2008年8月27日水曜日

80827 「21世紀の大予言」という本について 

   

【80827】「21世紀の大予言」という本について 



だからこれは8月のお盆休みの直後からということだが、メールとかで「『21世紀の大予言』という本が出ている。あなたはこの本の編集協力とか原稿の執筆も(註)しているのですか?」というような問い合わせが少数ではあるがチラホラとはきていた。



それに対する自分の答えは「(その本の)取材は受けてもいないし協力の要請もうけていないし、ましてや原稿など書いてはいない」となる。

その「21世紀の大予言」という本の内容だが、「ジュセリーノの予言」(とジョン・タイターの予言)を前面に出して大きく取り上げてあり、(ジュセリーノについての)文章の一部はこのブログの丸写しだというのである。



まあたとえそれが事実だとしたら自分はむしろありがたいことだと思うだけだ。(註2)



とはいえそれだけではそういう本を読むというだけの動機にはなりはしない。自分がこの本を読もうと思ったのにはやはり別の動機があった。それについてはあとで書くとする。






で、その「21世紀の大予言」という本を買った。ジュセリーノの項目だけは読んだ。その感想については後回しにする。



最初 自分は近所にある図書券の使える中規模の書店に行ってみたのだが、置いてなかったので、店員さんをつかまえて聞いてみたのだが調べてもらった結果わかったのが「8月6日発売で出たものだ」ということと「多くはコンビニチェーンなどに回されるようなコミック扱いなのでウチで注文をうけても入らない可能性が高いだろう」ということだった。



「コミック扱い」なのか。つまりは「雑誌」であり「コミック」だということか。



それでやむなく仙台中心部の大型書店巡りをすることにしたのだが、自分はミスをしでかしてしまった。(別の身支度をする必要があったので)図書券を持ってくのを忘れてしまったのだ。わざわざ図書券取りに戻るのも大変だし面倒だし次の予定も迫っていた(結局雨で中止になったが つまり楽天の試合ということだが)ので仙台駅前にある大型書店でとにかく現物をみつけ次第現金ででも買うことと腹を決めた。



しかし最初に行った大型書店では「売り切れ」。聞けばやはり再入荷の見込みもないという。こうなると「こりゃもうはじめから図書券で買える」という条件つけてる場合じゃなかったなと、そこでちょっとあせった気分にもなった。



もうひとつ別の大型書店に行き、検索の端末など使って探してみたのだがそこでもやっぱり売り切れ。が、思い切って店員の人に尋ねてみたら下のストック棚から出してきてくれた。ありがたいことである。これで最悪アマゾンで注文してトータル1050円も取られるという事態は避けられたことにもなる。



うーん、しかし落ち着いて振り返ってみると、今まで散々書いてきただけにこういう本を「現金で」わざわざ買うという行為に対しては忸怩たる思いがあった。このまま黙っていると皆に対して嘘をつくことにもなるのでここで思い切って正直に告白する次第である。なんかカッコ悪いが。



どこか「必要経費」で賄ってくれる奇特な企業とか個人はおらしませんかね?(嘘です本気にしないで下さい)領収書はもらってあるので。(これは本当)



というかこの本そんなに売れているのか?安いからか?

                          2008.08.26




さて、ではこの「21世紀の大予言」のジュセリーノの項目だけを読んでの自分の感想を先に簡単に述べる。



複雑な思いはあるがなにはともあれ「ご苦労様です」「ありがとうございます」と執筆の方に対して言う。それが感想である。





この本の概略について説明をする。



体裁はそのままほとんどまるっきり「コミックス」である。一色刷りのモノクロ、紙質も良いとは言えない。まあそれだからこそ500円というリーズナブルな値段が実現したということだろうが。



巻頭いきなりジュセリーノの幼少期をメインした劇画になっていて、まあそれはいろいろな意味で笑えた。



続くP25からP49までは「予言者ジュセリーノ」についてまるで「月刊ムー」ばりにジュセリーノの予言者としての実績をこれでもかとばかりに書き並べてあって、そしてP50からP71まではジュセリーノにまつわるさまざまな悪い噂、検証してみると浮かび上がるさまざま疑惑であるとか論理的な矛盾というものについて述べているという構成である。



以前なんかで見た本と構成が似ているとは感じたのだが、「万代」さんの説明だと「と学会」の出した「超常現象の謎」シリーズと同じ構成だ、ということになる。



自分も昔「と学会」の本を何冊か読んでいるが、確かに「似ているといえば似ている」ような気はする。



というかむしろ似ているというか「共通点」を挙げるとすれば、この本も「と学会」の本もどちらも立場的にはむしろオカルトに対する懐疑的なスタンスで書かれていることではなかろうか。(ほかのたとえばジョン・タイターの章とかがどうなっているのかは知らないよ)



さて、多くの人が「丸写しだ」と指摘しているのは、その後半の「疑惑」の中の最終章「doubt 10」(P70-71)のことだろう。



なるほどこの「doubt 10」で書かれていることはまぎれもなくこのブログの中でも特に「ジュセリーノ予言の問題点」の記事と同内容だといってもよい。



何故ほかのもの(たとえばウィキペディアとか)ではなく「このブログ由来だ」と言い切れるかというと、この「21世紀の大予言」の「doubt 10」項目、真っ先に「フセインが隠れている場所を米政府に通知した」というジュセリーノの言い分と彼が出してした文書の怪しさというものについて触れているからだ。



このこと(フセインが隠れている場所を米政府に通知したというジュセリーノの主張の怪しさ)を日本で書けるのは、当時本国ブラジルで起きた「疑惑報道」の本質というものを正しい形で知っていて、さらにそれを日本語で説明できる人間に限られる。



そして当時ブラジルで喧(かまびす)しく言われていた「ジュセリーノ予言の疑惑」について触れている日本語の文章というもの、実はこのブログだけなのだ。



もちろん自分はそれを複数の(日本語とポルトガル語の理解できる)ブラジル人の方から聞いてそのまま書いただけなのだが。



ただし、あの本の記述の方法ではむしろ『不正確な説明』ととられかねない。(註4)



残りの「チェルノブイリ」であるとか「アダム航空機墜落」であるとか「リンゼイ・ホーカーさん殺害事件」についてはウィキベディアを参照しても書ける。(註3)



しかしそのような事情もあってかフセイン確保の予言のダウトについて、日本で(日本語で)書いているのは残念なことにこのブログだけなのである。



だから、この『21世紀の大予言』という本の執筆者がこのブログを「参考」にしてあの項目を書いたのは間違いはない。



ただしこれはいっておかなければならないと思うが、皆が言うような「丸写し」ということでは決してない。「引用」とも違う。それなりに別の人の書いた別の文章にはなっている。



それだけははっきりと書いておくべきだろう。むこうの名誉の問題にもなることだし。



まあだから(丸写しではないからこそ)「ご苦労様です」「ありがとうございます」という感謝の言葉に結びつくということにもなる。






    その2



だがしかしこれも言っておかなければならないと思うが、自分はこの本のことを買ってまで読むような本だといって薦めるつもりもない。残念なことではあるが。



やはり、自分がこの本で必要なのはあくまでも「ジュセリーノ」に関する部分のみだ。



この本の残りの約3分の2、160ページ分はどう考えても自分にとっては「買って読む」には値しない。



それとどうしても目につくのはジュセリーノの項の中に「あきらかなる事実誤認」がいくつか目に付くことなのである。



たとえばP35にある「ブラジル国内でジュセリーノの存在が大きくクローズアップされたのはここ10年ほど前からに過ぎないが」というのは自分も初耳だ。



実は自分がこの本を読む強い動機となったのはこの個所についての問い合わせを受けたことなのである。



「ジュセリーノが10年も前にすでに有名だったという話は本当なのでしょうか?それだとかまたさんが書いていたこととは矛盾したことにはなりませんか?」というメールが来たのである。



おそらくこの個所(ジュセリーノが10年も前からすでにブラジルでは有名だったという記述)には当のブラジル人だって首をかしげるに違いない。



10年前(つまり1998年当時)に「ジュセリーノという名前の予言者」のことを知っているブラジル人なんてほんの一握りいるかいないかのはずである。



大体にして、それだとジュセリーノがまだ代用教員として働き始めるよりも前から有名だったということにもなってしまうのだが。



自分のところに来たメールやその他の情報からすると、ジュセリーノがブラジル国内でも有名といえるような存在になったのはやはり(フセインに関する訴訟を起こしたという)2005年のことらしい。つい3年ほと前でしかないのである。



なにがどうしたとしても(ジュセリーノの言っていることを丸々信じたとしても)、ジュセリーノが「予言者」としてブラジルで(あるいはサンパウロという限られた地方だとしても)有名になったのは2003年のはずである。それでもわずが5年前のことでしかないのだ。



この本にはこのような事実誤認も結構多いというのもまた見逃せない事実なのである。



このような「ジュセリーノに関する新しい嘘」を広めてしまう危険のある本を薦めるわけにはいかないということなのである。



だからまあ自分はこの本に対してはかなり複雑な感情というものを持っている。



ジュセリーノという自称予言者について、その怪しさについても真っ向書いているというのも事実なのであるが。



というか「だからこそ」なのだが。



まあ、ニラ出版の本を2冊買うよりはずっと有用であるということはいえると思うが。








註1) これも何度か書いたことだけれど、だいぶ前からいくつかの編集のプロダクションやフリーの編集者だという人からもこのブログの引用の許可を求めるもの、あるいは「電話でお話を」というような取材のようなものは確かにあった。



それらに対しては(ブログの引用について)という記事でも書いているとおりで「(ジュセリーノという自称予言者の嘘を暴くという目的のためならば)ご自由にお使いください。場合によってはこのブログの名前を出さなくてもけっこうです」とまで答えている。



最近では「T」という編集プロダクション、Fという人を代表とする「P」という編集者グループなどから引用の許可願いであるとか取材協力の要請があった。もう少しあったのだが名前は失念した。申し訳ないが。



ただしそれらの取材の要請についてはほとんどお断りしている状態である。出版の予定が未定の段階でブログの引用の許可というものを要請してきたものだからだ。



註2) (その時点では)まだ読んでもいないものに対してはどうこう言うべきではないし、もしそれ(丸写し)が事実だとしてもこの自分はそれを咎めたり文句をつける気持ちはまったくない。それはもうここでも何度も書いているとおりである。



でも、もし丸写しが事実であるのならばこのブログの名前「ジュセリーノ予言の真実」くらいは出してほしかったという気持ちは少しはあったのだけれど。しかしどっちにしてもそのような情報を頂いたとしても自分がその本をわざわざ読むという気にはなれなかった。正直言うと。



註3) まあウィキペディアの記事中「事後公開の予言」の項目、実はそのほとんどが自分がメールで送った文章が「原稿」となっているが。





註4) この本の記述だと、ジュセリーノが書いたフセイン確保に関する予知の文書には期日が記載されていなかったり、あるいは「文書そのものが公開されていない」と読まれてもしまう危険がある。もちろん、ジュセリーノはフセイン確保に関する文書は公表はしている。後だしに過ぎないが。(日本テレビの番組でもチラリと映った)当時ブラジルで問題にされたのはそのことではない。ジュセリーノが最初に公表したその文書には「フセインが潜む場所と期日が併記されていなかったこと」なのだ。

だからブラジルでは「イラク国内を転転と移動していたフセインの居場所だけの情報では、つまり(たとえフセインが隠れていた)場所だけを知らせても(逮捕に繋がるような、懸賞金を受け取れるような確実な情報とはいえないので)意味ないだろうと反論があったのである。



つまり、予言としての真贋が問われたというのではなくて、この程度の情報提供では懸賞金には値しないだろう、米国政府相手に裁判を起こすようなことではないだろうと言われたのだ。



その後ジュセリーノは何を思ったのかはしらないが「●月●日、フセインは××に・・・」というまったく関係のない場所を記載した文書を公表した。もちろん記載されていたのはフセインが逮捕されたチクリートの近くではあるが、なにしろアメリカ軍(正確にはイラク軍であり国連軍なのであるが)はその肝心のフセインの彷徨の軌跡というものの詳しい実態は公表はしていない(米軍にチクった裏切り者の正体をばらすことにもなるからだ)ので誰にもそれが事実かどうかなんて確かめようがないのである。



それで「そんなものを出して来ても『自分の予知は正しかった』という証明にはならないだろう」とジュセリーノは再び反論をうけてしまったのである。

(NSさんの説明によると、だが)









2008年8月26日火曜日

80826 「公式・ジュセリーノの予言掲示板」騒動について


このことに関してチラホラといくつかの情報は寄せられて来ていてはいるがこれといってつかみどころのないものばかりなのでここで書いていいことなのかどうかもずっと思案中だったのだがとりあえず事実だけを記すると「公式・ジュセリーノ掲示板」というわけのわからないものが出来ていた。



「つかみどころがない」というのは、「公式」なはずがないのに堂々と「公式」と謳っているそのセンスの悪さによるため、というのもあるだろう。



さらに、その掲示板に書き込まれている内容が「なんのために誰が」と首を捻りたくなるようなばかりで占められているということもおおきいと思うのだ。



これならば、以前あった(今でもあるのだろうが)「予言者ジュセリーノの予言」(註)にリンクされていた掲示板のほうがまだまだまだ質的には上だったと思うし、その掲示板でならば論争というものが繰り広げられていて、自分もその一方の当事者(註)としての一種のアンガージュマン(かかわり)というものを感じることも出来た。



しかしその「いつのまにかできた公式掲示板」を見た感じでいうとだが「自分にはまったく関係のないものでしかないな」という感想にもなっている。



それもまた「誰がなんのために」がさっぱりわからないからだ。



ところが、これもまたある方からの御報告で知ったのことなのだが、「たま出版BBS」にはこのようなニラサワ氏のコメントもあったのだ。



その方も「不思議ですね」との感想を書かれていた。



返信者:///////

こんにちは

(省略)

早速ですが、ジュセリーノ氏と密な関係なニラサワ様にお伺いしたい事があります。



ジュセリーノ氏の公式掲示板が開設されたと某大型掲示板で見たのですが

本当なんでしょうか?

某大型掲示板でかなり宣伝されていますし

ジュセリーノ氏の写真も連なってます

トップページにちゃんと公式と書かれてあります

ただ、URLがレンタル掲示板のようなので

怖くて書き込む事ができません。



もし、ジュセリーノ氏が許可をした公式ならば問題は無いのですが

そうでなければ後々フィッシング詐欺などに悪用できる事を考えれば

大変問題だと思うのですが・・・



これについてご存知無いでしょうか?

ジュセリーノ氏から何かお伺いされて無いでしょうか?




2008/08/18(Mon) 08:43 [11975]



返信者:ニラサワ

レンタルかどうかはともかく、ジュセリーノさんが承認した公式サイトであることは間違いありません。講演会などの案内が出されていると思います。



2008/08/18(Mon) 13:02 [11978] 。




返信者:////////

早速のお返事ありがとうございます。

韮沢様が公式だとおっしゃるなら安心できます。

ただ、講演会の案内などはありませんでしたが

山川栄一氏には許可は取ってないようです



この返信は削除していただいて結構です



一度ご覧になってみて下さい




2008/08/18(Mon) 19:17 [11981]




というトンチンカンな問答がなされている始末である。まあトンチンカンなのはニラサワ氏による「答」のみだが。



よく読めばわかるが、ニラサワ氏は完全に「ジュセリーノの公式HP日本版」とこの掲示板のことを勘違いしている。



自分が「不思議だなぁ」と首をかしげたのは、質問者が「この返信は削除していただいて結構です」と書いているのにも関わらず削除されずにそのまま、しかも第二伸までもそのまま掲載されていることのほうもしれない。



質問者が(このニラサワコメントに)納得しているのであれば即座に削除されてしかるべきだし第二伸なんかも本来ならば載せる必要なんてないだろう。



なにがどうなっているのかこの自分にはさっぱりわからない。この掲示板に書かれていることに対しては自分は何を聞かれても答えられない。



なので、コメントやメールでこの掲示銀についての自分の感想を求めてくる方々には大変申し訳ないのだが、今の自分には答えになるようなものはなにひとつもない。



そしてこれもつけくわえるべきだろう。自分はこの掲示板を見るつもりも、その必要もないと思っている。



申し訳ない。



                          2008.08.21



註)ここのウィキからも実はリンクはされていたという掲示板(したらば、らしい)である。その掲示板ではかつてこの「ジュセリーノ予言の真実」というブログについての大論争が繰り広げられていたというのである。ある方の表現だと「ジュセリーノ対かまたブログ」という感じなのだという。



が(もちろん自分もみてみたのだが)あとで見返して見る分にはそうでもなかった。単に「肯定派」がひとりかふたりで延々と無意味な書き込みを続けているという感じにしか見えない。まあ結果的に肯定派が惨敗して逃げ去ったようなのでそう見えてしまうだけなのかもしれないが。



【追記】

なにが不思議かといって「これではただ単にニラサワ氏の惚けっぷりを世間に示すためにわざわざコメントを公開している」ようにしか見えないからだ。たま出版のBBSにだって「管理人」ぐらいはいるだろう。これをこのままにしているということはまるで管理人が意図的にニラサワ氏の惚けっぷりを晒すためにそのままにしているようにも見えてしまうということだ。



普通に、普通の会社だったらということだが、もし社長が忙しいとか他の理由でもってその「公式・掲示板」を確かめることができなくてもかわりに誰か会社の人間がそれを見て確かめてそれを社長に報告するだろう。それすらなされていないことに不思議なものを感じるし「ひょっとして意図的にそうなされているのかな?」という憶測もしてしまうのだ。



なんにしても「たま出版BBS」の管理人、もっと会社のためになる仕事をしたほうがいいのではないか。自分が言うことじゃないけれどね。(08.22)



【追記2】

どうやら件の公式掲示板、削除されたようである。いずれはこうなるのではと頭の片隅では思っていたがこっちの予想をはるか上回るマッハの速さで消えてなくなってしまった。

どこでどういうチカラが働いたのかはわからないものの、まあ結果論としてこんなことをいうのではなくて「ニセモノ」ならば当たり前のことなのだと思っている。



というかね、ジュセリーノ自体がニセモノの予言者なんだから、その「公式を名乗る」ニセモノの掲示板の存在自体が自分からすれば「ナンセンス」であり一種のお笑いなのだが。



ジュセリーノ(だけではないのだが)についてはこういうことがあまりに多すぎるので話題として取り上げることにものすごく慎重になってしまうということはあります。



ある意味自分もその「お騒がせ」に乗ってしまったということにもなる。今後はさらなる注意は払いたいとおもっています。(08.24)



【追記】

これについては「独立した記事にしたほうがいいのでは」と言う意見が寄せられた。そういった意見の方方々でも理由は様々である。



その中で自分が「なるほど」と思い、強く動かされたのは「この騒動まだおわっちゃいないぞ」という推測からの意見である。



で、遅ればせながらこのように独立した記事とさせていただいた。(08.25)





2008年8月16日土曜日

80816 2007年12月30日テレビ朝日で放送した番組の一部


2006年12月30日テレビ朝日で放送された番組のジュセリーノを紹介したコーナー

http://jp.youtube.com/watch?v=VviY4f9Bhnk

(※ 削除されている)



約10分(カットしてある個所が数ヶ所約4分ある)

その中の数コマである。ジュセリーノが語っているのは翌年(2007年)地球で起きる大災害について、自分が夢で見たといっているその内容なのである。

20061230-0024

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2007年にはトルコでもパキスタンでもカシミールでも大きな地震はない。

そしてジュセリーノ2008年の9月13日に関することを述べているのである。



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20061230-0025





というかこの時点で2008年の5月に起きた中国四川省を中心とする大地震のことは一言も口にしていない。これではジュセリーノはただの嘘つきということになってしまう。(註)



自分はこれでもジュセリーノのことを庇っているつもりなのだ。「嘘つき」でなければジュセリーノは超の上に超のつく「残忍非道な予言者」ということになる。



結果的にせよ、ジュセリーノは7万を越える尊い命を見殺しにしたのも同然ということになってしまうからだ。ジュセリーノがその気になればたとえこののち得た予知であっても、テレビでこのように警告を発すればよかったはずなのだ。



しかしジュセリーノはそれをしなかった。決して出来なかったことではないはずなのにだ。





ジュセリーノにこの件で問い掛けたいことがあるとすればこうなる。



「オマエは大嘘つき詐欺師なのか、それとも7万以上の尊い人命を見殺しにした冷酷な予言者なのか、どっちなんだ」





(註)厳密には9月が過ぎてアジアの何処にも大きな地震がこなければ、ということだろうが。自分が改めて強調するのは、もちろんこんなジュセリーノのことを本物の予言者と持ち上げてきたメディア・組織・個人全てにもその罪状は当てはまるということだ。



(註)というかひとことご注意を申し上げる。この四川大地震のことを「9月に起きると予言されている地震に較べれば小さい(9月に起きる地震はもっと大きいということ)」とヨタ解釈にもならないことを喚いている人間がいる。



ならば、もし仮に不幸にも9月13日に相当大きな地震がアジアのどこかであったとしてもそれではジュセリーノの予言はあたったことにもなんにもならない。



ジュセリーノにさらに輪を書けたようなオリジナルの「ニセ予言」を世間に向けて広めているだけなのである。



関係者ご家族の方に申し上げたいことがある。悪いことはいわぬ、なんだかの方法で口を塞ぐとか、あるいはそれ相当ふさわしい施設に収監されたし。






2008年8月14日木曜日

80814 ひとこと~ ジュセリーノの再来日についてはこう考える   

ひとこと




 今回予定されているジュセリーノの来日の目的というものがもし「個人レクチャー」というものなのであればそれは阻止されるべきのものであると私は考えております。
 その理由ですが、ジュセリーノが日本で行おうとしていること ― それは「霊能力商法」にあたるものだからです。ジュセリーノは「予言者」を自称している人間だということを抜かして考えてはいけないでしょう。
 もしマスコミがジュセリーノのことを「予言者」として、あるいは彼の「霊能力」というものについて実在し、好意的に報じるというのであれば、それはあきらかに犯罪行為にも等しい行為となる。 ― 私はそう考えております。
 ブラジルにおいてもっとも大多数を占めているジュセリーノの評判、それはただの「詐欺師」である。そのことを抜かしてジュセリーノのことを報道してはいけない。そう強く主張します。
 以上の理由から今回のジュセリーノの来日というものは阻止されるべきものであるし、でなければ、そういう個人レクチャーの開催の事実が明確になった時点でジュセリーノ本人を日本国内の法律で取り締まるべきであろうとここで声明を出すことにしました。被害者が出てからでは遅いのです。
(2008.08.14)

2008年8月13日水曜日

80813 ニラサワコメント・その他(07/24-07/31)




自分が目的としているのは、Yahoo!Japan の検索結果だけでジュセリーノ予言の嘘というものを知らずに暗い気持ちでいる人たちへのアプローチである。そういう人たちに対してこのブログの存在を知ってほしい。ということでご協力をよろしくお願いします。

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ジュセリーノ真実

よろしくおねがいします



※一番上に出てくるこのブログを踏めばまた戻って来ることになります。





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またも大きな地震である。

規模としてはともかく多数の怪我人が出ているということはそれだけ被害が広範囲な地域に及んだということなのだろう。まだはっきりとは言い切れないが、少なくとも自分の周囲にこれといった大きな被害もないし怪我をしたという知り合い、友人・家族、親戚、縁者はいない。



だからといって「よかった」とかそういうことではない。



仙台で生活をするということは、いつまた大きな地震が来て被害にあうかもしれないというリスクを背負いながら毎日を生活してゆくということにほかならないからだ。



地震による被害というもの、それは本当に「明日は我が身」なのである。



(大きな)地震が来る可能性なんて毎日のことなのだ。



自分もそうだし周囲の皆もそうなのだが、そういうリスクというものぐらいは自覚して生活をしている。



だからこそ「●月●日に大地震が来る」なんていうような(まやかしの)予言などに振り回されてなんてはいられないということにもなる。



もし「○月○日に仙台で大きな地震が…」などというようなことをしたり顔でほざく奴が目の前にいたらそれこそ胸倉掴んで首根っこ押さえて「じゃ他の日には来ないと言い切れるのかよ」と問い詰めたい、そんな気分になるのでございます。



仙台でなくてもどこでも、ということになるのだが。



この自分の安否をお気遣いの方からのメール・コメントを頂いている。ありがとうございます。皆さんへの返事はずっあとになりそうなので先にこの場を借りてお礼を申し上げます。



ありがとうございました。



私ことかまたは無事でございます。ひょっとすると(四谷あたりには)舌打ちをしている人がいるのかもしれないが。



なかには、昨夜(未明)から更新がされていないのは「されていない」のではなくて「したくても出来ないからではないか」とお思いになった方もいたようだ。



すまんです。誠に申し訳ない。自分はそんなに几帳面な性格というわけでもないんで。



                         2008.07.24 18:05






これははっきりとした証拠があるというか「事実である」と明確に言えることではないのだけれど、ジュセリーノは「9月13日の大地震は回避された(延期された)」と言い出しているようである。ブログでそう書いている人がいるのだ。



Yという人がブログで「ジュセリーノ友の会の会長、大作武彦(だいさく・たけひこ)がわたし(=Y氏)に対して言ったところによれば『ジュセリーノは最近になって9月13日の大地震は回避(延期)されるかもしれない』と大作氏に対して言った」ということを書いている。



つまりこのY氏が直接ジュセリーノから聞いたということではなく、あくまでも大作氏に取材したときに大作氏の口から出た話でしかないということだ。



だとすれば、これは(現時点では)ジュセリーノの発言であるというよりも、まず「ジュセリーノ友の会」の会長である大作武彦氏の発言でしかないということになる。



なんにしても迷惑な話だということには変わりはないが。



このY氏の記事もだし、大作武彦というひとの発言が仮に事実だとしても、ということだ。



だからこれから自分が書くのはあくまでも「もしこの(大作)発言がジュセリーノによるものとまったく相違ない」という前提でのものになる。(あー、メンドクセー・・・)



この回避(でも延期でもどっちでもいいんだが)予言が事実であるというのであれば、それはどういうことかというと、それはつまり「(今年の9月13日に起きるという地震の)ジュセリーノの予言なんかはじめからいらなものだった」ということをジュセリーノが自分で認めたということにほかならない。



結果的にジュセリーノは「する必要のない予言をしちまった」ということだ。はやいはなしが。



もうひとつ言えば、ジュセリーノの予知の能力なんてそんな(精度の低い)もんでしかないこともジュセリーノ自らが認めたということになるだろう。



というかさ、大作氏も(そしてこのY氏も)ジュセリーノなんてその程度の『自称予言者』でしかないということを世間に対して広めているということになるんだが、(ふたりとも)そこまでは気がつかなかったということか。



ほかではどんな立派なことを言っていたり書いていたりしても、ジュセリーノのことについて肯定的に、あるいは「本物の予言者である」という前提で喋ったり書いたりするとどんな人でも「アホ」に見えてしまうということだ。



文章の中に「ジュセリーノの予言は当る」といれるとアホになります、って「世界のナベアツ」か。



                             2008.07.28

【追記】 

いまさらながらだが、この「Y」というのは作家の山口敏太郎(やまぐち・びんたろう)のことである。この山口敏太郎が東スポ紙上で「週刊新潮」の記事内のかまたのコメントに対して「ヤボだ」と文句を垂れているということを知った。それについての感想であるが、ひとことでいうのであれば「ヤボだと思うというのならばそう思えばいい」それだけだ。



それこそ争点がまったく違っている。



世間が問題にしているのはこのジュセリーノという予言者の予言が本物かあるいはニセモノなのかということだ。この山口という作家の立場からすればそれ自体がヤボだということになるのだろう。そんなことぐらいは言われなくてもわかるよ。



まあだからこれについてははっきりとさせておかなければならないと思うのでここで書いておくのだが、最初に批判の口火を切ったのはむこう(山口)ではなくてむしろこっち(かまた)だということになる。山口敏太郎がこのことを知っていたのか、それとも知らずにいたのかはともかくとして。



なんにしても、このことを教えて頂いた皆様、ありがとうございました。

お礼を申し上げます。



                             2008.08.01






最近また『ジュセリーノ友の会』なんていう訳のわからんものが世間に浮上してきているが、聞けば多摩・小金井あたりで歯科医をしている大作武彦(だいさく・たけひこ)なる人物が会長をしている組織だそうである。「ジュセリーノ友の会」なんていうとまるで陶器の頒布会かなにかみたいな名前だが。



小金井というとあれだ。民主党の衆院議員であり「私はジュセリーノの予言を信じている。彼の予言を手帳に書きとめている。何故そうなるかというとジュセリーノの予言にはファクツ(実績)があるからだ」とテレビで明言した末松義規(すえまつ・よしのり)議員の選挙区でもある。面白い偶然もあるものである。つか偶然なのかなこれは?

                               2008.07.28






「何故そんなにたま出版の韮澤潤一郎氏を目の仇にしたりボロクソに叩くように書くのだ。」「韮澤潤一郎になんか恨みでもあるのか?」というような疑問というかクレームがまた来るようになった。



何度か書いているが、もちろん個人的な怨念であるとかそういうことではない。



一言で言えば「邪魔」だからである。ジュセリーノの予言というもの、あるいは予言者ジュセリーノの実像というものを明らかにする過程において、この「韮澤潤一郎の発言」は邪魔臭い雑音・ノイズでしかないからである。



ジュセリーノに関する誤情報の伝播というものがこれ以上広がるのを防ぐ為のいわば「ノイズ除去」である。「クサいにおいは元から断たなきゃだめ」なのである。



過去の行状というものを振り返ってもらえればひとどころにわかることなのだけれども、彼(韮澤)はジュセリーノについて本当のことを言ったり書いたりしていないのだ。それどころか自分にとって都合の良い「ジュセリーノ像」というものを捏造しては「予言者の幻影」とでもいうべきものを世間に対して広めようとしていた。



たとえれば、ニラサワとは - つまりメディアにおいては一種の「狂った幻灯機」でもある。自分はその電源を引っこ抜いて、この「予言者」を実像よりも大きく見せようとしている不埒な人間たちの目論見を叩き潰そうと思っているということだ。



実際、初期のジュセリーノに関する報道(主に東スポだが)は今振り返ってみると無茶苦茶なデタラメばかりが飛び交っていたのだ。その伝播というものがどれだけ世間に対して影響があったかを考えるとイタズラや笑い話で済ませられるレベルはとっくに通り越している。



自分がここで目的としているのはあくまでもジュセリーノの予言の嘘というものを暴くことだが、その為にも「ジュセリーノ」と「ジュセリーノではないもの」の分別はして決められた曜日にまとめて出しておこうということでもある。それが環境というか省資源のためにもなるからだ。



なんか今でもときどき日テレの朝の番組に出てUFOのこととか喋ったりしているらしいが別にそのこと自体を批判しようとは思わない。ジュセリーノには全然関係のないことだし。



というかあれだけテレビに出ていてジュセリーノのことを一言も喋らせて貰えない『オカルトタレント・韮澤潤一郎』とは一体何者なのか、そのことについては皆も薄々感じていることはあるだろう。まあそういうことです。

                              2008.07.29








【追記】 当初ここで書かれてあったことに若干の事実の未確認の個所があった。その後確認した中で「事実」であることが認められたものについてはそのままに、事実とは確認出来なかった個所については削除あるいは訂正がなされている。



訂正



1 末松義規議員のテレビ出演の際の発言個所



2 東京スボーツ紙上での作家・山口敏太郎のコメント



削除



1 末松議員の頭髪形状に関する推測表現



【追記】



7月31日発売の週刊新潮にジュセリーノ関連の記事が掲載されているが、自分もその取材を受けていた最中でもあった。が、ここではそのことは書けなかった。



中途半端にへんなことをここで書いてその結果どう転がるのか自分にもわからなかったからだ。基本的に守秘すべきことは守秘するということを自分は信条にしている。



このブログではだが。

2008年8月11日月曜日

80811 これもまた想定内の手口(年間予言の書換えについて)

すでにコメントでも寄せられていることだが、ジュセリーノの日本語公式HPの中の「予言一覧」の内容が書き換えられている。



期日を過ぎて、はずれた予言の文末に「~の可能性」という原文には存在しない一語を付け加えたり、(追記)あるいは外れた予言そのものを削除したり、そして悪質なのは「当初は公表されていなかった」つまり事件後にあとから「的中した」と公表した予知文書のものを加えるという手口である。



もっとも自分はこういうことをいずれはやってくるだろうとは予想はしていた。



なぜならジュセリーノ自身が「2006年の年間の予言」というものでもまったく同じことをやっていたことを知っていたからだ。



これは相当前にも書いたことだが、「2007年の四月以降の月別の予言」の訳をここで載せていたとき当時のブラジルでのジュセリーノの行状というものを知っていたJYさんという方から「四月以降の訳をここで公表してもそれは結局無駄になる」ということをしつこいくらいに言われた。そのことである。



ジュセリーノは先行して発表した年間予言の「外れた予言」は消してしまい、新たに別の予言を付け足したり訂正をしたりしていたというのである。



ところがどっこい2007年の年間の予言というものに関しては(日本で)その手口を用いられなかったのは、ジュセリーノの2007年の年間の予言(の日本語版)というものを公表する(公式の)場所というものが「たま出版」のHPだったからだろう。(本家ブラジルのHP内にある2007年分の年間予言の一覧表もすでに消されている)



だから今年2008年の年間の予言(日本語版)の公表というものを(今年になって新たに立ち上げた)自分の公式のHP内で行っているジュセリーノからすれば、書換えや外した予言の削除、後だし予言の付け加えといったことは、「あたりまえのこと」をやらせているにすぎないのかもしれない。



我々日本人の感覚というか価値観からするとこのような「こっそりと書換え(註)」というものはどうしようもない欺瞞でしかないが、ブラジル人の彼らからすればこんなことくらいはあたり前のことなのかもしれない。



それこそ「マリーシオ(註)」ぐらいにしか思ってなさそう、そんな気がしてならない。

(つづく)





註) さらにあとで確認したらほとんど全てのの予言の語尾に「~の可能性」とつける改ざんが行われていた。これではもうまるっきり原文の訳にはなっていない。言ってしまえば「日本語公式ページ」オリジナルの予言である。そもそもこれではジュセリーノの予言とは言えなくなってきたしそれどころかもう「予言」でもないだろう。



註) サッカーでよく使われている言葉である。直訳すれば「悪意」であるが、勝つために反則スレスレの手口を使ったり、あるいはレフリーの見えないところでなら汚いことをしてバレなけれはむしろこの「マリーシオ」という言葉で褒め称えられるのがブラジルのサッカーというものなのである。




(追記)

こっそりと行う「書換え」はもっての他だが、予言の追加・削除を行うのであればちゃんと断わり書きをしなければフェアとはいえないだろう。(新たに掲載した日付けを載せなければアンフェアである)

まあここで「ルール」について彼らに対して説いたところでそれこそ「カエルの面になんとか」でしかないんだろうが。



そもそもが、ジュセリーノの的中したと言って出して来る予言群が「後だし」でしかないわけで、そういう意味ではこの公式ページでのこっそりとした書換え・追加(そして削除)といった行為は実にジュセリーノらしい。そう言えるのかもしれない。



2008年8月8日金曜日

80808 週刊新潮の記事について

もう一週間が経ってしまったということだが、7月31日発売の週刊新潮にジュセリーノの怪しさというものに対してメスを入れた「アンチ・ジュセリーノ」的な内容の記事というものが掲載された。



先述のとおりで、自分はこの記事の取材に対して協力させていただいている。



どういう経緯があったのかというと、単純に向こうからの取材の申し込みがあって自分はそれを受けた、それだけである。



中には「なにかウラのようなものがあるのではないか」とか勘ぐる向きもあるようだが、今回の記事の取材に関してはウラもなにもない。そのままである。



取材は電話で受けた。それが一番いいとおもったからだ。



前にも書いたことだが(だから勘ぐる人も出るのだろうが)自分が雑誌でも他のメディアでも取材を受けたのは実はこれがはじめてというのではない。



ジュセリーノの件に関しても実はこれで三度目か四度目くらいにはなるはずだ。



ただし、先に「記事」の予定というものが立っていて、それに応えるというのははじめてだったし、(ジュセリーノの件で)電話で取材を受けたのもはじめてではあった。

さて、このブログの読者の方で、新潮の記事をお読みになったという方からすれば「物足りない内容と構成」だったかもしれない。



しかし、あくまでもこのようなジャーナル週刊誌の記事というものは「ジュセリーノについてはうっすら名前くらいは知っている、あるいは何も知らない 何の予備知識もない」という読者に向けてのものになるのだ。



聞けば、続報のようなもの、つまり第二段あるいは第三段の記事も考慮中とのことなので、それについては長い目でみてほしいと思う。



自分が記事そのものを目にしたのは大方の皆さんと同じで、(当日の木曜日になって)雑誌を手に取ってからだ。



担当氏からはそれまでの取材のの大まかな概容というものは伝え聞いていたので、まあだいたいが予想していたとおりの内容であった。



自分が語ったことになっている個所について言うのであれば間違いはない、あれはまさしく自分が喋った内容になっている。



当たり前のことなんだけどさ。



ただし、自分が電話で語ったときには記事のように端的で順序立てた喋りはしていないはずだ。流石そこは担当ライター氏のプロの技術というものなのだろう。



実際には記事になったこの行数の、その十倍以上もの時間をかけているのだということはご理解いただきたい。取材とはそういうものなのである。



記事を読んで自分がはじめて知ったということもあった。まあそれはあとでまとめて書くこととする







さて自分が本当に書きたいのはこういったことではない。読者の皆様に対する御報告がある。



自分はこの取材で「取材協力費」というものを受け取った。ただし現金ではなく「図書カード」である。



まあこれはどっちかというと自分の我侭を通させていただいたようなものだ。結果図書カードに落ち着いた。



やはりこの件(ジュセリーノというニセモノの予言者の正体を暴くこと)に関してということだが、自分は金は受け取りたくはない。



「図書券・商品券だって金券だから立派な現金扱いじゃないか」とおっしゃるかたもおいでだろうが。やはり現金と商品券では意味するものは根本的に違うと思うのである。



送っていただいたのが「図書カード」だったことでありがたいし助かったのは、これで堂々とジュセリーノの本を購入できるということだ。



頂いた「取材協力費」を更なる取材というか検証のために使うのだ。



スジは通っているだろう。



あと5冊くらいならばジュセリーノ関連の本が出てもこの頂いた図書カードを使って買えそうである。まあそんなにジュセリーノの本など出るというのはマジ勘弁ではあるが。



で、早速だが「未来予知ノート」を購入した。現在それを繰り返し何度も読んでいるところである。



以前「たま出版から出た本よりはまだ論理的に破綻した内容にはなっていないようだ」と書いたが、どんな本にでも価値を見出せる「ビブリオマニア」的な価値観からは一歩引いて、普通の冷静な目で見れば「まあやっぱりオカシな本である」ことには間違いない。



こんな本を読んで「感動した」とか言っている奴は絶対におかしい。そう思ってしまったのである。



この本の中にも疑惑のその証拠というものはいっぱい詰っている。そういう意味ではやっぱり(自分にとっては)宝の山のようなものだ。



非常に不謹慎なことを言ってしまうのだがなんだかとっても嬉しくなってしまったのである。正直に言うと。







「第二ラウンドが始まった」



それが今の自分の「偽ざる心境」である。





2008年8月6日水曜日

80806 今日は何の日かということは置いといても

今日の8月6日という日がどんな日かぐらいは知っているが、まあはっきりいってどうでもいい。



ジュセリーノが先行して発表した予言の当らならなさぶりというものは2006年(一昨年)の年間の予言ですでに明らかになっていることであるから、どんな予言がなされていてもジュセリーノの予言は常識と確率の範囲内で当らなかったり外れたりする。それだけだ。



もしジュセリーノが日付指定での大地震の予言なんてものをすればそれは殆どが外れる。そういうものだ。あたりまえのことなのだ。(註)



自分は「まるで今日という日が何か特別の日であるかのように暗くなったりあるいは逆にはしゃぐ人がいる」ということに対しては「どこかおかしい」とは感じている。



それは「もう一年と半年もそういう経験をして来た自分からするとだ」とかそういうことではなくて、もっと違う部分で。



でもやはりふつうの人ならば、そういうことになってしまうのかな、しかたのない事なのかなという気持ちはあるのだけれども。



(はしゃぐ奴はもってのほかだが)もし自分がそういう普通の立場であったのならば、ひょっとすると自分もそうなっていたかもしれないという想像はできるということだ。



東京にいる友人や知り合いからは「嘘とわかっていてもやっぱり不気味なものだよ」というような電話やメールが何通か来ている。(註)



でもそういうのを聞くとため息とそして「なんだかなぁ…」という言葉が出てしまったのだ。



仙台在住の自分の立場からだが「ちょっとそれはヌルイよ」とは言っておいたが。





大地震のリスクなんてものは、この日本に住んでいる限りどこにでも毎日あることなのだ。



東京も仙台もそのことだけはかわりはない。



そのことを忘れてはいけない。別に今日という日が過ぎて不安とかが軽減しても、だからといって注意を怠ったり安心していいということには決してならないだろう。



地震とか天災というものは元々がそういうものだ。



そういう「注意」であるとか「警戒心」というものを常に持っていれば、そもそもこんな偽の予言なんていうような「心の闇に入り込んでこようとするもの」など簡単に撃退できるはずなのだが。



違うだろうか?



                         2008.08.06 22:00






註)「TT」さんによれば「ジュセリーノの日付入りの地震の予言はまず当らない」と言う。

ジュセリーノは過去70個以上もの日本で起きる大小の地震の予言というものをしているという。(ずいぶん多いんだな)日付で公表しているものが約四分の一の15個程度。もちろんその全てが外れている。少なくとも言葉とおりに的中したものはもっとアバウトな「月指定のもの」くらいだからだ。



たとえばこれからジュセリーノがこのような日付指定の予言をしていったとして、「どのくらいの数の予言を事前公表すれば少なくとも日付上ピッタンコな予言が現れるか」というと、おおよそだが「180を越えると1/2を越える確率で起こり得る」のだそうだ。



つまりあと165個の(日付入りの)大地震の予言を公表すればそのうちに当るかもしれないということだ。



さらに言えば、これも計算上ということだがこのペースだとあと少なくとも10年は掛かるということだ。



1/180というのがどこから来た根拠なのかが気になるが、「TT」さんによれば、半年の間、毎日毎日「大地震が来る」と言ってればそのうちに当るのとまったく同じことなのだそうだ。言われてみれば確かにそうだ。(追記あり)



ただしピッタンコ合致するのはあくまでも日付だけで、場所までぴったり当るということではないうことだ。



ジュセリーノが阪神淡路大震災やスマトラ沖大地震を日付と場所までピッタリ当てたと言っているのがいかにうそ臭いはなしなのかがよくわかる。 



本物の予言者への道というものは非常に険しくそして長い。我々の前にあらわれるのは偽の予言者だけだ。








註)確かに仙台と較べて東京の場合「大地震」というと、差し迫る恐怖は地震そのものよりもその後にやってくる「火事」であるとかの二次災害のほうだろう。数年前までこの自分もリアルに感じていた恐怖である。そのことを忘れたというのではない。



自分が長く住んでいたのは葛飾区。地震による地盤の液状化現象というものが一番懸念されているところであったし。次に長くいたのが世田谷で、その中でも大地震で想定される「火災」の被害が深刻だとされている場所であった。自分が在籍していた事務所が一時期入っていた雑居ビルは耐震性能に問題があると判断されていたが20年もの間、外壁の補強とかはしていたものの本格的な耐震補強はされずにいたのだった。しかし聞くところによるとついに最近取り壊されたようである。



でもね、東京を離れて仙台近郊に住むようになったからといってその地震の恐怖から逃れられたということではない。むしろ逆でね。なにしろ実家のすぐ傍を世界的にも有名な活断層地帯が走っているからだ。



追記



あまり厳密には考えないでほしい。こういう理屈である。



毎日ずっと「今日は大地震が起きる」と言い続けていれば、(日本で年に一度は大きな被害のある大地震が起きているわけだから)半年(180日)を越えた時点でその「今日は大地震が起きる」という予言は当る確率は高くなるのである。



年に二回と考えると180日がその半分の90日となるが、ここ数年の現状を見ると年に二回は起きてはいない。せいぜい「9ヶ月に一度」あるいは「年に1.5回」くらいだ。



この半年(つまり約180日)というものをどのように分散しても「予言が実現する」その確率の総和というものはほとんどなんの影響も受けずに等しくなる。



したがって(この日本でならば)分散して行う「今日は大地震が起きる」の予言180日分が当る確率は(毎日続けて半年経った時点のものと)同じになるのである。



もちろん「地震」そのものには特異日という地震が起こりやすい日など存在しないからである。これが「TT」さんの言うところの「180回を越えれば」の論拠である。



どっちにしてもあまり真面目な議論とはいえない。そのこと自分も彼もわかっていてこのようなことを言っているのでこれについては反論とかされても困る。あくまでもひとつの目安としてということだ。






2008年8月4日月曜日

80804 謹告 東京スポーツ新聞の取材をお断りした件について

謹 告
東京スポーツ新聞の取材をお断りした件について


東京スポーツ新聞8月1日号(7月31日発売)紙面のための取材依頼が同社文化部より寄せられましたが謹んでお断りさせていただきました。その理由について簡単に述べさせていただきますと、同紙は過去に何度もジュセリーノの予言について事実ととは異なるジュセリーノに関する報道を繰り返してきたメディアであること、同紙の取材方法に対しては信頼が置けないと判断する材料があったこと、そして「ジュセリーノ真贋論争」というもので紙面を盛り上げようという同紙のやりかたには協力は出来ないということです。

もし韮澤潤一郎氏がこのかまたに対して反論というものがあるのであれば(反論ができるんであれば、ということですが)「たまBBS(掲示板)」上でされればいいこと。

ジュセリーノの予言に対して肯定的な意見を持っている「たまBBS」の常連投稿者の皆様もそれを望んでいるのではないでしょうか。

80801 東スポからも取材の依頼がありました。断わったけれど。
80802 東スポからも取材の依頼がありました。2(疑惑画像付)


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2008年8月3日日曜日

80803 お知らせ 週刊新潮の記事の件

【80803】 お知らせ 週刊新潮の記事の件

お知らせ
週刊新潮の記事の件

7月31日(木)発売の週刊新潮にジュセリーノ関連の記事が掲載されております。これまで雑誌の特集記事にありがちだった、ろくすっぽ調査もせずにジュセリーノと彼の予言について肯定的に構成したものではなく、ジュセリーノの予言のいかがわしさについてメスを入れた内容になっております。是非ご一読を。
私「かまたあきよし」もこの取材に対して協力させていただいております。(コメントが掲載されています)

特集:週刊新潮の記事関連
画像[日本テレビで放送された番組]
画像[アダム航空機墜落予知の手紙]



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2008年8月1日金曜日

80801 東スポからも取材の依頼がありました。断わったけれど。

  

【80801】 東スポからも取材の依頼がありました。断わったけれど。



週刊新潮の記事のことはあとで書くとする。実は新潮だけではなく(この新潮の記事が出るという前提でだが)東京スボーツからも取材の依頼があったのだ。



断わったが。考えるもなにもない。メールで依頼が来たのを確認して(それでも質問に対して答えてはやったのだ)返信を送り返した。こんな感じだ。

お断りします。構成上どうしても必要なときは(プログ『ジュセリーノ予言の真実』のかまたあきよし、と)名前を出して「東スポにはノー・コメント」とだけお書きください。



なんでかといえば いうまでもないことが「信用が置けない」からだ。東スポだと自分が発言していないことまで自分の発言として書かれたりする危険が大きいと判断した。それでこういう処置をとらせていただいた。



東スポにとっては毎日出している新聞のコラム記事での無名のブロガーの発言(まあ多分ほんの数行といったところだろう)など、テキトーにねじ曲げたり脚色しておもしろくしてやろうという気持ちになるのは実はよくわかる。そのようなことは日常茶飯事、東スポの記事なんて半分はそうやって成立しているようなもんだからね。



実際、送られてきたメールの中にある質問の中には「あ こりゃトラップ(罠)だな」とすぐに気がつくようなあっさい質問があったのだ。
※問い合わせが多かったのでその向こうが出して来た質問の部分だけをここで転記する

3 ジュセリーノは「関東地方に今年の8月6日と2010年(月日は指定せず)、関東大震災クラスの地震が起こる」と予言しています。これは本当に起こってしまうのでしょうか。

あのね、答えられるわけないでしょ、こんな質問に。誰に対して質問をしているんだかわかっていないんじゃないのか。そう思うくらいの愚問であるこれは。もしあなたが「予言を否定している『かまた』の立場だったらこの質問に対してはどう答えますか(答えは追記部分で)




まあそれでそういう「取材に対してはお断わり申し上げるという意志」の内容のメールを送り返したのである。



そうしたら、案の定東スポからは第二伸のメールが来て、「もしかすると会社の判断で質問に対する答えの部分をつけ加えて書くかもしれないのでご了解ください」とまるで「捏造するぞ」という予告ともとれることが書いてあったのだ。



このメールを送って来た担当の人間に対しては同情はするけれど、そりゃいくらなんでもやっちゃいかんことだろう。いくらなんでも。



こっちとしては「拒否する」 構成上(新潮に載った記事に対するものになるからだ)必要なときは「東スポに対してはノーコメント」とだけ書け、と明解に態度を示しているのだ。(07.08.01)



「そのあと」ということだが、自分は「蜜柑夢」さんのコメントによって、明日(07.31)の東スポで韮澤潤一郎が「週刊新潮」の記事の内容に対して反論をするということを知った。



つまりどう考えても、もし自分が東スポの取材に対して答えていたりしたらそれは「同じ記事の中に自分のコメントと韮澤潤一郎の反論が同居」することになっていたということだ。



なるほど、これで自分は合点がいった。東スポとしてははじめから「週刊新潮」に自分の発言が名入りで掲載されることを知っていて(なおかつ韮澤潤一郎の新潮の記事に対する反論を予定していて、それを伏せたまま)この自分に対して取材を申し込んできたということになる。



危なかったなぁ。まんまと東スポにハメられるところだった。



こういうことをやるから東スポの取材に対しては協力的にはなれないんだよ。



                               2008.08.01



【追記】



自分が東スポからの(最初の)メールに書いて送った答えというか・文面をここにそのまま書き写す(誤字脱字の個所もそのままにしてある)



予言を否定している自分に対する質問しては不適切だと思います。

まずジュセリーノの予言自体がはっきりとしていないので答えようがない。

予言なんてぇものは事前に語った言葉が全てまるまる当ってなければ本来「的中した」とはいえない。そのジュセリーノの予言というものがわからないので答えようがありません。



たとえジュセリーノによる予言の文言というものが明確になったとしてもこの質問に対しては「わからない」としか答えようがありません。

「来る」に対して「こない」と明言するのも一種の予言です。予言というものを否定している自分がこのような質問に答えるはずがない。

はっきりいって自分はこの質問そのものが程度の低いトラップのようなものだと捉えています。




長い返答になっているがこれでも質問に対する答えとしては必要最低限に短くしたつもりである。しかしむこうからすればこんな長い返答が帰って来て、果して彼らはこのかまたの返答をどのように処置するのであろう。そのままが紙面に載るとは到底考えられない。