2008年8月1日金曜日

80801 東スポからも取材の依頼がありました。断わったけれど。

  

【80801】 東スポからも取材の依頼がありました。断わったけれど。



週刊新潮の記事のことはあとで書くとする。実は新潮だけではなく(この新潮の記事が出るという前提でだが)東京スボーツからも取材の依頼があったのだ。



断わったが。考えるもなにもない。メールで依頼が来たのを確認して(それでも質問に対して答えてはやったのだ)返信を送り返した。こんな感じだ。

お断りします。構成上どうしても必要なときは(プログ『ジュセリーノ予言の真実』のかまたあきよし、と)名前を出して「東スポにはノー・コメント」とだけお書きください。



なんでかといえば いうまでもないことが「信用が置けない」からだ。東スポだと自分が発言していないことまで自分の発言として書かれたりする危険が大きいと判断した。それでこういう処置をとらせていただいた。



東スポにとっては毎日出している新聞のコラム記事での無名のブロガーの発言(まあ多分ほんの数行といったところだろう)など、テキトーにねじ曲げたり脚色しておもしろくしてやろうという気持ちになるのは実はよくわかる。そのようなことは日常茶飯事、東スポの記事なんて半分はそうやって成立しているようなもんだからね。



実際、送られてきたメールの中にある質問の中には「あ こりゃトラップ(罠)だな」とすぐに気がつくようなあっさい質問があったのだ。
※問い合わせが多かったのでその向こうが出して来た質問の部分だけをここで転記する

3 ジュセリーノは「関東地方に今年の8月6日と2010年(月日は指定せず)、関東大震災クラスの地震が起こる」と予言しています。これは本当に起こってしまうのでしょうか。

あのね、答えられるわけないでしょ、こんな質問に。誰に対して質問をしているんだかわかっていないんじゃないのか。そう思うくらいの愚問であるこれは。もしあなたが「予言を否定している『かまた』の立場だったらこの質問に対してはどう答えますか(答えは追記部分で)




まあそれでそういう「取材に対してはお断わり申し上げるという意志」の内容のメールを送り返したのである。



そうしたら、案の定東スポからは第二伸のメールが来て、「もしかすると会社の判断で質問に対する答えの部分をつけ加えて書くかもしれないのでご了解ください」とまるで「捏造するぞ」という予告ともとれることが書いてあったのだ。



このメールを送って来た担当の人間に対しては同情はするけれど、そりゃいくらなんでもやっちゃいかんことだろう。いくらなんでも。



こっちとしては「拒否する」 構成上(新潮に載った記事に対するものになるからだ)必要なときは「東スポに対してはノーコメント」とだけ書け、と明解に態度を示しているのだ。(07.08.01)



「そのあと」ということだが、自分は「蜜柑夢」さんのコメントによって、明日(07.31)の東スポで韮澤潤一郎が「週刊新潮」の記事の内容に対して反論をするということを知った。



つまりどう考えても、もし自分が東スポの取材に対して答えていたりしたらそれは「同じ記事の中に自分のコメントと韮澤潤一郎の反論が同居」することになっていたということだ。



なるほど、これで自分は合点がいった。東スポとしてははじめから「週刊新潮」に自分の発言が名入りで掲載されることを知っていて(なおかつ韮澤潤一郎の新潮の記事に対する反論を予定していて、それを伏せたまま)この自分に対して取材を申し込んできたということになる。



危なかったなぁ。まんまと東スポにハメられるところだった。



こういうことをやるから東スポの取材に対しては協力的にはなれないんだよ。



                               2008.08.01



【追記】



自分が東スポからの(最初の)メールに書いて送った答えというか・文面をここにそのまま書き写す(誤字脱字の個所もそのままにしてある)



予言を否定している自分に対する質問しては不適切だと思います。

まずジュセリーノの予言自体がはっきりとしていないので答えようがない。

予言なんてぇものは事前に語った言葉が全てまるまる当ってなければ本来「的中した」とはいえない。そのジュセリーノの予言というものがわからないので答えようがありません。



たとえジュセリーノによる予言の文言というものが明確になったとしてもこの質問に対しては「わからない」としか答えようがありません。

「来る」に対して「こない」と明言するのも一種の予言です。予言というものを否定している自分がこのような質問に答えるはずがない。

はっきりいって自分はこの質問そのものが程度の低いトラップのようなものだと捉えています。




長い返答になっているがこれでも質問に対する答えとしては必要最低限に短くしたつもりである。しかしむこうからすればこんな長い返答が帰って来て、果して彼らはこのかまたの返答をどのように処置するのであろう。そのままが紙面に載るとは到底考えられない。