2007年6月8日金曜日

070608 またまたセナの死について 8くらい?(2)

【ジュセリーノ予言の真実 0607】 またまたセナの死について 8くらい?

で、なにがかというと、まず初っ端からこうなっているというのだ。

当時連戦連勝を続けていたアイルトン・セナにかなうドライバーはいなかった。そして全盛期に事故で死んだ

事実関係だけをまず書いておく。

91年、セナは7勝(全16戦)を挙げてチャンピオンになった。がしかし翌年の92年はわずか3勝(全16戦)にとどまり(年総合成績4位)、93年こそ5勝(全16戦)を挙げたもののウイリアムス・ルノーのプロストにはかなわなかったのである。そしてその94年のシーズンもセナは2戦連続してリタイアしてしまい、ベネトンのシューマッハに大きく水を開けられてスタートしていたのである。

とてもではないが当時のセナが「連戦連勝向かうところ敵なし」などという状態ではなかったことだけは動かしようのない事実だ。
だからこそセナは93年末に空くウイリアムスのシートを一年間待って移籍を決意したのである。事実はその逆だったのである。

まして

95年に台頭してきたM・シューマッハ…

などと書いていたとしたら「いったいどこの世界のF1の歴史のことなのか」と言いたくもなるのである。


こればかりではない。このわずか数ページの中にこのような歴史的にどう考えてもおかしなことばかりが書かれているのである。

そしてそれは何の目的の為にそうしているかというと、ひとつはそのジュセリーノの予言というものがさも当ったかのように見せるための下地としてそうなっているということはできるだろう。

そしてもうひとつは、この部分を考えてみると、幾つかの推理をめぐらせてみると「預言者ジュセリーノ」という人間の正体は見えてくるのである。

「いっちょかみ」というやつだ。現在から過去を振り返ったときに印象として強く残っている事実でのみ過去の出来事を再構成して、そこにまるで自分が既に予見していたという「事実のでっちあげ」を組み込ませれば一見、何も知らないでいる人間に対してはさもそういうことがあったとしても不思議はないなと思い込ませることはできるてしまうのである。

がしかし、ひとつひとつの出来事をちゃんと時間軸列に並べ直して考えてみると、このようにジュセリーノにとっては好ましくない事実というものがいくつもいくつもでてきてしまうのである。

同じようなことがチェルノブイリの原発事故にも言える。現在から過去に遡った見方をしてしまいついうっかり「1980年当時にウクライナの大統領に警告の手紙を送った」などと言ってしまうのである。言うだけではない。そういうメモさえも偽造してしまうのである。

あるいは、911のテロを予告した手紙の中にブラジリアから遠く離れたクリチーバで休暇中とか書いておきながらも、ついうっかり手紙とブラジリアの公証所に届けた日付を一致させなければという前提にとらわれてみっともないミスをしでかしてしまうのである。

事実というものを仔細に見つめる目と思考能力というものがあれば絶対にこんな安易なトリックなどにはひっかかったりはしないものだ。
そんな罠にひっかかってしまう人間などというのは何かがものすごく足りないか、でなければアタマの中になにか余計なものがぎっしりと詰っていて視界がふさがれて狭くなってしまっているかなのだと思う。
マリオ・エンシオというこの本の著者のことであるが、そういう馬鹿でなければということだが、どう考えてもジュセリーノの共犯者の臭いしか漂ってこないのである。