2008年10月6日月曜日

081006 週刊新潮の記事(抜粋)

 





週刊新潮8月7日号の「怪しい予言者ジュセリーノの正体」という記事をアップしているサイトがあるということを教えていただいた。



本来ならばURLとかも付記しなければならないのだろうが、ちょっと訳があって伏せなければならない。



よく考えてみると、そのサイトがやっていることは完全なる著作権違反にもなるわけで、ここでそれを示すというのもアンフェアになってしまうからだ。



しかし、ここ(新潮の記事)で語られているその内容についてならば「参照」としての引用はできるはずだし、記事の中でエラそうにジュセリーノのトリックについて語っている人物っていうのは、なんのことはない ― この自分である。(笑)



こういうのも「引用」っていうのかね。まあ多分「引用」なんだろうね。



まあそれで「引用」はあくまでも必要な個所だけにとどめるとする。

彼の予言を検証するサイト『ジュセリーノ予言の真実』の管理者で元放送作家のかまたあきよし氏は言う。

  「マイクロフィルムに保存された原本が、パソコン画面上に大写しになるところを番組のカメラは捉えます。その瞬間をよく見ると、マイクロフィルム上の四角で囲まれた中に07年7月13日という日付けがあるのが目に入る。この日付けこそが原本の登記日ではないかと思われるのです」

  実際、マイクロフィルムにはポルトガル語で、

 <下記に署名する者は、貴殿(=登記所責任者)に添付書類の登記を要請します>

  と記されており、その下にジュセリーノ氏のサインがあって、四角い枠の中に「07年7月13日」の文字が見える。

  「つまり文書は事件の後に作成されて登記された“事後登記”の可能性があるということ。その登記文書の冒頭に『97年7月31日』と綴っていただけだとすれば、こんな安易な手法はない」

  そう語るかまた氏は、さらに別の疑惑を提示する。

  「昨年1月1日、インドネシアのアダム航空574便がスラウェシ島付近で消息を絶ちました。翌日、同島の山岳地帯で機体が発見され、乗員乗客102名中、12名の生存が確認されたとの発表が当局からあるのですが、その直後、ジュセリーノはインドネシアのラジオ局に事故を予言する書簡を送っていたとして、その文面を公表したのです」

  内容は、当局発表のものとほぼ一致していたが、

  「実は当局の発表は誤りで、後に機体は海に墜落、全員が死亡していたことが判明しました。この事実は彼が、報道に拠るなどの後付けで予言を“作っている”ことを疑わせるものです」(同)






こうやって横書きの文章にしているものを読み直してみると、取材(電話)を受けていたときのことをありありと思い出してくるから不思議なものである。



あれから2ヶ月が経った。果してこの記事というものが、「ジュセリーノ被害」というものを少しでも食い止めることができたのかどうかを考えると、自分は必ずしも満足はしていない。



                      

「元放送作家」という肩書きについては失敗というか説明不足だったかもしれないと反省している。なにしろ「かまたあきよし」という名前で放送作家業(ラジオ番組の構成と選曲)をしていたのは(以前記事でも書いたことだが)もう20年以上も前のことで、しかもほんのわずかな時期でしかないからだ。(そのすぐ後、自分は会社員になった)



むしろ「ラジオCMライター」のほうが至近のキャリアを表す肩書きとしては適切であったかもしれない。4年前までは(個人名はともかくとして)ラジオCMの原稿は書いていたからだ。



というか、実は「ラジオCMライター」ならば現役といえなくもない。



応募した作品が採用されないというだけの話だから。こうなると「自称CMライター」か。



自称がついてしまうと、とたんにダメっぽい肩書きになるな。