13日の地震の予言がハズれたからといって特にこれといって感想はない。
それは今までここで書いて来た通りである。
またひとつ外れた予言が増えた、というだけの話でしかない。
ただ、必ずや「来年の予言であるから外れたことにはならない」とか言い出す人間は出てくるのであろうが。
しかし、たとえ来年の7月の13日、日本に地震が起きたとしてもジュセリーノの予言は当ったことにはならない。
何故か、それはジュセリーノの過去にして来た予言というものをもう一度読めばよくわかる。
このような予言をした例があったのかどうかだ。
それと、必ずや「霊的には」とか話を別の方向にもって行ってこの「予言」を当ったことにしたがる人間も出てくるであろう。
そんなもんなんです。予言が外れたときの「言い訳」なんて。
それと、韮沢コラムの感想を求められるのであるが、今は何も言いたくはないというのが本音のところであります。
というか、わざわざコピペしてメールで送って来て下さった方がいて、まともに読もうとしたのだが、途中で止めた。
ただ、これははっきり言っておくけれども、非常に気分が悪い。なにかひとつくらいは書いておこうとも思ったのだが止めておく。今それについて書くと罵詈雑言になるだけだと思う。もう少し冷静になってからにします。しばらくお待ちを。いつものように揶揄する気分でもないのです。
申し訳ない。
そんなところです。
筑紫哲也か。