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自分があまりテレビを見ない人間だからなのだが、皆がまるで口を揃えるようにして「チャレンジ25」というCO2削減を訴えるキャンペーンCMの気持ち悪さについて語っていても、いまひとつピンとこないところがあったし、話の輪の中に入れずにいた。(だからここでも取り上げなかった)
「しろくま」さんという方から、その問題のテレビCMの動画(今ではyouTUBEなどでも見ることが出来る[注1])を携帯動画として送ってもらって、それを実際に(携帯で)見た率直な感想は
「あっ、こりゃ完全にオカルトだわ…」といったものだった。
届けられたCMは2パターンあった。[註2]共通しているのは、崩れる氷山、まばらになった海氷の上を渡ろうとしているシロクマ、多発する山火事、そして砂漠化する大地といった映像であり、それに被さるテロップ(字幕)とナレーション、といったところ。
そして締めとして、地球温暖化防止のためにCO2(二酸化炭素)削減目標(2020年までに25%)に向かってチャレンジしましょうと訴えかけて終わる。
このテレビCMが孕んでいる問題点とそれへの批判については後回しにする。いっしょくたにすると誤解する人がまたぞろ増えそうな気がするからだ。
実際に自分が最初にこれを見て「このCM、失敗だなぁ」と思ったのは、その内容であるとかメッセージがどうとか言う前に「人選ミス」のことだった。
ふたつあるうちのひとつは、加山雄三がナレーションと出演をしているもので、まあこれについては、(少なくとも15秒間のテレビCFとしてみた場合にということだが)「気味が悪い」というようなものでもなかった。
だが、もうひとつの方だが、加山雄三ではなくて、陰気くさい男の声のナレーションで、この声の主が皆が言っている鳩山由紀夫(首相)の声だとはすぐに結びつかなかった。(携帯端末だからか)
しかし、皆が「なんかキモチ悪い」といっているのは、きっとこれのことなのだろうと納得はいった。
実際、鳩山由紀夫の陰気臭くてモゴモゴともぐったような声に乗って、山火事や乾燥した大地というような映像を見せられたらたとえ短いCMだとはいえ気分はよくないし、ついうっかりすると、何かオカルト映画とか、下手をするとカルト団体の宣伝に見えなくもない。
もちろん、自分だって、鳩山由紀夫の陰気なしゃべり方や頼りなげな地声というものを責めてもしかたがないのはよーくわかっているつもりなのだが。[注1]
でも、だったら何故鳩山由紀夫はこのようなCMに「声だけの出演」みたいな中途半端な登場をしてしまったのだろうか。
日本の首相が日本の国民に向かってCO2削減を訴えるというのならば、堂々と顔出ししたパターンにすればいいだろうに。(そうすれば自分もまた面と向かって批判も出来ただろう)
こんな「ナレーションだけ差し替えてみました」みたいなやりかたは、どこか姑息さというものを感じさせるだけだ。
2010.03.12
[注1] 政府広報のHPからも見ることが出来るようである。でもリンクはしない。だってキモチ悪いんだもん。
[注2] 実際に存在するのはやはりこの2パターンだけであった。
[注3] 本来ならば、責められるべき立場にあるのはナレーターの鳩山(首相)ではなくて、このテレビCMをプロデュースしたり演出したりする、いわゆる「作る立場」の人たちということになるだろう。要するに、レコーディグのときにキチンと鳩山由紀夫に対して「もっとハキハキと」とか「力強い口調で」とダメだししなければならなかったはずなのだ。それが彼らの仕事というものだ。
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もちろん、テレビCMの不出来を論うことだけが目的でこんなことを書いているのではない。
これはここで何度も書いてきていることだが、そもそも、この「地球温暖化防止のためにCO2の排出を削減しましょう」というスローガンは論理的ではない。[註1]
ましてや、一国の首相が音頭を取って「25%の削減を目標に頑張りましょう」というのは輪をかけて無茶苦茶なことなのだ。
それを指して自分は「オカルトだ」といっている。そのことだけは言っておく必要はあるだろう。そう感じている。
さて、ここにきて、鳩山首相が掲げた10年で25%の削減という目標に対していろいろなところから疑問や懐疑的な意見が続出している。(まああたりまえのことなんだけどね)
地球温暖化の防止が目標ならば、人類が排出する二酸化炭素は少なければ少ないほどよいわけだが、果たして、この(10年後に)25%削減という数字はその目的達成のための有効な値になっているのだろうか?
ここいらあたりに大いなる欺瞞というものを感じるのだ。普通に考えればだよ、本来の分母(大気中に存在する二酸化炭素量)の総量がその何十倍何百倍ひょっとすると何万倍かもしれないというのに、日本だけが(10年後を目標にして1990年当時の)1/4を減らしたところであんまり意味はないだろう。[註2]
ところが、わが国の首相はどうやら25%を減らすことが本当に地球環境のためになると信じ込んでいる「オカルトの徒」らしいのである。困ったハナシだが。
自分が思うのは、この「25%削減」という目標値を掲げるということに意味があるとすれば、それはあくまでも日本という国の(国際的)立場にとってということだろう。
言葉を変えて言えば、25%削減っていうのは、単に「政治的」なことでしかないと思うのだ。
もし、はじめから「25%削減って言っておくと我々日本人は得をしますよ」というのだったら、自分も、まあそのハナシには乗らないわけでもないし、ここでオカルトだと批判するようなものでもないと思っている。
そうでなくて、「いや、(25%削減は)あくまでも地球環境のためにであって、政治利用ではない」みたいなことを言い出す人があまりにも多いからハナシはこんがらがる。責任者は誰なんだ、みたいなはなしになるのだ。
2010.03.13
[註1]まず、「二酸化炭素が増えたこと、つまり人類が人類であるがゆえに排出した二酸化炭素の増加こそが地球温暖化の最大(あるいは)唯一の原因なのだろうか?」という命題がある。それに対する答えはすでに出ているといっていいだろう。答えはノーだ。まったく違う。二酸化炭素だけが地球温暖化の犯人ではないのだ。それどころか「二酸化炭素の増加はむしろ温暖化の結果であって原因ではない」と主張している科学者グループもいるのだ。そういう人たちが温暖化の原因として挙げているのは「太陽活動」であり、地球の地殻活動である。火山の噴火などで空中に排出されたメタンガスなどの(二酸化炭素よりも)重い(=つまり熱を蓄えやすく、そして比較的拡散しやすい)元素である。まあ、確かにこっちの説の方が実は理にはかなっているわけだが。それに、この「二酸化炭素原因説」の最大の提唱者であるはずのIPCCの主導的な立場にある人間がデータの捏造の事実というものをあっさりと認めてしまったということもある。それはこのブログでも何度か触れたことなのでここでは詳細は省くが。
(誤解を招かないように付け加えておくが、何も自分は二酸化炭素の増加と地球温暖化はまったく関係ないと言い張っているのではない)
[註2]実際、地球物理学に詳しそうな知り合いにたずねてみたのだが、彼は含み笑いを浮かべるだけでまともにこたえてはくれなかった。まあ、まともに考えて答えのでる領域のものではないことなんだということだけは自分も理解したが。彼が言下に匂わせたところをうまくまとめるのは難しい。要するに(変動幅の大きな)不確実な要素に正確な値(25%)を関連付けて出てくる答えは時にイエスにもなるしまた別のときはノーにもなる。それだけの大きな振幅というものがあるということなのだろう。
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自分があのCMはオカルトである、と言い切る理由は以上である。
ありもしないことをさもあるかのように仕立て上げるという行為は詐欺でもあるわけだし、その行為に金銭的なものがたとえ絡まなくとも決して許されるようなことではない。もし騙している当人に詐欺という意識がまったくないのならば、それは「オカルトでしょ」ということになってしまう。
実際に自分の周囲の人たちが口にしていたことを拾い上げると、一番多かったのは「二酸化炭素を25%減らさないと本当に山火事が続出したり水不足が深刻になるのか?」という非常にシンプルな疑問であり、そして不安だった。
うーん、まあ確かにあんなCMを見てしまうと、それがあのCMの訴求点であるように見えてしまうというのもうなずけることなのだ。そしてそれがあの「チャレンジ25」のキャンペーンCMの致命的な欠陥なのだ。[註1]
もちろん自分は「そんなことはない」とはっきりと言い切ることが出来る。[註2]
世界各地で見られる旱魃(かんばつ)であるとか、あるいは山火事のような自然災害と温暖化の関係についてはなんともいえない。しかし、少なくとも、二酸化炭素の増加がこの地球温暖化のすべての原因でないことぐらいはよく考えれば誰でもがわかることなのだ。
ところが困ったもので、この世にはそういう初歩的なことは見て見ぬ振りをして、インチキとしかいいようのない情報を織り交ぜて、まるで「二酸化炭素がこのまま増え続けると未来は大変なことになるぞ」というようなタチの悪い脅しを仕掛けてくる連中がいたりするのだ。
そして、この「チャレンジ25」というキャンペーンもまたその中のひとつとしてカウントしてもいいものだろう。
「風吹けば桶屋が儲かる」ということわざ(故事成句)がある。簡単に言えば、世の中は巡り巡って意外な結果を及ぼす…という(まるでバタフライ・エフェクトそのものだが)意味合いで使われるが、ほかにも「当てにならないものを期待するたとえ」であるとか「一見、論理的に思えるが、大所から見た場合無茶な因果関係になっている様」という場合に使われたりすることもある。
その伝で言えば、この「二酸化炭素が増えれば…」に続く部分はどう繋がってゆき、そして最終的には誰が儲かるようなシステムになっているのか。それについては我々はよくと見張っておいたおいたほうがいいだろう。
なんにしても、二酸化炭素を減らすこと自体は決して悪ではない。
しかし、二酸化炭素を減らさないと山火事が増えて、大地が乾燥して大変なことになるぞ、とテレビCMという媒体を使って明言した日本国の首相はこの鳩山由紀夫がはじめてであるし、自分が先進国の首長の発言をすべてチェックしたというわけではないが、二酸化炭素を25%削減すれば温暖化に効果があるとまで言い切った一国の首長はいまのところこの鳩山由紀夫ただひとりのようである。
そのことだけは我々日本人はよーくと記憶に留めておくべきだろう。
[註1]地球環境の為に、ではなくて我々日本人の為に世界の先進国に先駆けCO2排出量の削減目標25%を実現させましょう、というキャンペーンCMにすればいいだけのことだ。実際にそういうことなんだから。
[註2]二酸化炭素排出量をいくら削減しても高温化は止まらない可能性だってあるし、あるいは、仮に排出量が増えたとしても地球全体が定常的に寒冷化に向かう可能性だってあるということ。
2010.03.13
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※ あまりにも反響が大きいので、この部分を別の記事として独立させた。メールに対するお返事やコメントの掲載はしばらくお待ちください。
追記
3月14日(日)の午後に放送された「たかじんのそこまで言って委員会」(よみうりテレビ製作)という番組で、この「チャレンジ25」という政府キャンペーンの危うさというものが取り上げられたそうである。生憎自分は見てはいないのだが。[註1]
以前、テレ朝の「朝まで生テレビ」でやっていたのとほぼ同様の構図で「CO2削減推進派」と懐疑派による議論が交わされていたというのだが、番組に出演した推進派というのがたったひとりだったそうである。
その懐疑派の主頭は例によって「環境問題は何故ウソがまかりとおるのか」などでおなじみの武田邦彦。[註2]
誤解されて困っていることでもあるのだが、自分はこの武田邦彦という人の主張には非常に懐疑的でありそして否定的である。ここで自分が武田邦彦と同じことを書いているものだから「武田邦彦の本から引用をしている」あるいは「武田邦彦の同調者」と思っている人もいるようだがそうではない。単に引用元が同じというだけのことだ。
武田邦彦という人の主張の困ったところは、たとえば「ペットボトルの分別回収は無意味だ」とか言ってしまうことだろう。何度かここで書いているが、自分は「ペットボトルの分別回収」には意味はあるし、まだまだ改善の余地がいくらでもあると感じている立場である。自分がペットボトルの回収に意味があると思うのは、もしペットボトルを不燃物・石油製品と同じ枠で回収しはじめると、今度は都市衛生の面でいろいろと問題が浮上してくるのが目に見えているからだ。要するに、地球環境とかそういう大仰な視点ではなくて、もっと身近な問題としてペットボトルの分別回収は是と思っているということ。どうもこの武田という人の主張には、そういった都市生活者としての実感が抜け落ちていて、首をひねるような無茶苦茶なものばかりなのが困るところである。まあそういう意味では大槻義彦教授と同じ「学者バカ」の匂いが漂う。
しかし、もっとしょーもないのは推進派として番組に登場した明日香壽川(あすか・じゅせん)という学者で、この人はその朝生の地球温暖化の回に出演したときもアタマを抱えたくなるような無茶苦茶なことばかりいっていたのだが、今回の出演時にも司会の辛坊治郎に「地球温暖化の証拠はなんなんだ?」と訊かれて「あなたは(地球の温暖化を)実感していませんか?」と聞き返していたのだそうだ。
アホかコイツ。「地球の温暖化を実感できる」ってどんな立場の人間なんだ。神か。北極のシロクマ君か。南極のペンギンさんか。
常に地球上のあちこちと移動してきて地域地域の温暖化を実感したという人間相手にでなければこんな質問は無意味だしミスリードでもある。そんなことに気がつかないとしたら相当のオオバカヤロウである。
自分は5年前まで東京にいて、そして仙台に移住した人間[註3]だが、とてもではないが「地球の温暖化」なんて体感は出来ないし、実感も持っていない。体感して実感があるのは「都市熱(シティーヒート)」である。都市熱の実感と地球の温暖化はまったく別の問題である。絶対に一緒くたにしてはいけないことなのだ。
こういう「まやかし」を平気でやるようなヤツだから「胡散臭い」と言われるんだろうし、心ある推進派からも嫌われるんだろうがねぇ。まあこういううさんくさい人間がもっと前面に出てきてくれたほうが「懐疑派」としてはありがたいことなのかもしれないけどね。
(2010.03.15)
[註1] この番組、仙台(宮城地区)では普通に大阪と同じ放送スケジュールで見られる。東京にいた時もなんやかんやで録画したものを何度かは見ていた。あまり面白い番組とは思わないが、まあそれでもゲストの人選によってはだが、「見る価値有り」というのも何本かはあったと記憶している。
[註2] そののち頂いたメールによるとだが、懐疑派としてゲスト的に出演したのも武田邦彦ひとりだけだったようだ。そういう意味では、まあフェアな論戦ではあったようである。ただし、レギュラーパネラーの勝谷誠彦(かつや・まさひこ)が武田邦彦型の懐疑派の主張に乗っかって明日香壽川に対して論戦を挑んだのだとか。まあこれも番組の演出のうちだろうから、こういう個所に文句をいってもしかたがないのだろうが、もし、真面目に論議をするのであれば、こういう乱暴な区分けというか、番組製作サイドが視聴者にわかりやすいようにと議論を「二律対称構造」に仕立てて論戦をさせるのは、まあはっきりいって無意味に等しいことだ。なぜならば、(自分もそうなのだが)二酸化炭素の排出量を減らすことには基本賛成の立場をとるが、だからといって鳩山(民主)のように性急で穴だらけの(しかも国民に対してはオカルトで追い立てるような手法を使っての)施策には断固反対する立場の人間もいるからだ。いくら時間を掛けたとしてもまともな実のある結論は出ないだろうし、下手をすると視聴者に対して「事実ではないこと」を伝えてしまうという危険もあるのだ。(この手のテレビ番組を見るたびに)自分も危惧しているところである。ジュセリーノという自称予言者についてもまるっきりそうだった。ジュセリーノは「地球環境のために」という美辞麗句を持ち出してきて、それにコロリと騙された日本人が多いというのがそれを物語っている。それとまったく同じことなのだ。自分は、ジュセリーノに騙されるなというのと同じように、鳩山には騙されるなと言っている。あ、言っちゃった(笑)
[註3]正確には「自分も(この明日香壽川同様に)東京(首都圏)から近年仙台に移住した人間だが…」というべきなんだろうな。でないと、自分がこの明日香壽川に何を文句垂れているのかがわかりにくいかもしれない。要するに、自分は「仙台に在住している人間がどうすれば地球温暖化を実感できるんだ、無茶を言うなー」と明日香に文句を言っている。
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追記の追記
自分がひどいまやかしだなと思ったところがもうひとつはっきりとした。なんと、鳩山(民主)の掲げた削減25%というのは、CO2排出権取引を行使しての達成目標なんだそうだ。[註]これじゃ地球環境の為にもなんにもなってないじゃないか。ただの政治取引と同じだ。それにこれでは、いざとなったら途上国から排出権を金を出して買ってそれで「達成しました」と嘯(うそぶ)くことだってできることになる。ひどいまやかしである。しかも、その資金は果たしてどこから出てくるものなのかを考えてみよ。もちろん我々の国家予算、つまり税金からなのだ。
それにこれではこの「チャレンジ25」は、はじめから形を変えたODA(海外援助)ということになってしまう。
自分はこんなものを日本の対外政策のひとつとして認めることは絶対に出来ないね。あなたは認められますか?
[註] こんなジョークがある。笑えないジョークだが。
(首相記者会見にて)
記者「10年後にCO2の25%削減という目標は少し厳しすぎないでしょうか?各産業界からも反論が噴出しています…」
鳩山「確かに困難な目標かもしれません。しかし決して不可能な数字ではないと私は確信しております」
記者「その確信の根拠というものをお聞かせください」
鳩山「わたしは10年どころか、わずか半年で30%も削減させた実績があります」
記者「内閣支持率かよ」