※9月7日の更新によってウィキペディア「ジュセリーノ・ダ・ルース」の項目は再び中立性のある内容に書き改められている。したがってこの記事の内容は全て過去のものとなった。しかし「かつてこのようなことがあった」という記録としての必要があると思うのでこの記事はこのまま残すことにした。ご了解いただきたい。
ウィキペディアの「ジュセリーノ・ダ・ルース」の項目が書き換えられているということに関するメールとかコメントが何通か来ている。
メールの人のほとんどが「あの内容ではジュセリーノ肯定派~つまりジュセリーノの予言を広めようと画策しているような人間~にとって都合のよいような片寄った記述になっているのはこの時期はことさらまずいと心配している」というような危惧をされている。
自分も見たのだが感想を言えば確かにそれ(メールを寄越してきてくれた人がしている心配)はあるかもしれないということになる。
なんといっても今まで記述内容との一番の大きな違いは過去の予言実績(つまりジュセリーノの外した予言の数々)がばっさりと切られてしまったことだろう。
たしかにこれではまるで「(ジュセリーノ)肯定派に優しい記述」と言われてもしかたあるまい。
しかし、自分にはなんでこうなってしまったのかのその理由というものはまったくわからない。
というのもこのようなときいつもならば頻繁にご連絡を頂いていたウィキペディア執筆陣のひとりであるMさんからの連絡が途絶えてしまっているからだ。(註)
むしろ自分が心配するのはそのことのほうである。
さて話を戻す。だからこれから書くことはあくまでも自分の推測に過ぎない。
ウィキペディアの「ジュセリーノ・ダ・ルース」の項目がこうなってしまったその大きな理由であるが、ひとつには「執筆陣の数が多くなりすぎて合議制あるいは全員一致というポリシーでは指針であるとか方針が決められなくなったということがあるのだと思う。
言葉は悪いが「船頭多くして船は山に登る」ということだ。どうしてもそのような「愚かしさ」というものを感じるのである。
「元に戻った」というような言い方もできるのかもしれないが結局は「退歩」なのである。なにゆえ今までこのウィキペディアの「ジュセリーノ・ダ・ルース」の項目が多くの人たちに信頼されて多く利用され引用されてきたのかそれを考えればあのような立場の変質というか指針変換はいかに愚かしいことなのかそれは自明というものであろう。
では何故誰にも確かめようのない「ジュセリーノが幼年時代に輝く金の玉を掴んだ」とかのエピソードがそのままになっているのであろう。「中立性」「事実であること」というものを重んじるのであればまっさきに削除されなければならないのはむしろこういう部分だろう。
「過去の外れた予言という実績」、つまり「事実」の記載というものを削除するなんてことはもってのほかだと言うのである。
「これではウィキペディアはジュセリーノの予言というフィクションを広めるそのお手伝いをしていると言われても反論できないのではないでしょうか」という感想にも「あながち大袈裟ではないよな」と思うのである。
2008.09.03
註)ときどき携帯のメールやコメントは来ていたのだが、どうやらウィキペディアの執筆からは離れなければならない事情があるようだ。以前「自分も歯がゆいのですが今は手を下せません」というようなことを書いていたので何か(場所であるとか環境というような)都合があってウィキペディアにログイン(サインインというのか)が出来ない状況にあるのだと思われる。まあそれに対しては人の事を心配している場合ではないのだが。
だいたいにして、それでは「いままでの内容では一体誰が損をするのだ」ということを考えれば現状の記述内容がいかにおかしなものであるかについてはすぐにわかることだ。