2007年7月7日土曜日

070707 オカルト芸人ニラサワさん誕生 その1

自分はジュセリーノの予言を取り上げた昨年末放送のテレ朝の番組を「いちかわ・ひろし」氏という方から、録画したDVDディスクを借りて見ることができた。その「いちかわ・ひろし」氏からは05年に放送された「たけしの年末超常現象スペシャル」を録画したものもお借りしている。

自分はこの番組は放送時に見ている。その感想を確かこのブログにも書いているはずだ。

ノストラダムスの預言詩を無理矢理な訳をつけて「オリンピックの年に」とした部分について「ノストラダムスの時代にはオリンピック(あくまでも古代オリンピックの方である)なんて大会(いまの感覚でいえばギリシャとその近隣国だけで行なわれている『国体』みたいなものだ)はやってないのでこの訳はおかしい」と文句を垂れている。

この部分は素直に「オリンポス」と訳すしかないのだと。そしてオリンポスの都市(オランピア)のことか、山(火山)のことなのか、その神殿のことなのか、それともここであった戦いのことなのかそれについて考えるのを、そういうのを「解釈」という。

それを「オリンピックの年に」とか訳するのはもはや訳ではなくて「解釈」でもない。何故かといえば、どう考えても「都市=年」と引っ掛けた日本語のダジャレでしかないからだ。

「いちかわ・ひろし」氏はそう書いた自分の記事を読んで「感心した」と言ってきて下さった。

この「いちかわ・ひろし」氏の協力がなければ今自分はこうして丸々「ジュセリーノの予言」のためのブログなどはやってはいないであろう。

その「いちかわ・ひろし」氏から「1997年以前たま出版の韮沢潤一郎氏がテレビ出演の際の発言について詳しく教えて欲しい」という要望があったのでそれについて調べていた。

以前「いちかわ・ひろし」氏から「韮沢潤一郎氏が『ニラサワさん』として、つまり今のような形でテレビに出演するようになったのはいつごろなのか、あるいはその経緯とかを知りたいのでもしご存知であれば教えて頂きたい」というようなリクエストがあって、それについて自分の記憶だけを頼りにそのまま伝えたのがそのきっかけであった。

自分はそのターニングポイントはやはりプレステージかその後継番組の「M10」でやった
ニラサワ氏の「葬式パフォーマンス」だったと思っている。

オカルト番組に出る度にその一致していない発言内容を逆に突っ込まれつづけて、否定派からは嘲笑の対象として真面目な議論の相手としては見なされなくなり、そればかりか(本来同士であるべき)肯定派からも番組前に「あの人と席を同じくされたくはない」と拒否されて、それでめっきりと出番の少なくなった「たま出版」編集長韮沢潤一郎氏が「ニラサワさん」というオカルト芸人として再出発したきっかけがその「葬式パフォーマンス」だったと思うのである。

そのことを「いちかわ・ひろし」氏に伝えたところ「非常に象徴的ですね」という返事が来た。しかしそのいちかわ氏の分析のほうが一枚も二枚も上手であった。そのことは後で書かせていただく。

さて、自分がビデオに録画したものを実際に持っている当該の番組は1989年から1993年くらいまでのものになる。(誤解を招かないように付け加えておくが、もちろん韮沢氏がテレビ出演したもの全てを持っているということではない。)

93年に五反田で仕事をしていたときに知り合いになった某氏からまとめて借り受けてダビングさせていただいた。

ダビングまでした目的はもちろん韮沢氏個人の発言であるとか言動ではない。その「プレステージ」という番組内で扱っていた「心霊現象」に関する部分に当時から問題を指摘する声が多かったので検証のためにと録画したものを借りている(と日記には書いてある)。しかしその問題のそばにはかならずといっていいほど韮沢氏がいたというのも事実なのだが。

それでその調べものの結果はっきりとしたことがあったのでここにも書いておく。ジュセリーノの予言にも関係なくはないからだ。いちかわ氏も「せっかくなのでこの事実はブログに書かれたほうがよいかもしれませんね」と言ってきて下さった。

特に自分が意外だったと感じたところがあった。まずそれについて書いておく。

1990年10月4日放送のテレ朝系深夜番組「プレステージ」に出演した韮沢氏は「超能力」に関する一連の議論の中で、予知というものに関して発言している。

韮沢氏の主張では、「超能力」とひとまとめにされているものは全て「精神的エネルギー」というものが作用して起きる現象である、となる。

韮沢氏はフリップを出して「否定派」相手に論陣を張っている。

曰く、その精神的エネルギーとは、「電磁波」・「熱」・「光」・という具合にウェーヴの波長が上がっていってその上位に来るものであると。

そしてそのウェーヴの波長(?)は「感情」、「思考」、そして「意識」と上がってゆき、この「意識」レベルになるとそういった「超常現象」というものが起こすことが出来ると。

まあなんのことはない。今現在ときどき問題になっている(自分もこのブログでいつも叩いている)「波動」の概念そのものなのである。韮沢氏はこの超常現象というものを「波(=ウェーブ)」という概念で説明しているのだ。

この「精神的エネルギー」を操ることで「物体の移動」、「透視」といった超能力を実現できると語っているのだ。そして予知もまたそうだと言っている。

「時空間の歪みや隙間をぬって届いた何者からか送られてきたヴィジョン(やメッセージ)を受け取る」ことが「いわゆる予知というもの」であると熱弁している。

更に韮沢氏は「アメリカでは盛んに研究されていて、それが今日本にやって来ているんですよ」とも付け加えていた。(これは事実関係からすると非常に興味深くもある。)これは1990年放送の番組内での発言である。しかしそれは日本で「波動汚染」が本格的になった時期とは若干どころか相当にずれているからだ。

そのシーンを見ると、この「説」は韮沢氏のオリジナルということではないようだ。

しかしもしかすると韮沢潤一郎氏こそが日本で一番最初にテレビ番組内で「波動」という概念について肯定的に語った人間なのかもしれない。

意外だったな。当時自分はそのことにはまったく気がつかずにいた。もちろんそれは韮沢氏が「波動」という言葉は使わなかったからなのだが。波(=ウェーヴ)という言葉を使って説明していた。

そしてこの番組内で、今や年末の風物詩、テレ朝の超常現象特番の名物コーナーとなった「韮沢氏と大槻教授による激論」のプロトタイプ(原型)のようなものがテレビ初登場している。

それは、韮沢氏の口から頻繁に出てくる「精神的なエネルギー」という言葉に物理学者の大槻教授がまともに反論をしはじめたのがそのきっかけであった。

両者の顔合わせは実はこのときがはじめてではない。同じ年の3月1日深夜放送になった「プレステージ」内において両者は肯定派・否定派というサイドに立って議論を交わしている。まあ「議論」というようなものでもないのだが。

しかし、当初この番組内で韮沢氏の持ってくる「UFOが実在するという決定的な証拠」に対して激しく噛み付いていたのは同じく否定派の席に座っていた吉村作治早稲田大学人間科学部助教授(当時)と、(地元葛飾では)アマチュア天文家・オペラ歌手としても有名で、当時ニュースキャスターとしても活動していた僧侶の春日了(かすが・りょう)の両氏であって、むしろ大槻教授は韮沢氏の出して来る証拠には冷淡であったといっていい。(発言席にもほとんど立たず、韮沢氏と直接に対決したのはほんの三・四回にとどまっている)

特に春日氏は「MJ-12文書には宇宙人による人体実験が行なわれていると書かれている」という韮沢氏の発言に対して徹底的に反論している。

春日氏の鋭い口調での徹底的な質問責めに韮沢氏は最後には絶句して涙目になっていた。(否定派サイドにいた加納典明に助け舟を出してもらい、一種の弁護をされていたくらいだ)

今その部分を見返してみると、というか今になってやっと春日氏の韮沢氏への激しい怒りにも見える質問責めも理解が出来るようになったが、当時はなんか一種の「弱い者いじめ」にしか見えなかったというのが自分の率直な印象であったのだが。

で、その今見返してみての感想なのだが、やはり一番よくないのは、その原因を作っていたのは韮沢氏にあったと言わざろう得ないのだやはり。

韮沢氏は、自分の発言の同じ文脈の中に相反する二種類の答えを織り交ぜて相手の質問をはぐらかすようなことばかりしていたからである。

一種の「いい逃げ」である。

たとえば、韮沢氏は最初「人体実験が行なわれているのは事実である」と言い切る。それが反論に遭うと、次には「事実であると聞いている」に変化し、最後には語尾を「事実であるらしいです」「事実のようですよ」にして発言の主体を変えて相手の追求の質問から逃れようとしていた。

しかもその態度がニヤニヤしていて不真面目に見えてしまうのだ。

韮沢氏はニヤニヤ笑いながら「宇宙人による人体実験が行なわれている」を「行なわれていると聞いている」に言い直し、さらには「~事実のようですよ」と相手をはぐらかしすような発言をしていたのである。

今度は春日氏はその韮沢氏の態度にブチ切れたのだ。

「あなた、人間が人体実験されて生体解剖されているなんてそんな恐ろしい話をなんで楽しそうに笑顔で言えるの?!」と

春日氏は更に「そんなことを平気で口にして言えるのは、自分で口にしていることが本当に事実かどうかについて自分でも自信がないからじゃないのか。もし本当にそんな恐ろしいことが行なわれているという情報があったのならば、まず自分の足でどこまでも追求するほうが先だろう」というようなことを言う。

そういう春日氏の追求に対しても韮沢氏は「確かめましたよ」と反論し、更に「あなた自身が確かめたの?」と再反論されると「確かめようとした人がいた」と答え、更に「誰が?」と突っ込まれると「そういう人がいたと聞いています」と答えているのだ。

このように最初は威勢良くショッキングな内容の宇宙人情報というものを繰り出していたもの反対派のついぞの反撃を食らい韮沢氏の発言はトーンダウンしてしまい、最後には発言席で固まったまま何も言えなくなったのである。

そのとき韮沢氏のうしろにいた漫画家のつのだじろう氏の憮然とした表情が全てを物語っていたといっていい。最後にはつのだじろう氏は立ち上がり発言席でそれまでの韮沢発言とは確実に一線を画す、自分の一種の懐疑論的な立場というものを表明してしまったのである。

ひとことで言えば仲間割れである。

しかし、この春日氏の突っ込みは今見ると寄り道というか逆効果だったような気がする。結果論ではあるが。

これで韮沢氏は春日氏の剣幕にビビったらしく絶句してしまったからだ。

そういう経緯があっての第二弾(註)として行なわれたのが10月4日放送のこの番組であったのである。

冒頭、吉村助教授(当時)に「よくあなた懲りもせずに出て来れるね」と嫌味を言われた韮沢氏はめげもせずに前回と同じ論旨でまたもや同じようにしてただの伝えぎきでしかないようなことをまるで自分がその場で体験したかのように超能力の実在を証明したという実験について語りだす。

そしてこの韮沢氏、前回の人間サンドバッグ状態に懲りもせずにまたもや問題になりそうな発言をしている。テレパシーというものの実在を証明するための実験として「子ウサギを遠く離れた場所で一匹ずつ殺してゆくと母ウサギに反応が出た」というようなことを(やはり楽しそうに、手振り身振りを交えながら)語りだすのである。

韮沢氏「一匹ずつ」といいながら両手で子ウサギの首を締めるような手つき(註)をするのである。でまたもや春日氏から「深夜とはいえテレビ番組なんだからもっとそのことを配慮した発言を心掛けてもらわないと困る。そんなかわいそうなことをしなくても別の実験方法があるだろう。(そんなかわいそうなことをしなくても他にいくらでも方法はあるし、この場で語るような内容じゃないだろう、というニュアンス)」と注意を受けているのだが。

この回を見ると、韮沢氏が現在もテレビに出る度に言い続けている「宇宙人=地球外知的生命体=エイリアン」の実在、「超能力」、「心霊的なものの実在」といった基本的な論旨はもうこのとき既に確立されていたといってもいいかもしれない。

というか殆ど変化していないのである。いや論旨が変化していないというと誤解を招くか。

それらがあるとかないとかではなくて「言い訳」、「言い逃げ」の方法論だけは変わっていないということでしかない。(つづく)

(番組から 韮沢氏と、対決する吉村教授と大槻教授)






※ 註1;厳密に言うと「第二弾」というのは正確ではない。その後3月25日にも「UFO」に関してのこのような肯定派・否定派に二手に分かれての討論の番組をやっているからである。「第二弾」というのは「UFO・超能力・心霊現象」という三本立スタイルの議論の第二弾ということである。吉村助教授(当時)の韮沢氏に向けての「あなたよくここへ出てこれるね」という皮肉はその3月25日の番組での韮沢氏の発言が第一回よりもひどかったからだ。まあその回は「UFO」のみの議論なのでここではその内容については省略する。

※ 註2;この点についておかしなクレームが来た「首を締める、ではなくてナイフで突き刺すような手つきだろう。よく見て書け!ねつ造するんじゃない。」というようなクレームである。確かに言われて見返してみたのだが「首を締める」というよりも「ナイフで刺すような」と書いたほうが事実に即していて正確であった。その点についてはここで訂正してお詫びを申し上げます。   しかしそれでは韮沢氏の立場を弁護することにもなんにも全然なってないのだが。これでいいのか。「なにをいいたいのだろう?」と首を捻ってしまった自分であった。(ちびまるこちゃんか)

【追記】

この記事とジェームス・ランディの番組についての記事を見比べていて気がついたことなのだが、韮沢氏が出している『超能力実験の写真』はまったく同じものであった。
しかし20年近くも経っているのにかかわらずまったく同じものを「証拠の写真」として持ち出してくるところはいかにもこの人らしい。というか誰も止めたりはしないのか?
(08.08.20)

改題した。『90年10月4日放送テレビ朝日の深夜番組「プレステージ」より』その1・その2