【ジュセリーノ予言の真実 0517】 こんなメールがきました
こんなメールが来ました。
ある方の代理ということでメールが届いた。
今確認したばかりである。
内容を読んだ限りでは、神学(キリスト教学)に対する造詣の深い方であることはなんとなく伝わってくる。届いたメールをそのまま貼り付けるとかしてご紹介したいくらいなのだが、もちろん転載の許可をもらっているというわけではないのでここではその要旨だけを書かせていただくとする。
自分が「ジュセリーノの予言」は職業占い師によるものと区別しなければならないだろう、と書いたことに対するご注意である。ありがたいことである。
どういう論旨かというと
神学の立場からすると「ジュセリーノ氏の予言」は「予言」とは呼ばない。
(予言扱いしてはならないということ)
なぜならばジュセリーノ氏は「成就する日付」というものを明らかにしているからである。
「予言」というものは暦上の日付は重要視しないものである。
神の言葉には日付は入らない。「成就」の日の暦の日付を入れてしまうのは人間の仕業でしかない。
(神は人間が勝手に決めた暦というものに合わせたような予言を口にするはずがないということらしい)
何故なれば、その日付が来た後にその予言は意味をなさなくなるからである。
日付までをも含めての予言であるのであれば、それは「予知」であるとか「予告」というべきであろう。
このようなものを場合によっては「予言」ではなく「余言」と言い分けることがある。(もちろん日本語での話である)
余計なもの(日付)が混じりこんでしまった予言であるからである。
という重みのある言葉である。
また、この方はこのようなことも書いておられる。
「7月13日に津浪が来襲する」という「予言」があるらしいが、それが「予言」ではなく「余言」であることは以下の部分を考慮すれば明白である。
「7月13日という日に津浪が来る」という予言は「そのほかの(暦上の)日には津浪はこない」という予言でもある。というかそうでなければならない。
そうでないのならば、その「予言」は予知でもなく予告とも違う。
どういうことかというと
7月13日に津波が来る確率と、他の日に津波のくる確率どちらがより高いかを考えれば、この「7月13日に津浪がやって来る」という日付の入った「余言」はものすごく愚かなものなのである。
ということをも述べておられる。
早い話、「7月13日に津浪が来る」という予言をする人間は、「ほかの日には絶対に津波は来ない」ということも保証しなければならないというようなことである。
でなければ軽々しく「予言」など口にするなと戒められておられるのである。
まあこの方はあくまでも「神学」の立場からこのようなことを述べられておられるようだが、特に後段の部分に関しては全ての人間が耳を傾ける必要があるのではないだろうか?
そう思い、取り急ぎここで別の記事として取り上げてみた。