2008年8月8日金曜日

80808 週刊新潮の記事について

もう一週間が経ってしまったということだが、7月31日発売の週刊新潮にジュセリーノの怪しさというものに対してメスを入れた「アンチ・ジュセリーノ」的な内容の記事というものが掲載された。



先述のとおりで、自分はこの記事の取材に対して協力させていただいている。



どういう経緯があったのかというと、単純に向こうからの取材の申し込みがあって自分はそれを受けた、それだけである。



中には「なにかウラのようなものがあるのではないか」とか勘ぐる向きもあるようだが、今回の記事の取材に関してはウラもなにもない。そのままである。



取材は電話で受けた。それが一番いいとおもったからだ。



前にも書いたことだが(だから勘ぐる人も出るのだろうが)自分が雑誌でも他のメディアでも取材を受けたのは実はこれがはじめてというのではない。



ジュセリーノの件に関しても実はこれで三度目か四度目くらいにはなるはずだ。



ただし、先に「記事」の予定というものが立っていて、それに応えるというのははじめてだったし、(ジュセリーノの件で)電話で取材を受けたのもはじめてではあった。

さて、このブログの読者の方で、新潮の記事をお読みになったという方からすれば「物足りない内容と構成」だったかもしれない。



しかし、あくまでもこのようなジャーナル週刊誌の記事というものは「ジュセリーノについてはうっすら名前くらいは知っている、あるいは何も知らない 何の予備知識もない」という読者に向けてのものになるのだ。



聞けば、続報のようなもの、つまり第二段あるいは第三段の記事も考慮中とのことなので、それについては長い目でみてほしいと思う。



自分が記事そのものを目にしたのは大方の皆さんと同じで、(当日の木曜日になって)雑誌を手に取ってからだ。



担当氏からはそれまでの取材のの大まかな概容というものは伝え聞いていたので、まあだいたいが予想していたとおりの内容であった。



自分が語ったことになっている個所について言うのであれば間違いはない、あれはまさしく自分が喋った内容になっている。



当たり前のことなんだけどさ。



ただし、自分が電話で語ったときには記事のように端的で順序立てた喋りはしていないはずだ。流石そこは担当ライター氏のプロの技術というものなのだろう。



実際には記事になったこの行数の、その十倍以上もの時間をかけているのだということはご理解いただきたい。取材とはそういうものなのである。



記事を読んで自分がはじめて知ったということもあった。まあそれはあとでまとめて書くこととする







さて自分が本当に書きたいのはこういったことではない。読者の皆様に対する御報告がある。



自分はこの取材で「取材協力費」というものを受け取った。ただし現金ではなく「図書カード」である。



まあこれはどっちかというと自分の我侭を通させていただいたようなものだ。結果図書カードに落ち着いた。



やはりこの件(ジュセリーノというニセモノの予言者の正体を暴くこと)に関してということだが、自分は金は受け取りたくはない。



「図書券・商品券だって金券だから立派な現金扱いじゃないか」とおっしゃるかたもおいでだろうが。やはり現金と商品券では意味するものは根本的に違うと思うのである。



送っていただいたのが「図書カード」だったことでありがたいし助かったのは、これで堂々とジュセリーノの本を購入できるということだ。



頂いた「取材協力費」を更なる取材というか検証のために使うのだ。



スジは通っているだろう。



あと5冊くらいならばジュセリーノ関連の本が出てもこの頂いた図書カードを使って買えそうである。まあそんなにジュセリーノの本など出るというのはマジ勘弁ではあるが。



で、早速だが「未来予知ノート」を購入した。現在それを繰り返し何度も読んでいるところである。



以前「たま出版から出た本よりはまだ論理的に破綻した内容にはなっていないようだ」と書いたが、どんな本にでも価値を見出せる「ビブリオマニア」的な価値観からは一歩引いて、普通の冷静な目で見れば「まあやっぱりオカシな本である」ことには間違いない。



こんな本を読んで「感動した」とか言っている奴は絶対におかしい。そう思ってしまったのである。



この本の中にも疑惑のその証拠というものはいっぱい詰っている。そういう意味ではやっぱり(自分にとっては)宝の山のようなものだ。



非常に不謹慎なことを言ってしまうのだがなんだかとっても嬉しくなってしまったのである。正直に言うと。







「第二ラウンドが始まった」



それが今の自分の「偽ざる心境」である。