2008年8月27日水曜日

80827 「21世紀の大予言」という本について 

   

【80827】「21世紀の大予言」という本について 



だからこれは8月のお盆休みの直後からということだが、メールとかで「『21世紀の大予言』という本が出ている。あなたはこの本の編集協力とか原稿の執筆も(註)しているのですか?」というような問い合わせが少数ではあるがチラホラとはきていた。



それに対する自分の答えは「(その本の)取材は受けてもいないし協力の要請もうけていないし、ましてや原稿など書いてはいない」となる。

その「21世紀の大予言」という本の内容だが、「ジュセリーノの予言」(とジョン・タイターの予言)を前面に出して大きく取り上げてあり、(ジュセリーノについての)文章の一部はこのブログの丸写しだというのである。



まあたとえそれが事実だとしたら自分はむしろありがたいことだと思うだけだ。(註2)



とはいえそれだけではそういう本を読むというだけの動機にはなりはしない。自分がこの本を読もうと思ったのにはやはり別の動機があった。それについてはあとで書くとする。






で、その「21世紀の大予言」という本を買った。ジュセリーノの項目だけは読んだ。その感想については後回しにする。



最初 自分は近所にある図書券の使える中規模の書店に行ってみたのだが、置いてなかったので、店員さんをつかまえて聞いてみたのだが調べてもらった結果わかったのが「8月6日発売で出たものだ」ということと「多くはコンビニチェーンなどに回されるようなコミック扱いなのでウチで注文をうけても入らない可能性が高いだろう」ということだった。



「コミック扱い」なのか。つまりは「雑誌」であり「コミック」だということか。



それでやむなく仙台中心部の大型書店巡りをすることにしたのだが、自分はミスをしでかしてしまった。(別の身支度をする必要があったので)図書券を持ってくのを忘れてしまったのだ。わざわざ図書券取りに戻るのも大変だし面倒だし次の予定も迫っていた(結局雨で中止になったが つまり楽天の試合ということだが)ので仙台駅前にある大型書店でとにかく現物をみつけ次第現金ででも買うことと腹を決めた。



しかし最初に行った大型書店では「売り切れ」。聞けばやはり再入荷の見込みもないという。こうなると「こりゃもうはじめから図書券で買える」という条件つけてる場合じゃなかったなと、そこでちょっとあせった気分にもなった。



もうひとつ別の大型書店に行き、検索の端末など使って探してみたのだがそこでもやっぱり売り切れ。が、思い切って店員の人に尋ねてみたら下のストック棚から出してきてくれた。ありがたいことである。これで最悪アマゾンで注文してトータル1050円も取られるという事態は避けられたことにもなる。



うーん、しかし落ち着いて振り返ってみると、今まで散々書いてきただけにこういう本を「現金で」わざわざ買うという行為に対しては忸怩たる思いがあった。このまま黙っていると皆に対して嘘をつくことにもなるのでここで思い切って正直に告白する次第である。なんかカッコ悪いが。



どこか「必要経費」で賄ってくれる奇特な企業とか個人はおらしませんかね?(嘘です本気にしないで下さい)領収書はもらってあるので。(これは本当)



というかこの本そんなに売れているのか?安いからか?

                          2008.08.26




さて、ではこの「21世紀の大予言」のジュセリーノの項目だけを読んでの自分の感想を先に簡単に述べる。



複雑な思いはあるがなにはともあれ「ご苦労様です」「ありがとうございます」と執筆の方に対して言う。それが感想である。





この本の概略について説明をする。



体裁はそのままほとんどまるっきり「コミックス」である。一色刷りのモノクロ、紙質も良いとは言えない。まあそれだからこそ500円というリーズナブルな値段が実現したということだろうが。



巻頭いきなりジュセリーノの幼少期をメインした劇画になっていて、まあそれはいろいろな意味で笑えた。



続くP25からP49までは「予言者ジュセリーノ」についてまるで「月刊ムー」ばりにジュセリーノの予言者としての実績をこれでもかとばかりに書き並べてあって、そしてP50からP71まではジュセリーノにまつわるさまざまな悪い噂、検証してみると浮かび上がるさまざま疑惑であるとか論理的な矛盾というものについて述べているという構成である。



以前なんかで見た本と構成が似ているとは感じたのだが、「万代」さんの説明だと「と学会」の出した「超常現象の謎」シリーズと同じ構成だ、ということになる。



自分も昔「と学会」の本を何冊か読んでいるが、確かに「似ているといえば似ている」ような気はする。



というかむしろ似ているというか「共通点」を挙げるとすれば、この本も「と学会」の本もどちらも立場的にはむしろオカルトに対する懐疑的なスタンスで書かれていることではなかろうか。(ほかのたとえばジョン・タイターの章とかがどうなっているのかは知らないよ)



さて、多くの人が「丸写しだ」と指摘しているのは、その後半の「疑惑」の中の最終章「doubt 10」(P70-71)のことだろう。



なるほどこの「doubt 10」で書かれていることはまぎれもなくこのブログの中でも特に「ジュセリーノ予言の問題点」の記事と同内容だといってもよい。



何故ほかのもの(たとえばウィキペディアとか)ではなく「このブログ由来だ」と言い切れるかというと、この「21世紀の大予言」の「doubt 10」項目、真っ先に「フセインが隠れている場所を米政府に通知した」というジュセリーノの言い分と彼が出してした文書の怪しさというものについて触れているからだ。



このこと(フセインが隠れている場所を米政府に通知したというジュセリーノの主張の怪しさ)を日本で書けるのは、当時本国ブラジルで起きた「疑惑報道」の本質というものを正しい形で知っていて、さらにそれを日本語で説明できる人間に限られる。



そして当時ブラジルで喧(かまびす)しく言われていた「ジュセリーノ予言の疑惑」について触れている日本語の文章というもの、実はこのブログだけなのだ。



もちろん自分はそれを複数の(日本語とポルトガル語の理解できる)ブラジル人の方から聞いてそのまま書いただけなのだが。



ただし、あの本の記述の方法ではむしろ『不正確な説明』ととられかねない。(註4)



残りの「チェルノブイリ」であるとか「アダム航空機墜落」であるとか「リンゼイ・ホーカーさん殺害事件」についてはウィキベディアを参照しても書ける。(註3)



しかしそのような事情もあってかフセイン確保の予言のダウトについて、日本で(日本語で)書いているのは残念なことにこのブログだけなのである。



だから、この『21世紀の大予言』という本の執筆者がこのブログを「参考」にしてあの項目を書いたのは間違いはない。



ただしこれはいっておかなければならないと思うが、皆が言うような「丸写し」ということでは決してない。「引用」とも違う。それなりに別の人の書いた別の文章にはなっている。



それだけははっきりと書いておくべきだろう。むこうの名誉の問題にもなることだし。



まあだから(丸写しではないからこそ)「ご苦労様です」「ありがとうございます」という感謝の言葉に結びつくということにもなる。






    その2



だがしかしこれも言っておかなければならないと思うが、自分はこの本のことを買ってまで読むような本だといって薦めるつもりもない。残念なことではあるが。



やはり、自分がこの本で必要なのはあくまでも「ジュセリーノ」に関する部分のみだ。



この本の残りの約3分の2、160ページ分はどう考えても自分にとっては「買って読む」には値しない。



それとどうしても目につくのはジュセリーノの項の中に「あきらかなる事実誤認」がいくつか目に付くことなのである。



たとえばP35にある「ブラジル国内でジュセリーノの存在が大きくクローズアップされたのはここ10年ほど前からに過ぎないが」というのは自分も初耳だ。



実は自分がこの本を読む強い動機となったのはこの個所についての問い合わせを受けたことなのである。



「ジュセリーノが10年も前にすでに有名だったという話は本当なのでしょうか?それだとかまたさんが書いていたこととは矛盾したことにはなりませんか?」というメールが来たのである。



おそらくこの個所(ジュセリーノが10年も前からすでにブラジルでは有名だったという記述)には当のブラジル人だって首をかしげるに違いない。



10年前(つまり1998年当時)に「ジュセリーノという名前の予言者」のことを知っているブラジル人なんてほんの一握りいるかいないかのはずである。



大体にして、それだとジュセリーノがまだ代用教員として働き始めるよりも前から有名だったということにもなってしまうのだが。



自分のところに来たメールやその他の情報からすると、ジュセリーノがブラジル国内でも有名といえるような存在になったのはやはり(フセインに関する訴訟を起こしたという)2005年のことらしい。つい3年ほと前でしかないのである。



なにがどうしたとしても(ジュセリーノの言っていることを丸々信じたとしても)、ジュセリーノが「予言者」としてブラジルで(あるいはサンパウロという限られた地方だとしても)有名になったのは2003年のはずである。それでもわずが5年前のことでしかないのだ。



この本にはこのような事実誤認も結構多いというのもまた見逃せない事実なのである。



このような「ジュセリーノに関する新しい嘘」を広めてしまう危険のある本を薦めるわけにはいかないということなのである。



だからまあ自分はこの本に対してはかなり複雑な感情というものを持っている。



ジュセリーノという自称予言者について、その怪しさについても真っ向書いているというのも事実なのであるが。



というか「だからこそ」なのだが。



まあ、ニラ出版の本を2冊買うよりはずっと有用であるということはいえると思うが。








註1) これも何度か書いたことだけれど、だいぶ前からいくつかの編集のプロダクションやフリーの編集者だという人からもこのブログの引用の許可を求めるもの、あるいは「電話でお話を」というような取材のようなものは確かにあった。



それらに対しては(ブログの引用について)という記事でも書いているとおりで「(ジュセリーノという自称予言者の嘘を暴くという目的のためならば)ご自由にお使いください。場合によってはこのブログの名前を出さなくてもけっこうです」とまで答えている。



最近では「T」という編集プロダクション、Fという人を代表とする「P」という編集者グループなどから引用の許可願いであるとか取材協力の要請があった。もう少しあったのだが名前は失念した。申し訳ないが。



ただしそれらの取材の要請についてはほとんどお断りしている状態である。出版の予定が未定の段階でブログの引用の許可というものを要請してきたものだからだ。



註2) (その時点では)まだ読んでもいないものに対してはどうこう言うべきではないし、もしそれ(丸写し)が事実だとしてもこの自分はそれを咎めたり文句をつける気持ちはまったくない。それはもうここでも何度も書いているとおりである。



でも、もし丸写しが事実であるのならばこのブログの名前「ジュセリーノ予言の真実」くらいは出してほしかったという気持ちは少しはあったのだけれど。しかしどっちにしてもそのような情報を頂いたとしても自分がその本をわざわざ読むという気にはなれなかった。正直言うと。



註3) まあウィキペディアの記事中「事後公開の予言」の項目、実はそのほとんどが自分がメールで送った文章が「原稿」となっているが。





註4) この本の記述だと、ジュセリーノが書いたフセイン確保に関する予知の文書には期日が記載されていなかったり、あるいは「文書そのものが公開されていない」と読まれてもしまう危険がある。もちろん、ジュセリーノはフセイン確保に関する文書は公表はしている。後だしに過ぎないが。(日本テレビの番組でもチラリと映った)当時ブラジルで問題にされたのはそのことではない。ジュセリーノが最初に公表したその文書には「フセインが潜む場所と期日が併記されていなかったこと」なのだ。

だからブラジルでは「イラク国内を転転と移動していたフセインの居場所だけの情報では、つまり(たとえフセインが隠れていた)場所だけを知らせても(逮捕に繋がるような、懸賞金を受け取れるような確実な情報とはいえないので)意味ないだろうと反論があったのである。



つまり、予言としての真贋が問われたというのではなくて、この程度の情報提供では懸賞金には値しないだろう、米国政府相手に裁判を起こすようなことではないだろうと言われたのだ。



その後ジュセリーノは何を思ったのかはしらないが「●月●日、フセインは××に・・・」というまったく関係のない場所を記載した文書を公表した。もちろん記載されていたのはフセインが逮捕されたチクリートの近くではあるが、なにしろアメリカ軍(正確にはイラク軍であり国連軍なのであるが)はその肝心のフセインの彷徨の軌跡というものの詳しい実態は公表はしていない(米軍にチクった裏切り者の正体をばらすことにもなるからだ)ので誰にもそれが事実かどうかなんて確かめようがないのである。



それで「そんなものを出して来ても『自分の予知は正しかった』という証明にはならないだろう」とジュセリーノは再び反論をうけてしまったのである。

(NSさんの説明によると、だが)