2007年5月15日火曜日

070515 始まりのその始まり

【ジュセリーノ予言の真実 0515】 始まりのその始まり

日系ブラジル人の方からのメールをふたつご紹介する。

「タカハシ」さんという方から
漢字の使い方もしっかりとしていて文面だけ見るとブラジル人から来たメールとは思えない。

>JUCELINO が我々に嫌われだした大きな理由 それは預言がまったく当らないという以外にありません。
>予定された期日広げて大きくしたり 当たるようにしたのが 落胆されたことでした。
>アメリカのその事件の日を当てた予言者というのは 大きな間違いだと思われております。
(中略)
>それでJUCELINO はTVの番組で逃げることをしました。
>それからJUCELINO はTVに出ない。
>BRAZILの夜のTVは 全土に流れます。
>だから これでJUCELINO は正しい予言者であることをBRAZIL 全部で うたがわられる。(疑われる)


以前どこか誰からかの情報でうっすらと耳にはしていたことだが、ブラジルのテレビ番組に登場したジュセリーノがテレビ局の仕組んだ罠に引っ掛かり、それからテレビには出なくなったというはなしのことを書かれている。

もう少しこの部分の詳しい事情を知りたいものだ。

少なくとも、ジュセリーノがそういう形で、とうの昔から(もう一年も前のことらしい)まともな予言者扱いはされていないことだけはわかったが。

なんだこりゃ、だな。
そんなもので「予言的中率90%」であるとか「五年後人類滅亡!」とか騒ぎたてていることが馬鹿々々しくなるような話である。


次に「A・ナカタ」さんという方からのメール。こちらは要約したものを載せる。

この方の義理の妹さんがサンパウロ市内にあるホテルのレストランで働いていて、やはり一年ほど前、その店にジュセリーノ氏が数人と連れ立ってやって来たことがあったのだそうだ。ジュセリーノの印象について、一言でいうと「落ち着きのない人」だと(義妹さんが)言っていたとのこと。
常に周囲をキョロキョロと見回したり、椅子から立ち上がったりすぐに座ったりの繰り返しだったそうです。それ以外にもいろいろと書いてきてくださったがその部分には未確認のことが多過ぎるので割愛させていただく。

さて、自分は、このメールで書かれた「落ち着きのないそぶりのジュセリーノ」に対しては、だからといってジュセリーノを揶揄する気にはなれないでいる。それどころか、割とそういう部分丸出しのジュセリーノには同情的である。それは、挙動不審とか落ち着きがないとかではなく、単に何かに怯えていただけではないだろうか。そう思うからだ。考えてみれば、たった一年前はただの地方に住む高校教師だった中年男である。

それが短期間のあいだにブラジルでは知らない人はいないのではないかというくらいの有名人になってしまったのである。とまどう事は多かったのではないだろうか。そう推測するからだ。


さて、次の話題に移るとする。

友人から「ネット上で挑発的なようなことをすると痛いしっぺ返しを喰らうことがあるから注意しろよ」というありがたいアドバイスを受けた。

当りである。というかもちろんそんなことは承知の上ではある。が、実は、(わざわざばらすことじゃないが 笑)コメント欄がものすごいことになっている。こっちのブログでは、久しぶりに「まとめて削除」というのをやったくらいであった。

しかし、特に支障がない限り(サーバー管理者あたりから文句とかが出ない限りは)コメント欄の完全閉鎖はしませんけどね。

書いて来ているのは大体同じようなこと。このブログに対する批判なのだが、はっきり言ってあまりまともなものはない。(だからIPで判断してまとめて削除させていただいたのだ)

ひとつ、少しだけまともなものだけをご紹介する。(あくまでも程度の差だよ)

名前は伏せる。せめてもの情けである。せっかくコメントしてくれたのだし。


>したがって、(中略)その場所に関する情報がいくら正しいとしても、その情報それだけでは身柄確保のための有用な情報とはいえない。

という私の一文に対して


これは予言という超常現象と、一般の情報提供とを比較している時点で論理的に矛盾している。
予言なら、サダムはそこで発見されるだろう=発見されたで十分なはずではないか?
聖書にある奇跡の記述もそんなもんだ。
もしジュセリーノの指摘の場所でサダムが発見されたのが確かな現実なら、予言は成就したのではないのか?




と反論している。反論というか矛盾を突いたつもりなのか。さらに

>何故かというと彼らが持ち出してくるジュセリーノの情報というもの、出所がつきつめればたま出版からのものでしかなく、その論理の脆さは至るところで看破されたものばかりだからだ。

という個所も持ち出して来て


予言とは論理であったのかね?へぇ~へぇ~へぇ~
あなたが取られる揚げ足についてはあなた自身、反省が無いようですね!
相手を批判するということは、実は対極である自分自身の姿を見ることなのですよ。

私にとってジュセリーノなんてどうでもいいんですが・・・


とも書いて来ている。最後の一行で笑ったけど。
当然のことだが、「だったらなんでこのブログなんて読みに来たのだろう?」という疑問が浮かんでしまうからである。何でだろう?(笑)。
昔、中学校の社会科の教師をしている女性がまったく同じような論調で批判してきたことを思い出してしまった。

えっとですね、真面目にお答えしましょう。まずは。


>これは予言という超常現象と、
>一般の情報提供とを比較している時点で論理的に矛盾している。



と書いているけれどさ、よく考えてみてくれ。

それでは、そういう「予言」を「情報」としてアメリカ政府に提供したと語り「自分のもたらした予言でフセインを捕獲できたのだから報奨金を払え」と名乗り出たジュセリーノが一番の馬鹿者ということになるぞ。

もっと簡単に言い換えれば、「一般の情報提供と予言を同一機軸にしたのはジュセリーノ自身である」ということだ。

矛盾したことをしているのはジュセリーノなのである。
わかっててこんなことを書いてるのかなぁ?

で、


>予言とは論理であったのかね?へぇ~へぇ~へぇ~



の部分であるが、
誰がそんなことを書いているのだ、よく読みたまえ。
自分が「脆い論理」と揶揄したのはジュセリーノの予言のことではない。
「ジュセリーノの予言を成就するもの、正しいものと言いふらしている人の持ち出してきた情報であり、その論理」である。

ジュセリーノ=ジュセリーノ肯定派ではない。

ジュセリーノ肯定派の持ち出してくる論理を脆いと言っているのである。

どう脆いのか?

もういうまでもないことだけどね。このコメントがそのいい見本なんだけどね。

今までもこのようなことをメールで書いて批判してきたり反論をして来た人は何人もいた。そういう人たちにはやはりメールで再反論のメールを送って来た。

しかしその自分の再反論に対して再再反論をしてくる人、いままでひとりもいないのである。残念なことに。すぐに別の話題に切り替えたがる。韮沢式というやつで。

強調するが、これが日本にいるジュセリーノ肯定派の人たちの不真面目な部分である。ブラジルのジュセリーノ肯定派の人たちとは雲泥の差がある。

何故自分の口にした言葉に責任をもてないのであろう。そんな人間の言い分が信用されるとでも思っているのか?それとも君等にとってジュセリーノの予言というものはやはり使い捨ての、「予言というこけおどし」のひとつでしかないということなのかやはり?

だから、せめてこのコメントの主には、すぐに別の事柄を持ち出してくるという韮沢式の戦法ではなく、上記の自分のした再反論の部分に対して再再反論をしてくることを希望する。

あ、それといっこ付け加えておくが、自分がジュセリーノの予言肯定派のブログに対して「まず読め」とコメントを残したのは、まだたったひとつしかないのだ。あらら。