2010年2月28日日曜日

100228 コメント その他(10年2月度)




ご注進というかなんというのか。この自分のことを批判している人がいるとかいないとか。あるいはこの自分に批判されたとして、それに反論しているように読めるようなことをブログに書いている人がいるとか。

いやまあ批判を受けるのはまったくかまわない。それが前提でこのようなブログをやっているようなものだし。

ただし、やっぱりそれは名指しされてなんぼだと思うのだ。直接具体的にわたしの名前が出されてもいないのにそれにいちいち再反論してもしかたがない。

でもどうして自分を批判している人間の名前を出せないのだろう。そっちのほうが問題だろう。

自分は批判すべき事実があるのであれば、ここではちゃんと相手の名前ぐらいは出しますがね。「荒俣宏」とか「大槻教授」とか「山口敏太郎」とかね。

なぜならば自分の発言にはちゃんとした論拠があって誰にでも理解可能なものだという自信があるからだ。

まあだから、批判する対象の名前を挙げられないのは「そうではない(自分の論拠に自信がない)からだろう」と推測するのだ。違うのかなぁ。

さて、山口敏太郎がブログで、年末のテレ朝の番組内で大槻教授に対して無謀な論戦を挑んだことに対して「実はあれは・・・」と打ち明け話的なことを書いている。

あのね、山口君ね、そういうのも「後出し」っていうんだよ。ジュセリーノの予言とおんなじでさ。

自分の思っていることをムーブメントにして世の中を動かしたいというんだったら、最初からそのつもりでいることをちゃんとブログで書いておかないと。

あとになってから「実はアレは・・・」的な打ち明け話をしてみても、単にみっともないだけよ。

と、批判をするならのならば、反論をするのであればこんな具合にちゃんと名前を出せばいいのさ。

2010.01.02
  

まあ、山口敏太郎の(オカルト否定派である)大槻教授に対する論議というものがどれだけのものかについては大槻教授のブログ記事を読まれたほうがよかろう。

時間も出来たことだし、この自分も昨年12月23日のテレ朝の番組を一度でも目を通しておこうかと思っている。でないとこのブログの読者に対しても失礼なことにもなるわけだしな。(10.01.03)


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いろいろとご連絡を頂いているが、ここで現在の自分が置かれている状況について具体的に述べるのは控えるとする。ただし、この自分は以前となんの変化もない。そのままである。このブログをつづけるのに何一つ支障はない。

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年が明けてから韓国からのコメントが増えてきた。

聞けば、なんでも韓国のテレビ局がジュセリーノに取材をしてそれが放送されたとか。それでなのだろうか。

だとしたら、これはこれでものすごく恥ずかしいことのような気がする。どうみたってこれもまた日本からのある種の輸出品みたいなものだからだ。

こんな恥ずかしい輸出品もないが。

個人でやっていることにはどうしたって限界というものはあるけれど、んー、なんとかできなかったものだろうかと苦い気持ちでいます。

自分が苦く思っているというのは、(もし、ジュセリーノ予言騒動が韓国に移動するような形で流布しはじめたらそれは)この日本でジュセリーノ予言の正体の暴露が徹底されてなかったからだろうなということ。
2010.01.06
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上に書いた韓国の件、ネットニュース(アメーバ)があった。

あの予知能力者ジュセリーノ氏が今度は韓国でブームに!?
1月07日 23時00分

記事中でこのブログのことに触れていた。だからなのかね、アクセス数が増えているのは。

せっかく名前を出してもらってこんなことをいうのは申し訳ないんだが、どうせこのブログの名前を出すのならばリンクぐらいはしてほしかったところ。[註]

でもわかるのだよ。これはリンクのし忘れだとかではなくて意図的にリンクをしなかったということは。

記者の名前を見てなるほどと思った。

西元啓子」でググるとこういうのが出てくる

そういう人なのだ。いやこれ笑い事じゃ済まないことなんだけどね。

2010.01.10

[註]と思ったら、いつのまにかこのブログへのリンクが加えられていた。下のほうにだが。


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なんとなく「言い忘れていた」「書き忘れていた」というような感じになってしまった話題である。

ジュセリーノは今年も(つまり厳密には昨年の暮れということになるが)年間の予言というものを自身のHPで公表している。

昨年までであれば、その中の問題になりそうな予言をピックアップして、その欺瞞(明らかなる嘘)をここで批判したり、あるいは検証を繰り広げてきたものだが、(流石にジュセリーノも懲りたと見えて)今年の年間予言を見る限りにおいては、そんなヘンテコリンなものはだいぶ減ったようだ。(それでもあることはあるんだよ)

これを成長とみるのか、あるいは退化と捉えるのかは判断が難しいところだが。

さて、このブログで「2010年の年間予言」を(どう)扱うかどうかだが、自分はその必要なしと判断した。[註1]

だいたいにして、本来なら、それは新しいジュセリーノの日本事務局である「ジュセリーノ・ワールドワイド」の仕事のはずである。

かれらがそれをしないということはどういうことなのかを考えればよい。

そう「ジュセリーノ・ワールドワイド」はジュセリーノの年間予言というものを単純に商売のネタにしているからだろう。

こうなると、自分と彼ら(ジュセリーノ・ワールドワイド)の対立点は明確であるといえる。

簡単に言えば「非営利vs営利」という図式になるのだろう。

「人の世を騒がすような予言というものをメシのタネにしていいものなのかという提議のためにも、ここは静観するのもひとつの方法だと思うのです」というような意見もある。[註2]

まあ、もしジュセリーノの予言というものがまた誰かの手によって世間を騒がせたときには、そのときには再びガッツリと叩かせていただくとしよう。それは約束する。

もしジュセリーノの「2010年間予言」というものが気になるという方はジュセリーノの公式HPでチェックされたらよかろうと思う。

英語版もあるので翻訳にはそんなには苦労はしないはずだ。

2010.01.11

[註1]一応念のために「みち☆まり」さんという、一昨年までは毎年のようにジュセリーノの年間予言について細かな日本語対応翻訳(日本語訳ではない、念のため)を担当してきた方にお伺いを立ててみたのだが、その返答が返ってきた。「もうやりません というか・・・ジュセリーノが年間予言を公表していたことさえ知らなかったんです」だそうだ。まあそんなもんだろうなぁ。今となっては。


[註2]また、かつて「うらこまち」というHNでこのブログの記事の為、なにかとご協力いただいていた女子大生の人がいたのだが、今年になって彼女から久しぶりにメールが(つまり年賀メール)来た。彼女はこのブログが(ジュセリーノの)年間予言について触れていないのは、意図的にだと思っていた・・・というようなことを書いていた。
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正直に言えば、ここのところ晴れ晴れとした気分にはなれない日ばかりである。

平日はほとんど自宅に届けられた数多の書類に目を通して、次から次にと処理をしてゆく。

出かけられるのは夜になってから、という日も珍しくない。

買い物も通販頼みなところがある。

時間が出来たときだけ仙台駅東口のPCショップや中古・パーツ屋巡りをして、仕事に必要なもの、請け負ったものを買い集めたり、場合によってはそのままお客のところに直送したりしている。

精神的にも時間的にも非常にキツい。最近、その「晴れ晴れとしたこと」とか、「高揚した気分になれたこと」といえば、打ち上げ花火を間近で見れたことと、生の竹内結子を間近で見れたことくらいか(註)

だが、もちろんのこと、ジュセリーノにしろ誰にしろ、このようなオカルトで人の心を惑わせて、それで金儲けを企むような輩のことを批判し攻撃し続けようという意志だけは変っていない。聞いたところだが、さらなる酷い事実があることも自分のところに情報として届いているからだ。


最近、何故かは知らないが「かまたはここ最近、精神的に滅入ってきているので、ダークサイドの誘惑に陥ちるのではないか」というような推測が某業界では飛び交っているようである。

本当にそういう危惧を心配するメールが来ていたりするのだ。
でも、「ダークサイド」ってなんなんだろうね。
わたしはアナキン・スカイウォーカーなのか、ダースベイダーになるのか。

その人たちが何を意味して「ダークサイド」といっているのかはなんとなくわかる。どうやら向こう側もそれを含めてなのか、いろいろと交渉の窓口を広げようとしているようではある。

一切その手に乗るつもりはないけれどね。

ただ、ここでひとつお願いというか、あらかじめお断りしておくとしよう。

少しの間(たぶん二・三週間くらいになると思う)このブログは新たな記事は載せない。

但し、わかる人にはわかるように更新だけはしつづける。

今、自分は利害の一致しないふたつの勢力と向き合っている。そのどちらも自分にとってはある種の「敵」であり、批判 -つまり、言葉による攻撃の刃なるものを向けなければならない相手である。

そして、そのふたつの勢力同士もまた今や「敵対するもの同士」という、ちょっと不思議な構図になっている。

この間、もしかすると、私にとって非常にネガティヴなニュースが流れるかもしれないが、ご心配なく。

それもまた2年、いや3年も前から想定していた「ワンノブゼム」なのであるから。

では、ここで「ブラックアウト」を宣言します。

(2010.01.22)


(註)
そんな自分を見かねてなのだろうが、先々日の20日の午後、久々に仙台に帰ってきた仕事仲間から「Kスタ(宮城球場)に来ませんか?」と誘い出された。 前にもちょっと触れた映画「ゴールデンスランバー」のイベントがあるという。時間的なことを考えて渋っていると「かまたさん、好きなんでしょ?」と押された。それに対して「好きなのはともかくとして、応援はしたいと思っている・・・」とかわすように答える。いや実際そんな感じなのだ。聞けば、その催し、映画の内容に沿うような演出があって、主演のふたり(堺雅人と竹内結子)と監督の中村義洋もくるし、そのトークイベントの締めとして、花火を打ち上げるらしいというのを聞いてやっと行く気になれた。 そのトークイベント自体は寒寒としたもので、PAの調子が悪いのか竹内結子の声がさっぱり聞こえないとか、マナーを無視して特設ステージに駆け寄る不届き者が続出したりと正直滅入ってしまった。  まあそれでも次々と打ち上げられる花火を見上げているうちに、少しだけだが気分は高揚していた。 

 イベント終了後、主演のふたりを出待ちをすると言い張る連れ合いを残しイベント会場を後にすると、自分ひとりだけで球場の近くにある蕎麦屋で時間つぶしをした。30分以上、もしかすると小一時間くらいしてからか、その連れから携帯に電話があって「クルマを駐車場から出してからゆくから入り口近くで待っていてほしい」と言われたので、球場(運動公園)の入り口近くまで戻ったのだが、そのときにプチ奇跡が起きた。

 遠くから歓声が上がり、自分が背にしていた国道を、いかにも「送迎用です」という感じの「一号車」とステッカーの貼ってある白いバンが通り過ぎてゆこうとしていた。そのバンを目指して押し寄せる人人人・・・ ゆっくりと通り過ぎていった一号車のバンの暗い車内を目をよく凝らして見ると中にいたのは堺雅人のようだった。思わず自分は、彼に向かって「頑張れ!」と声をかけたくなっていた。もちろん声には出さなかったけれどね。

 そして、続いてやって来た「二号車」のバンは低速になると目の前で停車したのだ。信号待ちだった。その二号車の後部座席には竹内結子がいた。その距離わずか2メートルあるかないかの接近遭遇である。 彼女はファンに向かって手を振って笑顔で応えていた。

 自分が立っていたところに大勢の人が押し寄せてきた。いつのまにか自分の周囲は「竹内さーん」とか叫ぶ若い女性だらけになっていた。パニック状態である。

 すぐに警官なのか警備の人間なのか、青い制服姿の若い男が慌ててやって来ると、紅白に塗り分けた警棒を横に広げてフェンスの前に仁王立ちになると「危ないからサクには寄りかからないで!」とヒステリックな大きな声で注意を喚起する。

 で、何に驚いたかというと、後部座席の竹内結子がとった行動であった。彼女はスライド式のウィンドウを自分で開けると、「今日はありがとう! みんな気をつけて帰ってね!」と心のこもった言葉での感謝の言葉を口にした。

生の竹内結子を見かけたのは実はこれが二度目か三度目である。最初に見たのは「イノセント・ワールド」という彼女の初主演映画の舞台挨拶のときだったので1998年かそこいらのころだった。もう10年以上も前ということになる。なんていうのかな、そのときの竹内結子の印象というと、元気いっぱいのキャラを精一杯アピールしている新進の女優さん、くらいのごく普通の印象しかなかったが。

「気をつけて帰ってね」 この言葉には自分はやられた。この言葉、子を持つ母親でなければ咄嗟には出てこない。そういう言葉だ。自分は竹内結子の心の中にあるものを一瞬だけ垣間見たようなそんな気がした。見た目であるとか外側だけではなくて、人の心を打つ「美」とはなんなのかを改めて教えられたような気がした。とても清清しい気持ちになった自分である。 

2010年2月27日土曜日

100227 チリの地震のこと その他

多数のメール・コメントありがとうございます。

返事の出せるものについては、一件(※ 一通ではない)ごとに出しているが、そうでないものについてこの際まとめてお答えしておきます。

まず、日本時間2月27日にチリで起きた地震について。

ジュセリーノが昨年の暮れに公表した年間予言を見た限りでは、2月にチリで大地震という文言はなかった。ちなみにその「年間の予言」内にあった2月の予言の項目のうち、地震に関するものをすべて抜き出すとこんな感じになる。


17 パプアと(の?)インドネシアで7.0の地震(2月15日)

18 モロッコの北岸で7.0(2月27日)

20 4.9の地震(ブラジル国内 リオグランデダソル州のウルグアイ国境近く)

21 (フィリピン セレベス海)7.0の地震 (2月9日)

22 (米国アーカンサス州?)4.8  (2月15日)

27 富士の南諸島(伊豆諸島のことか)7.0   (2月21日)

28 (米国?)カリフォルニア湾6.0   (2月10日)

33 ニュージーランド カーマディック諸島 (2月7日)

37 コンゴ(人民共和国) 6.0   (2月8日)



これを見れば一目瞭然、ジュセリーノの地震予言、全然当たってはいない。

これでは警告にもなににもなっていないだろう。

それどころか、人々に対して本来は不必要な、要らない不安というものを与えているだけ、そんなものだ。

ジュセリーノの公表している「予言という名の警告」なんてものは有害なだけだろう。

そして、そういった社会不安というようなものを取り除こうとする人たちの努力がどれだけ有益であるかについてはいうまでもない。

それに対して、なんだかんだといちゃもんをつけるジュセリーノ本人であるとか、あるいは彼の周辺にいる人のほうがおかしいのである。



次、皆さんから数多く寄せられてきているその話題についてである。

さて、前の記事で「この私にとってネガティヴなニュースが流れるかもしれない」みたいな抽象的な言い回しをしてしまったために、それこそご心配を掛けてしまったかもしれないが、現状でいうならば、思ったほどのことはまだ起きていない。

すでにご存知の方もいるようだが、ジュセリーノはやっとこさ自分の公式HP上で、この「ジュセリーノ予言の真実」というブログに対して(それこそ名指しでだ)抗議の意思を明示した。

それだけである。今のところ。

ただし、それが「ジュセリーノの疑惑」という一昨年出版された本に対する抗議と抱き合わせなんである。

「なめられたもんだな」とちょっとだけ肩透かしを食った気分である。

どうやら、ジュセリーノワールドワイドといった日本に存在するジュセリーノ応援組織は、単独で、このブログや、管理者である「かまたあきよし」に対する公訴も届けも出すつもりはないようだ。(註1)

だとしたらそれは残念なことである。(何度も書いていることだけれども)自分としては、それこそ三年も前から、そのための準備だけはしていたからだ。

繰り返し強調するが、(訴えられることを自分が望むのは)単なる私憤であるとか、そういうつまらない理由ではない。

自分が訴えられるという裁判を望むのは、それが日本人すべての公共の利益に繋がるという確信があればこそだ。


であるからして、もし実現したならばだが、日本の裁判史上でも意義のあるものにしたいと思っている。

自称「予言者」が、自分の発言であるとか記述物を指して「インチキである」とはっきりと公の場で暴露したものを裁判で訴えるとどういう判決になるのか。

それをちゃんとした判例として提示できる最大のチャンスだ。


(これは何度も書いていることだけれども)自分は、それこそ三年も前から、そのための準備だけはしていた。

もちろん弁護士であるとか費用の方も軽く準備している。そこは抜かりない。

ただし、弁護士に関しては、もしかすると(上で書いた社会的に有意義なものにする為にも)まったく別の方に依頼したほうがいいのではないかと思っている。(註2)

もし、裁判になれば、当然のこと、わたしはこの日本に何人もいる「ジュセリーノと仕事をした」であるとか「友人である」と言っていた人たちや、テレビ局・出版社サイドにも被告側の証人として出廷をお願いすることになるだろう。

そのときはよろしくお願いしますよ。
(つづく)


註1) ジュセリーノのブラジルの弁護士だという人物からコメントはきている。但し、そんなもの誰が見たって法的にはなんの拘束力もない。一応「日本の弁護士を通じて(日本の法廷で)訴えるぞ」というようなことは書いてきているんだが、それがまったく来ていないんだよねぇ。どうなっているんだか。このままではむしろ立ちの悪い脅しでしかないんだが。

ジュセリーノワールドワイドがどの程度の規模の組織なのかはまだよくわからないが、どうやら裁判であるとかこういった実務に耐えられるようなものではないということか。

というか、ジュセリーノ・ワールドワイドで書いている「(ジュセリーノの本国である)ブラジルの法廷で」というのがいかにアホらしいことかということにやっと気づいたということか。ダメじゃん。そんなんじゃ携帯やウェブの有料サイトだって長続きなんかはしないだろうね。断言しちゃるが。


註2) これはいまだから書けることだが「ジュセリーノから裁判を起こされた時には是非うちに・・・」というような、自称弁護士や、それこそちゃんとした証明つきで、法律事務所(に勤める方)から売込みやらご案内をいくつか頂いていた。

まあね、こんな楽な裁判もないだろうから来るんだろうけれど。(笑)