このブログをよく読んでいる人でもそのことを知らずにいるという人も多いのだろう。
「たまたま以前の記事を見てみたら文章の量が三倍以上になっていたのでちょっとビックリしました。しかもそれがものすごくとてもためになるようなことだったので損をしたような気になってます。もしこのような追記があった場合には最新の記事でもリンクするとかして告知してください。(「げんまい」さんよりのメール)
今まではちょっとした大きなトラブルに見舞われたり、時間に追われるようにして記事にしてきたのでそういうサービスまでは手が回らず後回しにしてきたが、反応のよかった「追記」については新たにこれから抜き出して独立した記事にすることにした。
ジュセリーノ予言の真実 0427 その2 津波(津浪)に関すること
http://blog.livedoor.jp/akgoodco1224/archives/954187.html
※追記
「津波」と「津浪」がごちゃごちゃしていてこんがらがるので統一すれば?というメールとかが結構あった。自分としては使い分けているつもりであったがこの記事ではその正しい使い分けが出来ていなかった。多分ものすごく怒っていたからだと思う。すいませんでした。訂正しておきます。
誰に対して怒っていたかといえば、もちろんこういう嘘の予言を撒き散らしている連中にだ。
もちろん、正しくは「津波」なのであるが、「30メートル級の津波」などと書いているのでそれは「津波」じゃなくて「津浪」だろうというつっこみということでここでは「津浪」を連呼していた。
「津波」とはなにか? 予言として「津波」という言葉を使っている人にはこの質問に対して正しく答えられる人はあまり、いや殆どいないだろう。だから平気な顔して「30メートルの津波」などと書けるのであろう。そういう人には「30メートル級の津波」などという言葉(たとえ戯言の予言もどきだとしても)は使ってはほしくないものだ。
あなたがたが言いたいのは、それは「津波」ではなくて「津浪」だろ?ということだ。
「津波」とは何か? 一言で言えば地震や(海底)火山の噴火など地殻の変動(断層活動など)で生じた(噴出した)エネルギーが空気中に(音や爆風となって)開放されずに、海水であるとか河水に伝わったもの、あるいは伝わる現象のことである(稀に隕石の衝突によって生じる津波もあることはあるのだがここは除外して考えるとする)。
仮にそのエネルギーが開放される方向が塞がっていなければだが、そのエネルギーは合力となって波紋状に周囲に広がってゆく。仮に真横から見ればそれは半球状に広がってゆく(あくまでもモデル的なケースの場合だが)のである。
したがって(という言い方もおかしいのだが)仮にそのエネルギーによって海面が30メートル持ち上がったとしても、それがそのまま30メートルの高さを保ったまま広がってゆくということではない。位置エネルギーが運動エネルギーに変わるということは高低差が小さくなるということだからだ。
だから「30メートルの津波」という言い方はおかしいのである。どこで30メートルになるかが問題だからだ。もし岸壁などで波頭が地上(海抜)より30メートルも上になるという意味ならばそれは「津波」ではなくて「30メートルの津浪」でしょ?ということを言いたいのである。
だからそういう「30メートルのつなみが~」とか書いていたり言っていたりする人がいたら鼻でせせら笑うのが正しい態度なのである。
問題はどの場所でどのくらいの波となって海岸や河岸、湖岸に届き、どのくらい潮(水)位が上がるかのほうである。
それに、何度も繰り返すようだが、たとえ30メートルでなくても、その10分の1の3メートルの波が押し寄せてきても津波が津波である以上それは恐るべき力を持っている。ただの「波」ではないからだ。
通常、海岸・湖岸などに寄せて引いてを繰り返している「波」とは性質も持っているエネルギーもケタ外れに違うのが津波というものだからだ。
そういう現実というものを観る目を持たずして「30メートルのつなみ」などと言っている連中など、はっきり言うが私に言わせばただの「嘘つき」の亜種である。
「科学バカ」には罪はないが、「科学知識のないただの馬鹿」が科学を語るというのは時として有罪に等しい。自分が「ニラサワ的な発言」に対して単に笑ってやりすごしたりできないというのはこういう部分にある。「そんなホラ話で人をギョッとさせたり、不安にさせたりする」というのは決して許されないことだからだ。
そういえば昔ニラサワ氏がテレビで「精神的なエネルギーというか念を送ることで雲(積乱雲というような限定ではなく雲全般)の形を自由自在に変えることが出来る(人がいる)」と口にして、スタジオにいた学者達が大爆笑になったことがあった。
きっとニラサワ氏は何故学者全員が大爆笑になったか今でもわからないのであろう(最近も同じようなことを言っているからだ)。
カワイソウな人ではある。
答え:雲にはもともと大きさとか形というものがない。大気中の水蒸気の集まりの濃い部分が光を屈折させてそこにそういう形のものがあるかのように見えているだけの現象だからである。「雲の形がかわる」ということはその水蒸気が、そこに流れている風であるとか上からの太陽の光、あるいは地表などで発生した熱などの影響を受けているということであるから、自由自在に操って形を変えることが出来るということはありえないのだ。雲が雲としてそういう形に見えるということは太陽の光というものが大きく作用している。でなければ月の出ていない闇夜になると「その雲を透して星の光が見えることもある」ということが説明できなくなるではないか。昼間見える雲というものは様様な要素によってそこにあるように見えているに過ぎないのである。雲の「大きさ」は、つまるところは周囲との対比でもってなんとなく「ある」といってもいいくらいのものでしかない。通常我々が「雲の形」と言っているものは、ただ単にこちら側(下から見上げたときの)現象でしかないのだ。
無茶な例えかもしれないが地上の人間の目にすることができる「雲の形」というものは「テレビに写った画像と同じようなもの」なのである。「現象」であるという意味でだ。
だから「テレビの画像に念を送ってその形を変えることができる」と主張している人がいたらどう思うかということを考えてみればいいのである。馬鹿でしょう、それは。
それと同じ事なのだ。「念力で雲の形を変えることができる」と主張するということは。要するに「そう見えてしまう」というのは、パフォーマーと見る人間による「共同幻想」という作業でしかないのである。
しかも、その雲の形を自由に変えることの出来る人というのは、ふりそそぐ太陽の光さえも自由に操れると言っているのも同じことにもなるのである。そんな奴はいないだろ、いくらなんでも。
ニラサワ氏が嘲笑の対象となってしまうのは、こういうどちらかというとただの「お話」として楽しめばいいような事に「精神的なエネルギー」であるとか「検知器で計測された事実である」とか余計なものをくっつけて持ち出して来て、自分の話に「(他の人とは違うのだという)箔」をつけようとしてしまうからだだろう。
いや、素人相手にこのような与太話を披露するのはまだかまわないとしても(それだって許されることじゃないぞ)、いくらなんでも本物の物理学者や気象学の研究者に向かって「いつもと同じ感じ」でそのようなホラ話を語ってしまうから、その無謀さと無防備さが笑われてしまうのである。
あるいは「物理学の常識を覆すような事実が次々と出て来ている」とやたら挑戦的なことを口走るので「攻撃(口撃)の対象にされる」のであり、結果自分が恥をかくような目に遭うのであるが。
まあそれが自分の意志であるのならばそれでもいいとしてだ。問題は「オカルティズム」というものをただ単に自分の商売道具としか考えておらずに、自分の出版社から出た本を売るためだけにこういう浅はかなことを喋りまくるとどうなるか。
「仲間」というか「同士」からも疎まれて孤立するだけなのである。かつては「恋人同士」とも揶揄されていたコンノケンイチ氏がニラサワ氏としだいに距離を置くようになったのは何故なのか。
誰だって自分とは関係のない舌禍とは関わりたくはないであろう。そういうものだ。
結果自分の首を締めるようなことをしているのである、この人は。そのことにこの人はまだ気がついていない。いやもう今さら気づいても遅いのかもしれないが。