2007年7月29日日曜日

070729 末松議員のブログのこと

コメントの数がどれだけ多くともその内容がいかに酷いものであろうとも、そのことでたじろいだり嘆いたりはしない。「そういうものだろう」という予想を立ててはじめたことだからである。

ただし、オン・デマンドな、早急な対応というものは無理だろうということでコメント欄は閉じさせてもらっている。しかしメールは、返事のできるものに関しては出来得る限り返事をして来た。

それでもまさか現職の国会議員のブログで書いたことの尻拭いのために自分のこのブログが活用されるとは正直思ってもいなかったのであるが。

事実関係からいうと、末松義規(すえまつ・よしき)という衆院議員がブログでたま出版から出た「未未からの警告 ジュセリーノ予言集I」を読んで、その本には「『7月13日、日本に大地震がある』という予言が書かれているので皆さんご注意を」と書いたことに対する読者の反応が飛んでもないことになってしまったのである。

コメント欄が、いわゆる「炎上」してしまったのである。

この人はこの直後にも新潟の地震被災地への巡行というものについてついうっかりではすまないようなことを書いてしまいそのことでも謝罪と訂正をしている。

そして7月29日現在でも「ジュセリーノの予言」についての新しい表明はされていない。

さて、その末松議員のブログのその記事のコメント欄にかなり早い時期に
「このブログぐらいは見るように」と、この自分のブログへのリンクを書き込んだ方がいたのである。

そのためだと思うのだが、いつもとは明らかに質の違うコメントやらメールが多数送られてきたのだ。メールで100通近く、コメントも実数はともかくやはり100以上は来たのではないか。

まさに自分にとってもこの事件は単なる「対岸の火事」では済まなかったのである。

自分は、その末松議員のブログのコメント欄にここへのリンクを貼った方に対しては「ナイス・プレーでした」という感謝の意を表したいと思っている。

そのおかげで自分が目標としていること、やらなくてはいけないと思ったことが形として実現したからである。

「こういうときのためにもこのブログをやっていてよかったと思っている」ということである。

さてその寄せられたコメントやらメールの内容だが、やはり一番多いのは「現職の国会議員が書いたことなのでものすごく心配していたのですが、このブログを読んでジュセリーノの予言というものがまったくのデタラメだということを知って安心しました」というようなものであった。

まあこのブログを2月に「ジュセリーノの予言の真実」としてジュセリーノの予言の嘘というものを暴く内容に特化させる直前とほぼ同じような感じである。

一言、これは認めておかなければならないとは思うのだが、やはり国会議員の発言であるとか書いたことというものには大きな影響力というものがあるのだということだ。

さてその「末松議員のブログの内容についてどう思うか?」という質問もかなり寄せられている。なるべく早めに対応しておけばよかったのだろうが、自分はこの末松議員のこの発言というものを「単なる一議員の発言」だとかそういう領域でのみ「ああだこうだ」と言ってはいけない種類のものだと思っている。

どうしてもこの人の所属している政党との関係なくして肝心肝要なことは言えないのではないかと懸念している。

しかし、今この時期はなんの因果か「参院選挙期間中」であって今自分がその政党であるとかについて踏み込んで書いたりするとあらぬ誤解を招いたりする危険がある。それで今まで自重させていただいた。

自分の書いたほかの記事を読んでもらえればすぐにわかることだけれども、私は今の民主党というものを嫌っている。それは隠してもしかたのないことだ。

何故「今の民主党」を嫌っているかと言えば、それは「結党当初に掲げた大目標」というものが勝手に捻じ曲げられてしまっているからだ。

自分達はやっちゃいけないはずの「数の論理」というものに頼るような形になり、自分たちの信念を曲げたというかひっこめたことに対する怒りである。

「横道に反れちゃったな」と感じたのはもう10年も前のことか。「道」の漢字が違いますか、そうですか。

それと関係があるのかどうかはわからないけれども、ここから出てくる「新人議員」には明らかな特徴というものがある。

「言っていることにリアリティーが感じられない」という一大特徴である。まあこれは多分自分の想像でしかないのだが「上がそうだからではないのか」と思うのである。「アタマがそうだからしょうがないんじゃないの」というような下衆な推測になってしまうのであるが。

そのリアリティのなさというものがそのまま例の永田元議員が引き起こした「偽メール」事件であるとか、この末松議員のようなオカルトを信じてしまうというところに繋がるのではないか、などと思ったりもするのである。

さて、その末松議員の書いたという記事を読んでの感想である。

自分には、この末松議員が本当に「未未からの警告」という本を読んだとは思えないのである。もし本当にあの本を読んでいたのならばああいう感想は書けないだろうという疑念を抱いている。

あくまでも可能性ではあるが、側近の誰かが読んでいた本の感想であるとか書かれている内容をちょこちょこと聞きかじり、まるで「読んだような気になって」ああいうことを書いたのではないだろうかと思っているのだ。

いわゆる「バーチャル・リアリティ」ではないが、他人の経験というものをまるで自分の経験であるかのように勘違いした人間が書くような文章の臭いが漂うのだ。

それこそ「韮沢コラム」において韮沢潤一郎氏が繰り広げているのと同じ臭いであり、文章の書き方である。

そして自分は断言するのである。あの時点で絶対に末松義規議員は「未未からの警告」という本を実際には読んではいないなと。

つまり読んでもいないからこそああいう記事が書けるのであり、「7月13日に大地震があるという予言がされていますので気をつけて下さい」なとど言えてしまうのであろうと。

そのことについてはあまり責める気持ちはない。大体が政治家なんてそんなもんだからだ。

しかし、自分に寄せられたコメントの中には末松議員に対して「裏切られた」であるとか「軽率すぎる」という怒りを表明したものが日に日に多くなっている。

実際、議員のブログのコメント欄を見てもそうだし、そういう怒りを感じたという人はものすごく多いのではないだろうか。

やはり自分もこの末松議員に対しては、ジュセリーノの予言なんていうものについて肯定的な意見をしたという事実があるのであるからそのことに対してはちゃんとした対応をすべきであろうと思う。なし崩し的にぐずぐすと時間が経つのを待つ、なんてことはすべきではないだろう。

で、さてここで末松議員への提言である。末松氏が国会議員であるがゆえの提言になる。

ジュセリーノは阪神淡路大震災を予言してそれを政府関係者に事前に手紙で警告していたと言っている。そしてその返礼状も受け取ったと言っているのである。たまの本からは削除されているが昨年末放送になったテレビ朝日の番組でははっきりそう言っていたし、(註1)原書にもしっかりと日本政府に手紙を何度も書いて送った、と書いている(ので放送でもそう言っていたのである)。

もしこれが本当ならば忌々(ゆゆ)しきことである。日本政府はそのような重大な警告の文書を受け取っておりながらそれを隠しているということになるからだ。

ジュセリーノのあの本を読んで内容を信じていて、そのことに対して義憤を感じないというのであれば「何が国会議員だ」ということにもなりかねないのである。

であるからして末松議員には、もし本当にあのジュセリーノの本を読んでいて内容について今でも肯定的に捉えているというのであればだが、この「ジュセリーノが日本政府に送ったという手紙の存在」というものについて徹底的に政府に対して追求してほしいのである。いやマジで。

そう思うのは私だけではあるまい。これを読んで私のこの意見に同意したという方はそれを末松議員に対して伝えてはくれまいか。

以上が私こと「かまたあきよし」からのお願いです。

私はあなたがブログで書いたことで引き起こした事件のある種の「被害者」でもあるのですよ、末松さん。まあ自分じゃ被害者だとは思ってもないけどね。




註1 「(日本政府関係者から)返事を受け取った」という個所はカットされたようである。

そのためにかそのテレビで流れたナレーション全体がギクシャクした感じになってしまっている。

「各国政府から感謝の手紙を受け取っているというジュセリーノ」というすぐあとに「この阪神淡路大震災についての予言の手紙を送ったジュセリーノ…」というというようなことを紹介しているのだが、それでナレーション文の頭尾が噛みあっていないのだ。

当然ながら各国政府から感謝の手紙を受け取ったという例としてこの阪神淡路大震災のことが取り上げられているのかと思うと、最後までよく耳をそばだてて聴くとそうではないようなのである。

これでは「なんだよ送っただけか」かとなるし、注意深く聞いていないとまるでジュセリーノが日本政府(関係者)から感謝の手紙を受け取ったかのような印象を受け取りかねない。

それにしてもこの番組(だけではないのだが)、やたら「世界的な大事件を予言したジュセリーノ」を連呼したりして、あきらかに視聴者をミスリードさせるようなナレーションばかりである。

これでははじめから捏造を目的としてジュセリーノの予言を紹介しているといわれてもしかたがないであろう。

かつて自分はテレビ朝日の番組製作関係者が仕事の場所で「所詮バラエティは嘘だろうがなんだろうが数字取ってナンボ」というようなことを言うのを見たことがあった。

それだけじゃないよ。同席していた友人でもある放送作家が「でも(すぐばれるような浅はかな)嘘はいかんでしょ…」というと、このテレ朝番組関係者は立ち上がり「ナンダテメエ」と唸ると、テーブル越しにいきなりその作家の胸倉を捕んで「だったら(そんなこと言う奴は)ここ(番組制作の現場という意味か)から出て行け!」と突き飛ばすようにして押したところまで見ている。

こんなのは一度や二度のことではないのだ。

民放の製作の現場なんてどこでもそんなもんなのである。たぶん今でも。

民放のバラエテイ番組制作の人間とは、結局のところ嘘を数字(視聴率)に変換することでのみ生き長らえている悲しい生き物であり、その集まりなのである。