることはなくても増えるだけなのかもしれない。
そんなことは絶対にさせませんけどね。
とりあえずこれからはそういうマスコミに乗っかっている問題のあるHPやらブログをひとつひとつここで検証し批判をしていこうかぐらいの気持ちではおります。
それが自分のところにくる被害者の方々の要望にそったものであるのならば、ということですが。まあ最後のゴミ掃除みたいな感じになるのだろうけれど。
2010.06.22
[註1]2001年とするものもあるが、自著の中でジュセリーノは2001年頃は長期海外旅行中としているので、そうするとその事実と符合しなくなるという矛盾が生じる。なのでその場合でも、最低でも2002年以降とするのが正しい。(『未来からの警告』P249)
【追記】
何故ジュセリーノの活動開始時期を「2003年から」と言い切れるのか? その根拠は?というような問い合わせが相次いでいる。
直接的な証拠は当時ブラジルのサンパウロに住んでいたという女性からのメールということになる。自分はこの情報をかなり早い時期に受け取っている(このブログをジュセリーノ予言検証に特化した07年の2月のころだ)
0218 (その2) セナの死について考える (2007年02月)
情報を送ってきたのはふたりいて、ひとりの方がジュセリーノという予言者の登場時期を「2003年ころ」としていて、もうひとりの方は「2005年か2006年」としていた。
このズレは決して単なる誤差ではなかった。のちのちたとえば『予言者ジュセリーノの疑惑』という本の中でも述べられていたとおりで、ジュセリーノがサンパウロ郊外に住んでいる心霊師たちと交流しはじめた時期とも一致しているし、TAM航空の墜落を警告していたと名乗り出てそれがサンパウロのローカルテレビで取り上げられたのが2003年のころだった。そして例のブラジルの連邦司法の判決(つまり差し戻し)が出て、それが「裁判所もジュセリーノの予知能力を認めた」とブラジルのマスコミを通じて騒ぎ出したのが2005年ということになる。つまりブラジル国内でもジュセリーノという自称予言者の知名度にも大きな時差があったということなのだ。
もうひとつ、それよりも重要なことは、この「事実」というものを裏付ける傍証というか検証作業も通過しているということだろう。
そののちいろいろとブラジルで見ることのできる記事や画像というものを片っ端から目を通したのだが、ジュセリーノが他者に送ったといっている警告の手紙やら公証届けのある片割れというもの、どのすべてもが何故か「2003年以降の初公開」になっていることだ。
なんでこんな不自然な事実というものを当時誰も気がつかなかったのだろうか?
不思議でしょ。こんな簡単なトリックに誰も気がつかなかったとすれれば、日本にいる出版社・テレビ・スポーツ新聞は全てバカ者揃いということになってしまう。
そこに気がつけば、この日本でこのような不易で不毛な『ジュセリーノ騒動』というものは起こらなかっただろう。たま出版の本もソフトバンクの本も出なかっただろうし、日本テレビのふたつの番組もなかっただろう。ジュセリーノの来日と講演も、そしてテレ東の番組も存在しなかったはずである。
しかしそんなわけはないよな。彼らははじめから(ジュセリーノがインチキをする自称予言者であることを)知っていて、そしてこの自称予言者を商売のネタにしようと目論み、チラチラ見え隠れするこういう不都合な事実は伝えないという手段をとったのだろう。
自分が腹を立てているのはこういうマスコミの連中、あるいはジュセリーノに群がった連中が、自分は騙されたであるとかの「被害者面」を通していることだ。
そういうやつらには「そうじゃねぇだろう。オマエは被害者じゃなくて視聴者を騙した加害者サイドの人間なんだよ」といってやりたいのだ。今でも。
自分はかつてオカルトを飯の種にしている連中のことを「さもしい連中」と卑下したことがあった。
オカルト、あるいはオカルティズムというものは確かに研究の対象というものにはなるだろう。それはわかる。しかし、それは決してテレビを頂点とするようなマスコミの商業ベースの上に乗っけてはいけないものなのだ。
その線引きというものは確実に存在する。それはたとえば「(テレビ番組に迎合するための)嘘をついてはいけない」ということもある。
例を挙げる。もし、テレビで何度か取り上げられていた「おのこ草子(をのこ草子、あるいは草氏とも)」のことをはじめからただのでっちあげたと知っていながら「あれは間違いなく江戸時代にあった」とか言っている人間がいたならば、そいつはオカルト研究家ではなくてただの嘘つきということになるだろう。そういうことだ。
はなしを戻す。これは自分がジュセリーノについていろいろと調査していて得た実感なのだが、オカルト、あるいはオカルティズムというものは今の日本のテレビマスコミの主流にあるような「明日ではなくて今日中に答えを出せ」というような促成栽培とは絶対に間尺はあわない。無理矢理あわせようとするとそこには必ず嘘が生じる。あるいは、テレビに出るようなオカルト関係の人間は皆嘘つきばかりというような、笑うに笑えないような悲しい事態になってしまうのである。
2010.06.23
それ以前ジュセリーノには予言者としての活動履歴はまったくない。
従って、2001年9月11日に起きた同時多発テロの警告の手紙(もちろん日付を偽造したものである)を実際に目にした人はいてもそれは皆事件の起きたあとでということになる。
同様、「的中した」と言っているジュセリーノによる警告の手紙というものは全て2003年以降にしか公表されていないし、2005年にジュセリーノがブラジル中の注目を浴びてから公表した事前公表の予言は見事なくらいの外れっぷりを見せている。
それにしても今尚下のような地震の予言に対して「不安を覚えた」という人が一向に減らないというのにはアタマを悩めている。
最近もまた地元の人から「近々ここらへんで大きな地震が来るとか言われているけどあれはなんなんだろう?」とか「13日にあった地震のあとになんかそういう予言をしたガイジンがいるのを聞いたが、それがアレ(ジュセリーノ)のことなのか?」みたいなことを言われたりしている。
ときどきだが、なんとも答えようのない質問も来る。
そんなのはこの自分に質問をするよりも、ブログなんかで今でもジュセリーノのことをまるで実績のある予言者であるかのように喧伝している(つまり嘘を書いているということだ)その人にぶつけたほうがよっぽど早いだろう。
というか言われて自分もそういうジュセリーノの予言について「当たるかも」みたいな無責任なことを書いているブログなんかを目にすると「しょうもない人間ばっかなんだなぁ」とこっちが暗い気分になる。
改めて言うが、ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルースの予言とはひとことでいえば「フィクション」であり嘘でしかない。彼に予言者としての実績はまったくない。
そんなことはジュセリーノの予言が日本に紹介される前からブラジルでとっくに明らかになっていたことだった。
問題なのは、にもかかわらず、この日本にそんなインチキ予言者を商売にしようと目論んだオカルト出版社であるとかテレビマスコミが存在したことのほうなのだ。
こういった連中にこそ鉄槌でも食らわせないと、ほっといたままにするとこれからも(ありもしない)地震予言におびえる被害者の人たちは減ることはなくても増えるだけなのかもしれない。
そんなことは絶対にさせませんけどね。
とりあえずこれからはそういうマスコミに乗っかっている問題のあるHPやらブログをひとつひとつここで検証し批判をしていこうかぐらいの気持ちではおります。
それが自分のところにくる被害者の方々の要望にそったものであるのならば、ということですが。まあ最後のゴミ掃除みたいな感じになるのだろうけれど。
2010.06.22
[註1]2001年とするものもあるが、自著の中でジュセリーノは2001年頃は長期海外旅行中としているので、そうするとその事実と符合しなくなるという矛盾が生じる。なのでその場合でも、最低でも2002年以降とするのが正しい。(『未来からの警告』P249)
【追記】
何故ジュセリーノの活動開始時期を「2003年から」と言い切れるのか? その根拠は?というような問い合わせが相次いでいる。
直接的な証拠は当時ブラジルのサンパウロに住んでいたという女性からのメールということになる。自分はこの情報をかなり早い時期に受け取っている(このブログをジュセリーノ予言検証に特化した07年の2月のころだ)
0218 (その2) セナの死について考える (2007年02月)
情報を送ってきたのはふたりいて、ひとりの方がジュセリーノという予言者の登場時期を「2003年ころ」としていて、もうひとりの方は「2005年か2006年」としていた。
このズレは決して単なる誤差ではなかった。のちのちたとえば『予言者ジュセリーノの疑惑』という本の中でも述べられていたとおりで、ジュセリーノがサンパウロ郊外に住んでいる心霊師たちと交流しはじめた時期とも一致しているし、TAM航空の墜落を警告していたと名乗り出てそれがサンパウロのローカルテレビで取り上げられたのが2003年のころだった。そして例のブラジルの連邦司法の判決(つまり差し戻し)が出て、それが「裁判所もジュセリーノの予知能力を認めた」とブラジルのマスコミを通じて騒ぎ出したのが2005年ということになる。つまりブラジル国内でもジュセリーノという自称予言者の知名度にも大きな時差があったということなのだ。
もうひとつ、それよりも重要なことは、この「事実」というものを裏付ける傍証というか検証作業も通過しているということだろう。
そののちいろいろとブラジルで見ることのできる記事や画像というものを片っ端から目を通したのだが、ジュセリーノが他者に送ったといっている警告の手紙やら公証届けのある片割れというもの、どのすべてもが何故か「2003年以降の初公開」になっていることだ。
なんでこんな不自然な事実というものを当時誰も気がつかなかったのだろうか?
不思議でしょ。こんな簡単なトリックに誰も気がつかなかったとすれれば、日本にいる出版社・テレビ・スポーツ新聞は全てバカ者揃いということになってしまう。
そこに気がつけば、この日本でこのような不易で不毛な『ジュセリーノ騒動』というものは起こらなかっただろう。たま出版の本もソフトバンクの本も出なかっただろうし、日本テレビのふたつの番組もなかっただろう。ジュセリーノの来日と講演も、そしてテレ東の番組も存在しなかったはずである。
しかしそんなわけはないよな。彼らははじめから(ジュセリーノがインチキをする自称予言者であることを)知っていて、そしてこの自称予言者を商売のネタにしようと目論み、チラチラ見え隠れするこういう不都合な事実は伝えないという手段をとったのだろう。
自分が腹を立てているのはこういうマスコミの連中、あるいはジュセリーノに群がった連中が、自分は騙されたであるとかの「被害者面」を通していることだ。
そういうやつらには「そうじゃねぇだろう。オマエは被害者じゃなくて視聴者を騙した加害者サイドの人間なんだよ」といってやりたいのだ。今でも。
自分はかつてオカルトを飯の種にしている連中のことを「さもしい連中」と卑下したことがあった。
オカルト、あるいはオカルティズムというものは確かに研究の対象というものにはなるだろう。それはわかる。しかし、それは決してテレビを頂点とするようなマスコミの商業ベースの上に乗っけてはいけないものなのだ。
その線引きというものは確実に存在する。それはたとえば「(テレビ番組に迎合するための)嘘をついてはいけない」ということもある。
例を挙げる。もし、テレビで何度か取り上げられていた「おのこ草子(をのこ草子、あるいは草氏とも)」のことをはじめからただのでっちあげたと知っていながら「あれは間違いなく江戸時代にあった」とか言っている人間がいたならば、そいつはオカルト研究家ではなくてただの嘘つきということになるだろう。そういうことだ。
はなしを戻す。これは自分がジュセリーノについていろいろと調査していて得た実感なのだが、オカルト、あるいはオカルティズムというものは今の日本のテレビマスコミの主流にあるような「明日ではなくて今日中に答えを出せ」というような促成栽培とは絶対に間尺はあわない。無理矢理あわせようとするとそこには必ず嘘が生じる。あるいは、テレビに出るようなオカルト関係の人間は皆嘘つきばかりというような、笑うに笑えないような悲しい事態になってしまうのである。
2010.06.23
2010年6月19日土曜日
070619 2006年8月の予言
\ | 8月-2006 |
・ | a)Terremoto no japao causara mais panico as pessoas e crise japonesa comeca a surgir mais forte. 日本で地震。人々は大きなパニックに。そして日本は大きな危機をむかえる。 |
・ | b)descobrirao a mafia de vendas de remedios |
・ | c)grandes protestos na venezuela e mortes e atentados. ベネズエラで大きなデモと死者。 |
・ | bの訳が何故こうなるのかはよくはわからない。ある種の意訳だと思う。ブラジルの実情からするとオーソドックスな出来事なのだろうか。 いうまでもないことだがa)はハズレ判定。 |
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2010年6月9日水曜日
100609 Sendaで地震
これもだいぶ前からコメントやらメールをいただいている件であるが、正直扱いに困っている。
ジュセリーノの年間予言の中に「2010年 6月18日 日本のセンダ地域でM7.2の強い地震」[註1]というのがある。
その「センダ」ってどこなのかがさっぱり判断がつかないからだ。
googleearthで「せんだ」で調べると「千田」であるとか仙田、泉田、川田、船田、扇田というような「せんだ」と読める地名はそれこそ日本各地にいくらでもある。
これでは6月18日に日本のどこかで大地震があればジュセリーノ予言肯定の立場の者たちは「予言は当たった」とか言い出すことも可能ということになる。
考えるのもアホ臭いことだが。
またこれに関しては「VAN」さんという方からは「せんだといえばナハナハで那覇(沖縄)の可能性も考えたほうがいい」というようなふざけた意見も寄せられてきた。
まあ不謹慎といえば不謹慎なのだけど、ジュセリーノの機関銃並みの地震予言大連発自体が不謹慎なわけだし、このようなギャグ飛ばす人がいても目くじらたてることもないかなとも思うようになっている。
でも念のためにこれは書いておくが、ジュセリーノの予言ってこういう欠陥品ばかりなのですよ。
2010.06.09
[註1]Há um forte terremoto de 7.2 na escala Richter, nas proximidades de Senda - Japão em 18 de junho de 2010
【追記】
「常識的に考えれば、これはセンダイ つまり(あなたの住む)仙台のことでしょう」(by『ガイナ』さん)というようなコメントを多数頂いている。
常識…か…
ジュセリーノという自称予言者の予言について語るときに「常識」をあてはめることが、いかにむなしくバカバカしいことなのかについてはもう言うまでもないことだけども。
もちろん、ジュセリーノがスペルミスをしてSendaiをSendaにしてしまった可能性はあることだとおもう。
しかしそれだってやはりあくまでも可能性のひとつでしかないと思う。(なにしろジュセリーノ本人は「自分は夢でその場所にいる」と公言している自称予言者だからだ)[註→※1]
もしジュセリーノが「あれはスペルミス(タイプミス)で(地震が起きるのは)センダイです」と訂正をしたという事実があるのならばともかく、ジュセリーノが何も言っていない以上は、ここはやはりまず「センダで地震が起きるという予言」として扱うべきなんじゃないのかね。
ああこれも付け加えておくとするが、6月18日ドンピシャでなくとも(例によって)一週間前後の範囲でならは、宮城(福島)沖でM5程度の地震が起きたとしてもさほど不思議なことではない。よくあることだからだ。
2ちゃんねるで騒いでいるバカどもに対して言っておくとするが。
[※1]「PONさん」という方から「Senda earthquakeで検索すると結構でてきます」というコメントをいただいた。要するに、SENDAIとすべきところを間違ってSENDAにしてしまった例がいくつも見つかるというのだ。実際に自分も調べてみるとそんなに数はなかったが確かにいくつも出てきた。また、下のような世界地図の画像も教えていただいた。やはりSENDAIをSENDAとスペルミスするというのはよくあることのようだ。
上でも書いたとおりでジュセリーノは「夢でその場所にいる」と公言している自称予言者であるから、もしジュセリーノがこういった地図を見て予言を連発しているのだとすると(その事実があるのならばということだが)ジュセリーノの予言の信憑性というものを著しく損なう傍証となってしまうということも念頭に置くべきだろう。(まあだから自分もこの点にはしつこいくらいにこだわっているのだけれど)
10.06.21
【追記2】
さらに「大熊猫」さんというかたからジュセリーノの予言に出てくる日本の地名について「国際的に知られた地域か、それ以上に多いのは自分が講演会で訪れた地域です。今回のsendaも講演会で訪れた仙台の事を指した可能性が高い」
というコメントを頂いた。なるほど調べてみると確かにそういう傾向は強いようだ。
さらに、ジュセリーノの地震の予言で出てくる地名、ここ最近あるいは数年以内に大きな地震の起きた場所(地名)が非常におおい。それだけではない。起きる期日もまた法則性があって、その大きな地震が実際にあった日付に近いところばかりだという
ことを書いてきた方が何人もいた。
まあそれはすでに自分も2年以上も前に指摘したことなのであるが。
しかし考えてほしい。同じ規模の大地震が同じ時期に二度続けて起きる可能性はどのくらいになるものかを。
ジュセリーノの地震予言というもの、仔細に見てゆくとそういった実にいい加減というか人をバカにしたものばかりだということは付け加えて言っておこうかと思う。
2010.06.11
【追記 3】
6月13日(日)の昼過ぎに福島沖を震源とするかなり大きな地震があった。そのためにだと思うがこのブログの訪問者も四桁に近いところになった。(夜11時現在)
全然うれしくもなんともないが。
コメントの数も半端じゃない。まだ未集計だが、50以上80くらいはあるのではないのか。メールの数はそれほどでもないのだが。
コメントの内訳は、約半分近くは「ジュセリーノの予言は当たった(といっていい)」というようなジュセリーノ予言肯定者からのもの。
残り約半分は、ジュセリーノの予言に対応して自分がこの記事で書いた上の個所「6月18日ドンピシャでなくとも(例によって)一週間前後の範囲でならは、宮城(福島)沖でM5程度の地震が起きたとしてもさほど不思議なことではない。よくあることだからだ」というのが当たった、とするもの。
まあ自慢にもなんにもならないが、確かに自分の書いた個所は予言として見た場合は「当たり」である。
まあ、書いたとおりで当たりもへったくれもない。自分が書いたのは「よくある出来事」だからだ。
しかし、ジュセリーノの予言については見ての通りで、まだ当たったとか外れたとか結果を出す時期ではないだろう。ジュセリーノが書いた6月18日が来て、その後で当たったとか外れたとかの判定を出すのがスジというものだろう。
というか「ジュセリーノの予言」をあくまでも肯定するという立場の人たちは何故今日13日に福島沖で起きた地震を指して「ジュセリーノの予言は当たった」とするのだろうか。自分にはそれがわからない。
文章を読む能力(読解力)が欠けているのか、それとも理性を失わせてしまう病(オカルト病?)の怖さということなのだろうか。
はっきりいって自分にはただのバカにしか見えないんだが、こういう人たちが。
2010.16.13
ジュセリーノの年間予言の中に「2010年 6月18日 日本のセンダ地域でM7.2の強い地震」[註1]というのがある。
その「センダ」ってどこなのかがさっぱり判断がつかないからだ。
googleearthで「せんだ」で調べると「千田」であるとか仙田、泉田、川田、船田、扇田というような「せんだ」と読める地名はそれこそ日本各地にいくらでもある。
これでは6月18日に日本のどこかで大地震があればジュセリーノ予言肯定の立場の者たちは「予言は当たった」とか言い出すことも可能ということになる。
考えるのもアホ臭いことだが。
またこれに関しては「VAN」さんという方からは「せんだといえばナハナハで那覇(沖縄)の可能性も考えたほうがいい」というようなふざけた意見も寄せられてきた。
まあ不謹慎といえば不謹慎なのだけど、ジュセリーノの機関銃並みの地震予言大連発自体が不謹慎なわけだし、このようなギャグ飛ばす人がいても目くじらたてることもないかなとも思うようになっている。
でも念のためにこれは書いておくが、ジュセリーノの予言ってこういう欠陥品ばかりなのですよ。
2010.06.09
[註1]Há um forte terremoto de 7.2 na escala Richter, nas proximidades de Senda - Japão em 18 de junho de 2010
【追記】
「常識的に考えれば、これはセンダイ つまり(あなたの住む)仙台のことでしょう」(by『ガイナ』さん)というようなコメントを多数頂いている。
常識…か…
ジュセリーノという自称予言者の予言について語るときに「常識」をあてはめることが、いかにむなしくバカバカしいことなのかについてはもう言うまでもないことだけども。
もちろん、ジュセリーノがスペルミスをしてSendaiをSendaにしてしまった可能性はあることだとおもう。
しかしそれだってやはりあくまでも可能性のひとつでしかないと思う。(なにしろジュセリーノ本人は「自分は夢でその場所にいる」と公言している自称予言者だからだ)[註→※1]
もしジュセリーノが「あれはスペルミス(タイプミス)で(地震が起きるのは)センダイです」と訂正をしたという事実があるのならばともかく、ジュセリーノが何も言っていない以上は、ここはやはりまず「センダで地震が起きるという予言」として扱うべきなんじゃないのかね。
ああこれも付け加えておくとするが、6月18日ドンピシャでなくとも(例によって)一週間前後の範囲でならは、宮城(福島)沖でM5程度の地震が起きたとしてもさほど不思議なことではない。よくあることだからだ。
2ちゃんねるで騒いでいるバカどもに対して言っておくとするが。
[※1]「PONさん」という方から「Senda earthquakeで検索すると結構でてきます」というコメントをいただいた。要するに、SENDAIとすべきところを間違ってSENDAにしてしまった例がいくつも見つかるというのだ。実際に自分も調べてみるとそんなに数はなかったが確かにいくつも出てきた。また、下のような世界地図の画像も教えていただいた。やはりSENDAIをSENDAとスペルミスするというのはよくあることのようだ。
上でも書いたとおりでジュセリーノは「夢でその場所にいる」と公言している自称予言者であるから、もしジュセリーノがこういった地図を見て予言を連発しているのだとすると(その事実があるのならばということだが)ジュセリーノの予言の信憑性というものを著しく損なう傍証となってしまうということも念頭に置くべきだろう。(まあだから自分もこの点にはしつこいくらいにこだわっているのだけれど)
10.06.21
【追記2】
さらに「大熊猫」さんというかたからジュセリーノの予言に出てくる日本の地名について「国際的に知られた地域か、それ以上に多いのは自分が講演会で訪れた地域です。今回のsendaも講演会で訪れた仙台の事を指した可能性が高い」
というコメントを頂いた。なるほど調べてみると確かにそういう傾向は強いようだ。
さらに、ジュセリーノの地震の予言で出てくる地名、ここ最近あるいは数年以内に大きな地震の起きた場所(地名)が非常におおい。それだけではない。起きる期日もまた法則性があって、その大きな地震が実際にあった日付に近いところばかりだという
ことを書いてきた方が何人もいた。
まあそれはすでに自分も2年以上も前に指摘したことなのであるが。
しかし考えてほしい。同じ規模の大地震が同じ時期に二度続けて起きる可能性はどのくらいになるものかを。
ジュセリーノの地震予言というもの、仔細に見てゆくとそういった実にいい加減というか人をバカにしたものばかりだということは付け加えて言っておこうかと思う。
2010.06.11
【追記 3】
6月13日(日)の昼過ぎに福島沖を震源とするかなり大きな地震があった。そのためにだと思うがこのブログの訪問者も四桁に近いところになった。(夜11時現在)
全然うれしくもなんともないが。
コメントの数も半端じゃない。まだ未集計だが、50以上80くらいはあるのではないのか。メールの数はそれほどでもないのだが。
コメントの内訳は、約半分近くは「ジュセリーノの予言は当たった(といっていい)」というようなジュセリーノ予言肯定者からのもの。
残り約半分は、ジュセリーノの予言に対応して自分がこの記事で書いた上の個所「6月18日ドンピシャでなくとも(例によって)一週間前後の範囲でならは、宮城(福島)沖でM5程度の地震が起きたとしてもさほど不思議なことではない。よくあることだからだ」というのが当たった、とするもの。
まあ自慢にもなんにもならないが、確かに自分の書いた個所は予言として見た場合は「当たり」である。
まあ、書いたとおりで当たりもへったくれもない。自分が書いたのは「よくある出来事」だからだ。
しかし、ジュセリーノの予言については見ての通りで、まだ当たったとか外れたとか結果を出す時期ではないだろう。ジュセリーノが書いた6月18日が来て、その後で当たったとか外れたとかの判定を出すのがスジというものだろう。
というか「ジュセリーノの予言」をあくまでも肯定するという立場の人たちは何故今日13日に福島沖で起きた地震を指して「ジュセリーノの予言は当たった」とするのだろうか。自分にはそれがわからない。
文章を読む能力(読解力)が欠けているのか、それとも理性を失わせてしまう病(オカルト病?)の怖さということなのだろうか。
はっきりいって自分にはただのバカにしか見えないんだが、こういう人たちが。
2010.16.13
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