2010年1月2日土曜日

100102 こうして今年の第一日目は始まった

そしてその溜まりに溜まったメールに目を通してゆく。

その中に一種の人生相談のような内容のメールがあった。

読んでゆくうちにだんだんと胸が苦しくなってゆくのがわかる。そして「自分のところにメールがくるのもしかたがないのかも・・・」と思うようになっていた。

簡単に説明すると、その方はある新興宗教(集団)からの脱会を希望しているのだが、どうしても抜けられずにいる。何かいい方法はないだろうか、といった内容なのだ。

この方は「ジュセリーノの一昨年の地震予言の騒動を期に脱会を考えるようになった」とも書いてきている。しかし、この人が脱会できないでいるのは、おそらくは多分それ以外にも恐怖を煽るようなオカルトであったり不安というものがのしかかってきているからだろう。はっきりとは書かれてはいなかったが、ジュセリーノの名前だけが挙げられていたのはそういうことなんではないかと思う。

自分が思うことなのだが、抜けることに対して恐怖であるとか不安を覚えさせるような宗教や集団なんて、まあはっきりいってロクなもんじゃぁない。

それが宗教であろうが、あるいは宗教ではなくても「カルト」ではあるということになるのだと思う。

こういうメールが来るたびに、自分は自分の小ささというものを痛感させられる。

ここにこうして「カルトの恐怖」に怯えている人は確実に存在しているというのに何も出来ずにいる自分の小ささというものをだ。

んー、それでも自分はこのブログをこれからも続けてゆくしかないんだが。だが、それだけで果たしていいものなのだろうか。そのことで少し悩んでいる。



タグ: ジュセリーノ JUCELINO nobrega da Luz
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