それでその番組を見たその感想を先に書いておく。
構成としてはアタマに「ジュセリーノ」を持って来て、そして本編部分の終わりである7番目を「ジョン・タイター」で締めるというなんだか下世話な取り合わせで、ついぞ連想してしまったのは、先月ここでも取り上げた「21世紀の大予言」という本のことであった。
まあ要するにテレビ番組としては掴みとしてまず「ジュセリーノ」をもって来て視聴者の目を惹こうとする戦略であったのだろう。
で、この番組、一体なんだったかというと、それはやはり一種の「宣伝」だったのではないだろうか。
「21世紀の大予言」という本について書いたときも触れたが、どうもこの番組も「20世紀少年」という映画とのタイアップというか宣伝臭い感じばかりがしてしまったのである。(註)
それともうひとつは、日本テレビが社運を賭けたイベント「ルーブル美術館展」とのからみで作られたのではないか、自分はそうも想像している。(註)
まあそういう志の低い番組なのであろう。でもそのことを責めたりはしない。いやならば見なければいいだけの話だし。
自分もこのようなこと(ブログでのジュセリーノ予言批判)をしていなければまず見なかったはずだ。
一般的な価値観からすれば「見ないでいたとしても損をしたとか一切感じさせないような番組」ということはいえるだろう。
ジュセリーノに関する部分についても、特にこれといって目新しいところはなかったといっていい。
だから「ジュセリーノ」に対して興味のある人が見のがしたとしても、どうってことのない内容だったと言う。
ただし、この「ジュセリーノ」に関する個所だけを見ただけで、自分は相当な回数鼻で嘲(わら)ったし、ニンマリとしてしまったということはあった。(それについては別の記事として書く)
自分で言うもなんなんだけど、こと「ジュセリーノ」に対しては「底意地の悪い人間」なのである、この自分は。
「ジュセリーノ予言」に関するおかしな個所であるとか、ミスであるとか「不合理な個所」を見つけるのだけは今おそらく「日本一」なのではないだろうか。もう全然なーんの自慢にもならないし、他のことには全然何の役に立たない「ノウハウ」なんだけどねぇ。
それでもこうして、「ジュセリーノ予言」のウソを見破るということによって「不安を感じてしまった」という人たちのその不安の原因を取り除いているという意味においてはこれもまた立派な社会貢献にはなってはいるはずなんだけれどもね。
(つづく)
註)そういう見かたをすれば、この番組に伊集院光が出ている(出たとしてもしかたがないのかというような)その理由もわからなくもない。「20世紀少年」の作者である浦沢直樹は伊集院光のラジオ番組の熱心なリスナーであるし、伊集院光もまた浦沢直樹の漫画の熱烈なファンである。もう終わってしまったラジオ番組であるが「伊集院光 日曜の秘密基地」では、このふたりによる相当に熱のこもったインタビューというかトークのコーナーがあった。
註)映画「20世紀少年」のプレミア試写だったか完成披露だったかがルーブル美術館で行われている。これも日本テレビによる、タイアップ効果を狙ったものであろう。
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akgoodco1224 at 05:00 │コメント(0) │ジュセリーノ予言の真実 | 反カルト・非オカルト 7拍手