2007年2月22日木曜日
070222 ジュセリーノの予言(その7) ジャーナリスティックなまとめ
【ジュセリーノ予言の真実 0222】 ジュセリーノの予言(その7) ジャーナリスティックなまとめ
☆☆☆ 今、予言者ジュセリーノについてわかっていること ☆☆☆☆☆☆
○ jucelino nobrega da Luz(ジュセリーノ)がマスコミに初めて登場した時期は2005年。(2006年とも)「自分はイラクの元大統領サダム・フセインの隠れ家の場所をアメリカ政府に通報していた。自分がアメリカ政府に送った情報は正しかった。アメリカ政府はこの情報を元にしてフセインの身柄を確保出来たのだから私にはフセインに懸けられていた懸賞金を貰う権利がある。」とブラジルの地方裁判所に裁判を要求。そのことが世界的なニュース(どちらかといえば扱いはオモシロネタではあるが)となる。
※2003年ころ、飛行機の墜落事故を予言していた人物として地元のローカルテレビ局に登場しているらしい。これはNSさんという方からの情報だが、その後、NSさんよりの追加情報があり、2003年と断言は出来ないとのこと。2005年にジュセリーノが日本のマスコミにも登場したときに、「あの時の予言者だ」と思ったのだそうだ。彼女がブラジルにいたときのことなので「早くとも2003年では」ということらしい。
○ この2006年(2005年末とも言われている)の時点で、ジュセリーノの予言というものが初めて具体的に明らかにされた。(親しい知人の証言は除く。公式HPでの記述も、明確な記述は2006年マスコミに本人が登場以降に関してのみに限定する。何故かというと、内容に関して粉飾されている可能性というか疑念が拭えないからである)
○ 2006年12月、ブラジルの高等裁判所は(ジュセリーノの訴えには結論を出さずに)、この問題はブラジル国内で審議すべきであると、地方の下級裁判所に対して結審を委ねる手続きを取る。地方の下級裁判所は以前「この裁判はブラジル国内ではなくアメリカで審議されるべきだ」という見解を取って、この訴えを高等裁判所に上審をしていた。(NSさんの訳に基づく)
この記事がどういうことかわかりやすく説明すると、地方に置いてある下級裁判所は「自分とこの仕事じゃないので高等裁判所さんヨロシク!」とジュセリーノの訴えを高等裁判所に上審していたのだが、この問題を持ち込まれた高等裁判所が「オマエのところで解決しろよ」と突きかえしたということだ。なぜかというと、ひょっとするとアメリカ合衆国政府に対して「金を払え」という判決を出さなければならないのでともに嫌がって押し付けあっている状態になっているということである。わかるなぁ、その気持ち。
○ ところがこのニュースが流れると「ブラジルの高等裁判所が予言者の能力を認めた!」と勘違いした人が数多く現れ、一躍ジュセリーノはブラジル国内で「911やフセインの居場所を予言して当てた予言者」として紹介されるようになった。
○ ジュセリーノが語るところによればだが、彼のの予言は夢の中で「映像」として現れる。夢の中の自分はその事件の現場にいるが、その場所が一体どこなのかまでは判らないことのほうが多い。その夢の中で姿の見えない何者かの声が彼にさまざまな説明やアドバイスをすることがある。
○ ジュセリーノには子供の頃から予言の才能があった。(第三者によるそれを裏付ける確かな証言はない)
○ ジュセリーノは夢で見たその「予言」を書き留めて「公証所」へ行き「正式な文書」として届けている。その数は3万(8万とも)を超えていると言っている。
○ ジュセリーノは今まで各国の政府や大使館に対して予言を「警告の手紙」として送りつづけており、中にはジュセリーノの予言があたった事にたいする公式な手紙・礼状も送られてきたと主張。(その真贋に関しては現在はまだ不明)
○ ジュセリーノによる「予言」で成就(当った)したもの。多くはブラジル国内の出来事や事件である。政府高官の汚職事件といった出来事が主だが、中には、1994年のセナの事故死(ジュセリーノは、セナは殺された、と言っている)、2001年の「911」、2004年のインドシナ津波、2005年スペイン・マドリードでの爆弾テロ事件などの世界的事件も含まれている。そのほとんどが的中しており、その的中率は90%を超えている。(関係者による証言←計算方法は不明。3万(8万)件?を分母にしなければ決して正しい確率とはいえないはずなのだが・・・)
○ 日本関係の予言としては、昭和天皇の崩御(1988)、阪神淡路大震災(1995)、地下鉄サリン事件(1995)などがある。阪神淡路大震災の予言は日本政府(?)に対し何度も手紙を送ったと主張している。(テレビでそのように証言しているかのようなナレーションがつけられて放送されていた。)
○ ジュセリーノは、フセインの居場所を通告した報奨金の正当な権利者として名乗り出たのは、今まで数多くの公文書作成の手続きに金がかかりすぎて家計が逼迫しているためであって、決して金銭欲でも有名になりたいためでもないと語っている。
○ ジュセリーノは2006年マスコミに登場したときに2006年と2007年に関する幾つかの予言をしているが、その大半は外れている。その外れた予言は2006年12月以降彼の公式HPから削除されたり改定されている。(NSさんからの情報。他3名からも同じような内容の情報あり。)
○ その外れた2006年の予言の中に「8月に東京で大地震があり、日本は危機的な状況に陥るであろう」というものがあった。この予言はジュセリーノ本人の口から出た予言として確認されている。にも関わらず日本には何故か「この予言は贋物、ジュセリーノはそんな予言はしていないと主張している人たちがいる。しかし、ジュセリーノは確かにそう予言していた。(JYさん、他3名のポルトガル語の読めるという人達の証言が有る。それに反証サイトには確かな証拠が多数転がっている)
○ ジュセリーノは。今までも自分の外れた予言に対しては(外れたことを認める発言をしているんだ!)、「予言は警告であり、私はその予言が外れることを願って公表している。予言が当らないということはその願いが成就したという良いこと」だと言っている。
☆☆☆ 少し考えてみるとおかしな点について ☆☆☆
○ そのフセインの居場所であるが、もちろんこれはすでに報道されていることだから誰も疑問を挟む余地のないことだと思うが、バグダッド陥落後サダム・フセインはイラク国内の支持派の手引きでイラク国内を(場合によっては数日単位で)転々としている。
したがって、いくら有能な予言者であろうと超能力者であろうとも「サダム・フセインが現在居る場所、あるいは何月何日には何処に現れるのか」という具体的な付帯情報がなければ、場所的にいくら正しいとしても、その情報それだけでは身柄確保のための有用な情報とはいえないであろう。
「いた」という過去の話ではなんの役にも立たないし、それで「当てた」というのでは「優れた予言者」とはいえまい。にも関わらずジュセリーノはその時間的な情報を付帯した予言はしていなかった。悪くいえばそれこそ「あてずっぽ」でいくらでも結果的に後から「当てた」と主張出来ることになってしまう。
だから、予言としてどうのこうのというレベルの話を持ち出さなくとも、ジュセリーノにはその懸賞金を受け取る正当な権利はないのではないかと思う。(かまたによる見解)
○ 2006年にマスコミに登場してからだが、それ以前とその後では明らかに的中率が大幅に下がってしまっている。従ってマスコミに登場して以来ずっと「的中率90%(記事によっては95%と表現)」という表現がされているのはおかしい。(RFさんによる指摘。言われてみれば確かにそうだ。)
○ はじめは公表されていなかった予言がいつのまにか「当った予言」として追加されていることかある。(2007年のアダム航空の墜落事故など)(追加:TTさんによる情報)
☆☆☆ 慎重に検証しなければならない点 ☆☆☆
○ そもそも、戦争(テロを含む)に関する予言に関してだが、そこには人間の手による所業というものが大きく関わる以上、戦争について予言をすることが無意味だとする意見はものすごく多いということ。戦争というものはいつ起こるのかを予測することはさほど難しいことではない。政治・軍事・外交のアナリストなんて人たちはそれで飯が食えているのだ。(かまたの見解)
○ 事故に関しても似たようなことはいえる。「アメリカ航空機事故調査機関」などによる事前防止のための警報を「予想」と勘違いしている人がいるが、「航空機による人命事故」はある一定の範囲内で上下しながら低下している。そこに過去の事故の分析がなされているからで、ひとつの事故が次の事故を防ぐための要因として確実に役に立っている。したがって、「航空機事故の予言」が当ったということは予言者による予言にはあたらない。(当った予言としてカウントしてはならない、ということ←かまたによる註)実際、アダム航空に対して危惧感を持っていた専門家はいくらでもいた。もちろんその情報は誰にでも入手可能であった。(TTさんの意見)
○ もし、予言というものの信憑性について推し量るのであれば、一番てっとり早くわかり易いのは「地震」「津浪」といった「天災」に関する予言であろうが、その天災の予言の記述は非常に短く、他の当った予言に較べると「ほんとうに夢で見たの?」と言いたくなるくらいに情景描写がされていない。そしてことごとく外れている。
○ 果して、ジュセリーノが言うところの「公証所(Tabeliao publico?)」の信憑性はどこまで確認されてきたことなのだろうか。聞くところによると、ブラジルの(州ごとに小さな違いはあるだろうが)公証所というもの、日本でいうところの「公証所」とはかなり事情が違いそうなのである。NSさん(ブラジル人の方である)の話だと、ブラジルには大小さまざまなレベルでのこういう「公証所」というものがある。小さなところだと、日本で言えば「代書屋」くらいのものから、裁判所や役所に対する書面の作製を請け負う(日本で言うところの司法書士・行政書士)ものまでさまざまなものが「公証所」として登録されている。何故、代書屋さんまでもが「公証所」として必要とされているかというと、ブラジル国民の識字率の低さによるとこらしい(ポルトガル語の読めないブラジル人が多数いるということも影響している)。
そしてブラジル国内ではそういう「公証士」による詐欺事件、偽証が横行しているのも事実だというのだ。(以上、NSさんのご意見をもとにした、かまたの見解)
○ ジュセリーノが各国政府、あるいは大使館から受け取ったという公式文書の真贋について検証がなされていないという点。
実をいえば、この部分については真贋を見極めること自体はものすごく簡単なのである。そして、ジュセリーノが本物の予言者なのか、それとも「予言者を騙った」詐欺に過ぎないのかはここを徹底的に調べればすぐにわかることだ。
「公式文書」あるいは「公式の手紙」というものは送った側にその片割れが必ず存在するからである。
もし、ジュセリーノが日本の政府なり大使館から「公式な文書」を受け取ったと主張しているのなら(テレビではそうナレーションがつけられていた)誰でもが(日本人でなくとも)その残った片割れを政府に対して開示を求めることができる。たとえ一部が黒く消されていたとしても、ジュセリーノが先に公開したものと検分すればおなじものか、そうでないかぐらいはわかることだ。
もしそういう片割れというものが存在していなければ、ジュセリーノは嘘をついたことになり、その時点でジュセリーノの(日本に関する)予言は全て「贋物」と判断しても良いと断言できる。
少なくとも、この日本国においては「機密文書」とうものの取り扱いが厳しく定めらており、こういう個人に対して送る書面・文書はすべてその「機密文書」の対象からはずれる。日本国政府・機関からの文書が一ブラジル人個人に対しての手紙を機密にする必要はないからだ。そういうものは送らないのがあたりまえ。従って、「日本政府による陰謀・真実隠蔽工作だ」とか言い出す人がいたとしたら、それは単なる無知か大前提を間違えているだけだ。疑うべきはジュセリーノが手にしたという「公式文書」の真贋だけでいいはずである。(TTさんからのご指摘。ごもっとも。)
☆☆☆ 明らかにおかしな点 ☆☆☆
○ 不謹慎な話になるので簡単に書くが、いついかなる時点での予言かは知らないが、「昭和天皇の死」や「ローマ法王の死」を予言することは「大事件の予言」にはならないだろう。当った予言からは外すべき。
○ 1994年のアイルトン・セナの事故死に関する予言。
当時ブラジルには「自分はセナの死を予感していた」と自称する霊能力者がいっぱいいた。あるいは「セナは謀殺された」と謀殺論を唱える人物はかなりの数存在したのである。
従って、いまさらジュセリーノが「自分はセナの死を予言していた」と自分の予言が当ったという証左として語ったとしても、それは別にジュセリーノの予言者としての優秀さを示すものにはなりえないということがまずひとつ。
次に、もしあの事故そのものが「仕組まれた事故」だと主張するのであれば、あの事故の最大の首謀者はセナ自身である。「殺された」ではなく、「セナの自殺行為に等しい」と言わなければ当ったことにはならない。
そうではなくて、「あの事故でセナを殺そう企んだ人物がいた」と主張しているのであれば、その計画を立てた人物は相当な間抜けだったと言わざろうえない。実際、あの事故でセナが死亡したのは、本当に本当に不幸な偶然だったからだ。
フライバイワイヤー(わからないという人は各自で調べてください)やパワーアシスト(パワステ)を外部からコントロールしたり、タイヤをスローパンクチャーさせて、クルマをコントロール不能の状態にさせて事故を演出したという陰謀論を展開している人もいたが、決してそれでセナが死んだのではないということだけは確かである。
あのレベルの衝突事故ならば搭乗していたドライバーが死ぬ確率は2%以下ではないかと言われている。しかし、それをも上回るような偶然の出来事が実際に起きてしまったのだ。(知らない人という人はウィキペディアかなにかで見てください)そういうことだ。従って、その「首謀者」による「セナ謀殺」という目論見はものの見事に外れたこととなってしまい、「殺された」という表現にはあたらないということだ。つまりジュセリーノの予言は外れれていたということになる。
事故後、誰かが事故に見せかけてセナの命を奪った、という陰謀論も不可能(実際いるんだよね、こういう単なる苦し紛れの思いつきを口にする奴って)。
何故かというとセナは即死状態だったからだ。どういうことか。つまり時速200キロの速度で移動している物体に対してほんの一瞬で外部からなんらかの仕掛けの出来るものすごい能力者でもなければ事故に見せかけて殺すことも出来なかったということだ。そんな奴いるのか?
したがって、総論として言える事。それは
ジュセリーノのセナの事故死に関する予言はどのような観点から検証しても外れたのだ。しかし、一番重要な、問題にすべきなのはそのことではない。その外れた予言を「当った予言」としていることの方であろう。
この時点でこのジュセリーノの予言者としての能力は相当低いものと評価されるべきであろう。
もっと広いものの見方をすれば、あの死亡事故以外にも生前のセナはサーキット内でいくつもの事故を起こしているし、もし仮にセナがあの事故のあとでも生きていたとしても、その後のレースで多くの事故を起こしていたはずだ。
ジュセリーノはその94年サンマリノで起きた事故とセナの死を結びつけた予言をしているが、セナはあのGPで殺されたわけでもなんでもなく、たとえ事故の予言だとしても「当った」ことにはまったくなってはいない。
総論としてだが、ジュセリーノは喋りすぎて自ら墓穴を掘ってしまったと言える。
せめて「事故死」くらいにとどめておけばよかったのに。他の諸々の予言者との優越を示したいがためにこんなことをつい口走ってしまったのだろうか?
(この部分は、KK氏による分析を参考にして、私、かまたが再構成しました)
○ 2006年のサッカーワールドカップの結果「優勝はイタリアの可能性」がある、という予言?。それと、「ブラジルは優勝できない」という予言?。(ただの戦前予想だろう。)
よく考えてみてくれ。イタリアが優勝するということは、イコールそのままブラジルは優勝できないということでもある。だからなにもこのふたつを分けて書く必要なんてないんだよな。もし予言であるのならば「優勝はイタリア」それだけでいいと思うんだが。「優勝はイタリアかフランス」などと言ったたらそれはただのサッカーの専門家の戦前予想でしかなくなる。予言じゃないだろう。本当に夢でその情景を見たの?と突っ込みを入れたくなるなるようなお粗末な予言だ。
そのイタリアの優勝を予測というか予言していた人は約世界中に約1億人はいたかと思われます。イタリア人を除いての話ですよ。
私(かまた)もそのひとりでしたし、それを証明してくれる人は何人もおります。東京にも仙台周辺にも。自慢にもなんにもならないのだが。
従って、こういう予言を「当った予言」としてカウントしてしまうこと自体ものすごくナンセンスだということは言っておくべきであろう。(かまたによる見解)
○「警告としての予言」なのであるのならば、たとえば地震であるのなら、「いつ、どこで、どの規模の地震が起きて、どのような形で二次災害がひろがるのか、それを最小限に食い止めるためには何をすべきなのか」までも「警告」として口にすべきであろう。しかし、ジュセリーノによる天災・自然災害の予言にはそのようなものはない。本当ならば、一番必要な予言はそういうものなのにだ。なにかそれをすると不都合なことでもあるのだろうか?
だがしかし、本来ならば、一番重要なことはその予言が外れた時点で「ごめんなさい」と謝罪することであろう。(ジュセリーノは予言の当たり外れに対してはいちいちコメントはしないのだそうだ。)でないとこの予言者による予言はそれ以降全て信頼されないものとして位置付けしなければならなくなる。もちろん、「地震」や「津浪」に関する予言は一切口にしないことが最も正しいことではないかと思う。人として。(かまたの見解)
☆☆☆ 批判されるべき人たち・組織 ☆☆☆
○ ジュセリーノ本人
○ ジュセリーノの家族、身近にいる彼の知人(彼等は何か重大なことを隠している可能性が高い)※ジュセリーノが発表した書類はオデュバルト・クラーロという税理士の男が管理している。このクラーロとの接触のあとにジュセリーノは「事前に登録したという予言の書類」というものをマスコミに向けて発表するようになったのは偶然であろうか?
○ ジュセリーノを予言者として報道したマスコミ(もう少しちゃんと調べてから報道すべきであろう)
○ ジュセリーノを予言者として信奉して、彼の予言は正しいと言ったり書いたりしている人たち。(もうちょっと冷静になって彼の予言について分析してみてね。)
○ テレビ朝日
昨年末12月30日に放送になった「ビートたけしの超常現象(秘)ファイル2006」という番組でジュセリーノの予言を扱った際に、事実を捏造して放送した2006年の段階ですでに外れていた予言があったということを知りながら、それを抜かして「ジュセリーノの恐るべき予言の的中率」と表現。
電話でその点について確認した方がいるのだが、テレビ朝日側は、その方への返答として「当該番組はバラエティ番組として位置付けている。バラエティ番組は、100%の事実で構成されていなくとも(事実を伏せたりあるいはフィクションがあってもということだ!)問題はないと認識している」という返答をしたのだそうだ。どういうことか、つまり事実上の捏造を認めたも同様の見解といえる。
このことがどれだけ日本中に不安を撒き散らしているかの反省はないようだ。(これに関しては後述したい)私のところにだけでも30名以上の方がそういう内容のメールをよこしている。
そのうち、テレビ朝日は裁判を起こされるはずだ。精神的被害を蒙ったとか。集団訴訟になればマスコミでも大々的に取り上げられるだろうし。(ん、その手があったか!・・・)
○ たま出版(韮沢潤一郎)
まあ、この出版社、今までどれだけのデタラメ本を出版してきたかを考えれば、むしろ画面に韮沢氏が登場しただけで逆に「ジュセリーノの予言」がいかに胡散臭いことを証明していることにもなるわけで、この人が力説すれば力説するほど「ジョセリーノの予言」がニセモノくさく感じてしまうのは仕方のないことだな。もしこの人がテレビで「明日は太陽が東から登ってきます!」と断言したならばそれさえも嘘っぽく聞こえてきそうだもの。
韮沢氏個人は罪減一等しておかないと可哀想な部分もあるが、たま出版はこういう本で儲けて立派なビルを建てたりしているわけでその罪はとても重い。
ちなみに「文芸社」はここの関連会社。(日本文芸社とは全然関係はない。)ここに原稿を持ち込むとどんな人でも(自主出版でない)本を出すことが出来ます。「協力出版」という形を取るとどんな本でも出版してくれるみたい。しかもその本を直販のような形で本屋さんに置いてもらえる。確か、費用は200万円くらいはかかると思ったが。
誰かこの出版社に、ニラサワ少年を主人公にした『嘘つき少年と狼』みたいな童話の原稿を持ち込んでくれないかな。絶対に断われないはずだ。
それとも「たま出版のウソ」という本の原稿を持ち込んだら、はたしてこの文芸社の担当はどう対応してくれるのだろう。ちょっと興味深い。
※ 2007.02.26 校正、及び内容の追加を行ないました
※ 2007.03.15 追加事項あり