2007年4月4日水曜日
070404 ジュセリーノとノストラダムス 3
【ジュセリーノ予言の真実 0404】 ジュセリーノとノストラダムス 3
前々から気になっていたことある。それは、ジュセリーノの予言について肯定的に語る人たちの間で、「ジュセリーノが予言を獲得するプロセスはノストラダムスのそれと似ている(あるいは同じだ)、ということが半ば常識として語られていることだ。
この「定説」の原点というか出所自体は自分も知っていた。例の年末に放映されたテレビ番組の中で出演者のひとりである作家の荒俣宏が、ジュセリーノが口にした「夢の中で映像という形で予言を授かる」という発言部分について「ノストラダムスの予言の方法に似ています」と語り、その荒俣宏の発言に韮沢潤一郎が付け加えるような形で解説を加えたためだ。そのために日本ではそうだと思いこんでいるという人が多いみたいなのだ。
ここではジュセリーノの予言の方法については触れずにおく。話がややこしくなるからだ。純粋にノストラダムスの予言とその方法についてのみ説明する。
端的に、ノストラダムスは果して映像で予言を得たのかどうかであるが、それについてははっきりとはわからない。しかし、そんな「映像として予言を得ている」というノストラダムス自身による言葉は彼の書物の中には一切残ってはいない。前の二項で説明した通りである。
あるとすればそれはすべてピエール・ジョセフ・ド・メイツ[註]というスイス人が後世にでっち上げたノストラダムスに関する逸話から発生したものか、研究家による仮説であるとか、でなければやはり一種の誤訳のために生じたためのものではないかと思う。
実際、(まともな)ノストラダムス研究家の本がフランス語→英語訳→日本語訳されたときとか、英米のノストラダムス研究家の本が日本語訳されたときにも原語との追随性の問題でこういう誤訳は数多いと聞く。たとえば、エドガー・レオニ(レオーニ)など(正統的な)研究家の本が日本語に翻訳されたときにもそういう相当酷い日本語訳が見受けられるのだそうだ。
では、その荒俣宏が何故「ノストラダムスは映像という形で予言を得ていた」などと確信に満ちた断言をしたかなのかだが、それはおそらくはそういった「誤訳」のせいか、でなければ1994年に製作された映画「ノストラダムス」にあったシーンを事実だと思い込んだためではないだろうかと思うのだ。
実際に自分の身近にもいたのである。あの映画を見て中で描かれていることが全て事実だと思い込んじゃっていた人間が。何人も。
この映画の中でノストラダムスは、三脚の水を張った皿のような容器の表面をじっと眺めているとトランス状態になって、まるでその場所に実際にいるかのような疑似体験をする。そういうシーンが何度も出て来た。
まあ確かに予備知識なしにこの映画を見たら「そうだったのかなぁ」とか思ってしまいそうだ。
しかし、少なくともノストラダムス自身による予言の方法についての記述と、この映画の中で描かれたノストラダムスの予言の方法にはなんの事実の裏づけはない。映画自体がただのフィクションでしかないし、元にしたものがあるのだとしてもそれはただの伝承でしかない。断言する。
だから、ノストラダムスとジュセリーノの予言の関連であるとか相似について語っている人たちに言いたいのは、「ジュセリーノの予言について語るときにノストラダムスの名前を出してジュセリーノの信憑性を喧伝したいというのであればそれはまったくの逆効果だよ」という事である。
というかノストラダムスと関連づけられて一番困惑しているのは案外ジュセリーノ本人じゃないかという気もするのだが。深読みのし過ぎか。
でも、ジュセリーノ「なんだこのニラサワという日本人の男は 余計なことばかり言いやがって!」とか思っていそうだ。
(この項おわり 全部読んだという方、お疲れさまでした)
※このブログではこういう難解というかぐちゃぐちゃしてて長い文章はあえて避けてきたが、ちよっと訳があって試しに書いてみた。
[註]正しくは Heitzで エーツ、エツ (ヘイツ)と読むということを教えていただいた。
メイツというのは誤植から発生した日本での誤読らしい。