2007年4月27日金曜日

070427 その4 FAQ的なもの  

【ジュセリーノ予言の真実 0427】 その4 FAQ的なもの  

で、帰ってきて(実質12日ぶりとなる)こっちのメーラーを開いてみたらとんでもないことになっていた。こっちのメーラーだと一度に受信できるMAXが100通になっている。なんとも無駄に大きい設定だと思うかもしれないが、迷惑メールの類を全て受け入れにしておくと必ずしもそんなにも無駄な設定というわけでもないのだが。

それでも全て受信(トレイに移)し終わるのに約20分、回数にしてざっと10回近く、メール数でいうのなら800通は超えているはずである。それも、予め迷惑メールの類はアドレス毎に除いてての話である。

アドレスごとに並べ直してみると同じ人物が毎日のように何度もメールしてきている。

そういうのに限って内容が非常に下らないものだったりする。内容を要件ごとに分ける。


その1:ジュセリーノの予言の素晴らしさにはやく気がつけこの馬鹿!

というもの。よくあるパターン。むしろ人として大切なものとは何かということに気がついてないのはこういう人たち。


その2:たま出版から出ている本をちゃんと買って読んでから批判しなさい。

というもの。それについては何度も書いていることだが、その必要は今はあまりないと思っている。今自分にとって必要な本があるとすればそれはまず原書の「O Homem Frente das Profecias 」の方だ。自分がやっているのは、目的としているのはまず「ジュセリーノの予言の批判」である。いくら「たまの本」に書かれていることを批判してみてもそれはつまるところたま出版に対する批判であったり、あるいは韮沢潤一郎氏に対する批判でしかないことになりかねない。その可能性はものすごく高いのだ。であるからして、自分は原書を入手したあとでその不完全な訳本としてその「たまの本」を買うなりなんなりして手に入れようと思っているということだ。地道だがそのためにちょっと入手に苦労はしたが葡日・日葡辞典であるとかポルトガル語の参考書は手許に置いている。

それにもし今自分がそんなたまの本なんて読んだらどうなるか。書くことが滅茶苦茶多くなって収拾がつかなくなるだけだ。しかも(ジュセリーノには直接関係のない)どうでもいいようなことばかりになるであろう。流石にそこまでヒマではない。


その3:ネタ切れで(旅行を口実に)逃げてるんじゃないの?

というもの。アホか。逆だわ。おかげで今この状態なのである。とりあえず今日明日の予定で今まで滞っていたものを書き直ししたり、まとめたりして何個も記事をアップしている状態である。「悔しかったら君も(自分と)同量(毎日原稿用紙で10枚以上換算)のメールをして来たまえ」とでもいいたくなるような程度の低いメールである。


その4:推測だけ人を批判したり物を書いたりしてはいけない。ちゃんと根拠を示してから批判なりなんなりするべき(韮沢氏批判に対して)

その言葉そっくりそのまま韮沢氏にその批判を向けてください。


とまあ、目についたありがちな反論というか批判に対してFAQ的に答えてみた。

さて、それでも個別に答えた方がよくはないかというものもあることはある。しかしそれらはやはり以前ここで書いてきたことであるので、

批判するのならばそれでもいいのだが、もちろんかまわないが、せめてまず順にこのブログ全てに目を通してはくれまいか。

というのも、あとからやってきた人たちに歩みを合わせていたのではいつまで経っても先に進まないのである。自分が書いていない、説明をしていないというのであればそれは自分の説明責任としてここでもちゃんとした説明はするが、過去なんども書いて来たようなことをここでいちいち繰り返していたのでは、逆にいままでこのブログを読んできてきてくれていたという人たちに対してはむしろ邪魔なだけなのである。そのことに対する理解を求めたい。

最近では(おそらくブラジルからの)英語のメールの方が多くなってきてその対応に追われている状態になっている。

はっきりいうが、日本国内での二次的な情報を元にした議論であるとかがいかに空しいものだったかということを今ひしひしと感じているところだ。

それくらい、今日本で喧喧諤諤されているジュセリーノに関する話題と、ブラジル本国での彼の実像には違いがあるかということを知ったからである。

そういう目で見ると、日本の掲示板で「肯定派」の人たちが繰り広げているジュセリーノの予言に対する擁護というものがいかに的外れなものなのか、贔屓の引き倒しになっているのかということについて、かなり高飛車な態度ではあるが、これからはそれについても書いてゆかなければならないと思っているところでもある。