2007年4月27日金曜日

070427 その1 訂正・その他

 
【ジュセリーノ予言の真実 0427】 その1 訂正・その他

今日の分から新記事になる。

思ったよりも記事の更新がうまくいっておらずに陽の目を見ずにいる原稿が何本かあるのだが、先に片付けなければならないことが山積みの状態なのでそちらから手をつけることにする。

自分はテレビ朝日に対して質問状を送るつもりでいる。

というのも以前「テレビ局には視聴者からの問い合わせに対してならば真面目に対応すべきである」と書いたあとのことなのだが、必ずしもそういう対応をされていないというメールとかがチラホラきているからだ。

しかも問題だなと思う個所もまだ多いようでてそこが気になる。

そのメールの内容はまだここでは公開はしないが場合によっては公開したいと思っている。自分の出したメールもだが、向こうから帰って来たものもだ。


次に訂正である。

0404「ノストラダムスとジュセリーノ」の記事の中でジョセフ・ド・メイツの名前を出したのだが、正しくは「ピエール・ジョゼフ・ド・エツ」もしくは「エーツ」(Pierre-Joseph de Haitze)だとのこと。「メイツ」というのはトゥシャールという人が翻訳したときに生じたHとMの誤植に過ぎないらしい。

しかし自分は何年間もずっとエツのことをメイツと書きつづけていた。自分だけではない。当時自分の周囲にいた人皆がそうだった。こういう恥ずかしい集団でそろっての間違いというものやはりあるのである。ノストラダムスのような有名なものに関しても。


次、4月18日付の記事の中で

ジュセリーノのHPをよく見ると、ジュセリーノは自分が「教授」であることをことさら強調していて、その授かった「名誉教授」の証書の画像をアップしている。

と書いたのだが、これだけだと誤解を招く怖れがあるという指摘が結構あった。言われてみればそのとおりだった。自分のミスである。あれではまるであの賞状のことを教授の証明書だと書いているかのように読めてしまう。「証書」ではなくて「証拠」と書くべきであった。

この部分についてもう少し詳しく説明する。

ジュセリーノは突然という感じで自分の肩書きを「教授」にした。(英語での意味でのPROFESSOR=教授にしたという意味である)その「教授である証拠」としてジュセリーノがマスコミに向けて出したのがのあの賞状(一種の感謝状みたいなものだ)だったのである。実体はそんなものだ。

それ以外にジュセリーノがどこの大学を出てなんの研究をしていたとか、どういう論文を提出したとかどこの大学で教鞭を振るっていたとかの実体のある教授職を証明するものではない。

あくまでも「名誉教授」である。というよりもこの叙勲状(感謝状?)以外にジュセリーノのことを「英語の意味でのprofessor=教授」と明記したものはまったくない。というかそのことのほうが問題なのであるが。

そのことに対する明解な記述がいままでどこにもないことが問題なのである。少なくとも日本にはそれがなかった。それをうかつにも忘れていてすっ飛ばしてああいう書き方をしてしまった自分の失敗であった。

だからその部分は

ジュセリーノのHPをよく見ると、ジュセリーノは自分が「教授」であることをことさら強調していて、その授かった「名誉教授」の証拠だという画像をアップしている。

と書くべきであったのだろう。たまの本にはそういう詳しい経緯など書いていないものだから(あたりまえだが)、たまの本だけを読んで、(たまの本の記述の方が正しいと盲信して)自分の文章のこの部分を「嘘」を書いていると噛み付いていたメールもあった。しかしよく考えてみてほしい。恥ずかしいのはそっちのほうなのだが。

なんにしても誤解を招くような書き方をした自分の責任はある。ここに謹んでお詫び申し上げる。(後で訂正しておきます)

他にも問題にしたいようなメールは山のように来ている。いちいち返事を書くのも面倒なので本文でお答えしたい。

(つづく)




追記

訂正の更に訂正というのもなんかばつが悪いが。

これも翻訳のミスであった。
ジュセリーノがポルトガル語での手紙などに肩書きとして「professor=教師」というのを使うこと自体は誰にも咎められない。事実だからである。

しかしいつのまにかジュセリーノは英語で書いて出した手紙にも肩書きをprofessorにしたり、あるいは文中で自己紹介のところにも「professor」とつけて名乗るようになっていたのがどうも1987年以前の(手紙の)ことだったらしい。これはおかしい。英語の手紙であるのならばちゃんと「TEACHER」にしなければ相手に誤解を招くだけである。

というようなところからいつのまにかブラジル国内でも彼はいつのまにか「教授」という意味でのprofessorを肩書きにしているということだ。というかそのこと書いていたのである。

というよりもどう考えてもこの「1987年に手紙を出した」というジュセリーノの発言そのものがおかしいと疑問を投げかけるのがスジだな。