携帯用1 携帯用2 06年の月別の予言と結果判定(携帯用)
ジュセリーノ予言 ここがヘン! (携帯用)
■郵便番号のケタが違う■ジュセリーノが1989年にブラジルで最も有名なスピリチュアリストであるチコ・チャベールに対して「あなたは2002年に死ぬであろう」という予知の手紙を出したとしてその手紙が公開されたのだが(たま出版『未来からの警告』に記述あり)、その手紙につけられていた郵便の配達証明のことがブラジルではちょっとした話題になった。(はっきり言えば笑いものにされたのである)というのも1989年当時のブラジルで用いられていた郵便番号は五桁だったのに、ジュセリーノの公開した手紙につけられていた配達証明の郵便番号は八桁だったからだ。したがってジュセリーノが1989年に出したというのはまずもって「嘘」ということになる。ちなみにこのシャベールが亡くなったのは2002年の6月でそのころもまだ郵便番号は五桁が用いられていた。つまりどう考えてもジュセリーノがこの手紙の配達証明をとったのはシャベールの死後ということになる。
■911テロを予言■ (その1) 「私は二機の飛行機が高いビルに向かって行き衝突する未来(ヴィジョン)を見たのです」と書いたブッシュ大統領(父)への手紙の中で「私は現在クリチーバで休暇中」と書いているのにもかかわらず、その「手紙」を届けた公証所はブラジリア区管内のもの。しかも同じ日付!ちなみにブラジリア特別区とパラナ州のクリチバとの距離は約900キロメートル(東京-札幌間とほぼ同じ)。「ちょっと役所に届けを出してから手紙を出して来る」というような距離ではない。どう考えてもどちらかの日付を偽造したのであろう。では何故そんなことをしなければならなかったのか。それを考えれば、「予言」自体があとからでっちあげたものであり(手紙も公証届けも)共に偽造したものであるとすればこのようなちぐはぐな点も納得できる。(ブラジルでの報道より) ※ その後ジュセリーノはそういう追及をかわすためにだと思われるが その問題となった公証所のスタンプ(印紙登録)の上から別の証書を貼り付けるというようなことをして この手紙にかかる疑惑を逃れようとしている。(9月25日放送の番組でもこの手紙の実物が流されたが、裏側には明らかにあとから貼り付けた証書-領収書のようなものらしい-が見て取れた) (その2) ジュセリーノは「911テロの警告の手紙をマイアミ・ヘラルド国際版編集部に事前に送っていた。そして編集部から掲載の拒否を伝える返事をもらったと語っている。しかしその「手紙」をよく見ると署名の部分だけフォント(字体)が違っていたり、編集部の使用するレターヘッド(トレードマーク)ではなくて、別の関連会社(マイアミ・ヘラルド出版)のものだったりと、切り貼りして偽造の疑いがもたれてもしかたのないものである。また、名前を使われた「マイアミ・ヘラルド国際版編集部」もこの「返事」を出したことは否定している。■チェルノブイリ原発事故を予言■ ジュセリーノは1980年にチェルノブイリでの原発事故(1986年)を予知して、それを航空便で《ウクライナ大統領=PRESIDENT》に手紙として送った」と語っている。(ジュセリーノ自身が大統領(PRESIDENT)と言っているのであって翻訳の間違いということではない)。しかし、ウクライナという国の政治体制が変わって大統領制度になったのは1991年のソ連崩壊以降である。で、ジュセリーノが航空便で手紙を送った「ウクライナの大統領」って誰なんだろう? ■F1ドライバー アイルトン・セナの事故死は殺人?■ (その1) ジュセリーノはF1ドライバーアイルトン・セナの事故死(1994年)を予知して何年も前から本人に手紙を送っていたと語っている。その手紙によると、セナの周囲にはセナを暗殺しようとする企みがあり、チーム関係者によって暗殺されると警告していたのだという。しかし、よく考えてみるとおかしな話なのである。まず、ジュセリーノの語るその「暗殺計画」のお粗末さである。なんとジュセリーノはセナの暗殺の実行犯が三人(オーナーと整備士とタイヤ交換士だそうだ)であると言っているのである。しかし、今のF1(1970年代以降)ってタイヤ一個に三人以上のクルーがついていて、たとえそのうちのひとりにそういう企みがあっても隠し通せるものではないし、それにセナの「事故」にはタイヤの整備不良の事実はない。 (その2) セナの直接の死因は、セナ(のクルマ)がウォールに激突した際に飛び散ったパーツ(サスの一部だと言われている)がヘルメットのバイザーを突き破りセナの顔面に衝突して起きた顔面の複雑骨折と脳管損傷であった。ウォールに衝突した際のショック死でもなければ出血多量によるものではない。つまり狙っても起こりえないような偶然の出来事が起きてしまったのであって、とてもではないがこれを「暗殺計画」というのであればこんな偶然に頼ったような「お粗末な計画」を立てるような人間がいたとは思えない。 (その3) そしてもっと不思議な事実が最近判明した。 このセナの直接死因であるが、ブラジルで出版されたマリオ・エンジオ著の「O HOMEM A FRENTE DAS PROFECIAS」という本には正しく書かれていないということである。 これはブラジルの人とメールでやりとりしたときに浮かんできた「疑惑」である。私がメールで「セナの本当の、つまり直接の死因」について書いたところ、そのブラジル人の方は「そんなことはジュセリーノの本には書かれていなかった!」と断言したのである。 しかし、この本を翻訳したま出版から3月に出た「未来からの警告」には何故かセナの死因について「マシーンの破片(サスペンション・アーム)が、セナのヘルメットのバイザーを貫通して、頭部を弾丸のように直撃したのだった。」と書かれているのである。(116ページ 第三版で確認) ジュセリーノ本人も著者のマリオ・エンジオさえも無視したこの部分をあえて書き加えたのは何故なのであろうか。ちなみにこれは参考までに書き加えておくが、セナの事故死からこのジュセリーノの予言の欺瞞(ぎまん)について指摘し、しつこいくらいにこの事実(セナの直接の死因)について書いていたのは日本広しといえ、私のこのブログだけなのだそうである。(「みち☆まり」さんという方の調査による) もしこれが本当に事実だとしたらとんでもない話だ。ジュセリーノの予言がどうこうという話では済まなくなる。 これについてはたま出版、及び監修者の韮沢潤一郎氏に対して明解な事実説明を求めたいところである。そしてそれがこの本を買ったという読者に対する誠意というものではないだろうか。 ■インドネシア航空機墜落事故 不都合な真実の発覚■ (その1) 2007年1月1日、乗客乗員102名が搭乗したインドネシアのアダム航空機574便が墜落するという事故が起きた。ジュセリーノはこの事故の直後に「自分が予知していた事故が起きた」と言ってその予言の文書を公開したのであるが、これが後にとんでもない疑惑を招く元となってしまったのである。ジュセリーノのその予言文書によれば「事故機はスラウェシ島という島の山中に墜落して生存者の可能性もある」となっており、当初それは事故の模様そのままだと思われたのだ。しかし、数日後とんでもない事実が発覚した。なんと事故機が山中に墜落して生存者が確認されたというのは地元の人間による噂話でしかなく、現実にスラウェシ島のどこを探しても事故機の破片のひとかけらも発見できなかったのである。そしてインドネシア軍は事故機が海中に墜落した可能性が高いことと、初期に流れた報道が誤報でしかなかったことを認めたのである。 つまり、ジュセリーノは事故を予知としたのではなく誤報をそのまま予知してしまったということになるのだ。どういうことかといえば、ジュセリーノは「自分の予知は当った」といっているのであるから、ジュセリーノは事故の本当の模様はわからなかったということであり、誤報そのままの予知を発表したということは誤報を知った段階であとからその予知文書を偽造したとしか説明のしようがないのである。 (その2) そしてさらなる疑惑が持ち上がる。 日本で出ている「未来からの警告」という本の中ではこの事故が監修者韮澤潤一郎氏によって「ジュセリーノの予言どおりにこの事故は起きて飛行機は山中に墜落した」と書かれていることである。韮沢氏がこの監修文を書けたのはどんなに速くても今年の1月18日以降になる。つまりその時点でこの事故機がスラウェシ島の山中ではなく、海中に没したということは破片の漂着や遺体ま回収の状況からみて確実になったいたころだからだ。つまり、韮沢氏はジュセリーノの予言があとから捏造したニセモノであることを知っていながら「事故機はジュセリーノの予知のとおりになった」と書き、読者を欺いたのは間違いないということになるのである。上記の点を含め、韮沢氏は読者に対してこの疑惑に対して答える義務はあるはずなのである。しかし未だもって沈黙を守っている。というか何もいえないというのが真相であろう。(2007.11.27 追加更新)