2007年3月31日土曜日

070331 目次(07年3月)

【ジュセリーノ予言の真実 0331】
目次(07年03月度)


1月・2月の目次へ

070301 ジュセリーノの予言の嘘(6) ネットで予言の流布をする人たち2
070301 ジュセリーノの予言の嘘(携帯用)
070302 コメント欄…
070304 2007年3月の予言の部分(1)
070306 2007年3月の予言の部分(2)
070306 2007年3月の予言の部分(2)のつづき
070307 2007年3月の予言の部分(3)
070308 2007年3月の予言の部分(4)
070308 2007年3月の予言の部分(5)
070309 「世界的」の目安として
070309 ここでひと休み
070310 一区切り
070310 コメント欄に関すること
070311 コメントに関すること(2)
070311 ヤフーの非常に有意義なシステム
070312 本について。そして再びコメント欄について
070313 再び「本」について。
070314 4月分のこと
070315 恥ずべきこと
070317 ジュセリーノに囁かれている噂
070318 誤解されている部分についての言明
070319 コメント欄について・その他
070320 フォトンベルト・他
070321 SNSの中の人たち
070322 3月地震に関して予測される動き
070323 予言者の取るべき態度について
070324 こどもたちにつたえたいこと
070325 改めて言うが
070326 昨日(3月25日)に起きたことについて
070327 TBSの地震報道から見えて来るこの局の体質
070328 メールが増えてますが…
070330 ありがとう皆さん!
070331 サンプラザ中野のブログ  

目次07年04月




ライブドアブログの目次

目次(07年3月)

1月と2月へ

0228 ジュセリーノの予言の嘘(5) ネットで予言の流布をする人たち1
0301 ジュセリーノの予言の嘘(6) ネットで予言の流布をする人たち2
0301 ジュセリーノの予言の嘘(携帯用)
0302 ジュセリーノの予言の真実(1)
0304 ジュセリーノの予言の真実(2) 2007年3月の予言の部分(1)
0306 ジュセリーノの予言の真実(3) 2007年3月の予言の部分(2)
0306 ジュセリーノの予言の真実(4) 2007年3月の予言の部分(3)
0307 ジュセリーノの予言の真実(5) 2007年3月の予言の部分(4)
0308 ジュセリーノの予言の真実(6) 2007年3月の予言の部分(5)
0308 ジュセリーノの予言の真実(7) 2007年3月の予言の部分(6)
0309 ジュセリーノの予言の真実(8) 「世界的」の目安として
0309 ジュセリーノの予言の真実(9) ここでひと休み
0310 ジュセリーノの予言の真実(10) 一区切り
0310 コメント欄に関すること
0311 コメントに関すること(2)
0311 ヤフーの非常に有意義なシステム
0312 本について。そして再びコメント欄について
0313 再び「本」について。
0314 4月分のこと
0315 恥ずべきこと
0316 目次その1(重複のため削除済)
0317 ジュセリーノに囁かれている噂
0318 ジュセリーノ予言のの問題点(旧) ※重複のため削除
0318 誤解されている部分についての言明
0319 コメント欄について・その他
0320 フォトンベルト・他
0320 フォトンベルト・他(重複のため削除)
0321 SNSの中の人たち
0322 3月地震に関して予測される動き
0323 ジュセリーノの予言の真実
0324 こどもたちにつたえたいこと
0325 改めて言うが
0326 昨日(3月25日)に起きたことについて
0327 TBSの地震報道から見えて来るこの局の体質
0328 メールが増えてますが…
0330 ありがとう皆さん!
0331 その1

4月へ

070331 サンプラザ中野のブログ  

【ジュセリーノ予言の真実 0331】 サンプラザ中野のブログ  

ここで他のブログやHPを名指しして批判をしたりとかはしない、と言って置いてなんなんだが、ひとつだけそういうことをやろうかと思っている。というか批判ではない。それで「まあ、いいかな」ぐらいの気持ちで書くのだが。

自分もネットの検索でジュセリーノについていろいろ見ていた時期から気になっていたことではあった。ときどきメールなどで「あれどう思います?」みたいな感じの質問というか問いかけをされたときは「別に実害はないし」みたいな返答をしてきたのであるが。

でもまだ誤解をしているという人もいるようなので一応書いておきます。

それは、サンプラザ中野(敬称略)が、自分のブログでジュセリーノの予言についてときどき「当ってる!」とか書いていることだ。

そのブログ、いわゆる「公式」というのではなくて、どこかの証券会社とタイアップしているもののようなのだが、要は、50万円を資金にして外貨為替かなんかでどれだけ儲けが出るのかをドキュメントで書き綴っているのだ。

まあ、自分がジュセリーノの予言について書き始めるずっと前からジュセリーノの予言がどうしたこうしたとか書いてきているようなので、自分の立場から彼のやっていることを「便乗」だとかは言えはしないしな、まずは。

それでも時々「ジュセリーノの予言が当った!」とか肯定的な書き方をしていることだけは気にはなっていた。

それでも自分が「別に実害はないし、ほっとけば」と言うのは、そのブログを見る度に資金の50万円が少しずつ目減りしていってるからだ。

まあつまりは「予言とかオカルトを判断材料にして外貨とか株をやると損をしますよ」という良い(悪い?)お手本を彼が実践して実証しているようなもので、存在自体が一種のプラクティカルな「お笑い」になっているからだ。

現実問題、ディトレードでこんなことをやっていたのなら証券会社に支払う手数料が行って来い状態でかさんでもっと損をこくのは明らかなわけで、彼が「ジュセリーノの予言が!」みたいに大騒ぎをしているところを読むとある種のくすぐり笑いになってしまっているのである。

というか断言するが、サンプラザ中野は計算づくでこういう「予言バカ」を演じているだけだろう。

それは彼の文章の端々(キッタネェ文章だけどさ)にそういう計算が見え隠れするからだ。というかそこがむしろこの人のイタいところでもあるのだが。

しかし、ブログの文章を読んで感じることの出来る彼の今の精神状態は決して良いものとは思われない。

知っている人も多いと思うが、ついこのあいだまで、サンプラザ中野は精神的に相当危険な状態にあった。

一時期、やることなすことが全て裏目裏目に出て相当ナーバスになっていたとも聞いている。やはり長年「サンプラザ中野」というキャラクターを演じつづけて来たことからくる精神的な軋轢は相当堪えているのではないか。

なんだか高いところから見下したような言い方になって申し訳ないんだが。

こういう有名人がある日突然という感じであちらの世界に行ってしまうというプロセスを見てきた自分の実感でもあり懸念するところでもある。

身近にいた有名人の人が、ある日突然「波動が・・・」とか言い出して周囲を驚かせたのは一度や二度のことではなかったし。

予言だとかオカルトが決して人の心を救わないものだという実例(のひとつ)にならなければいいんだがな。

そういう意味でサンプラザ中野のブログのことをここで取り上げて書いてみた。決して予言とかそういう意味で書いたのではない。念のため。

2007年3月30日金曜日

070330 ありがとう皆さん!

【ジュセリーノ予言の真実 0330】 ありがとう皆さん! 

非常にありがたいことだと思っているのはこのブログを引用してくださるHPやブログの数が少しずつだが増えていっていることだ。

また、最近来るメールにもそういうHPやブログからリンクで来ましたと書かれているものが目立つようになった。

前にも書いたが、内容の改竄とかをしていなければご自由に引用ください。

メールでの通知とかも特に必要ありません。

もちろん批判してくれても構わないということです。もし批判があった場合ですが、そのときはこちらのブログの本文でそれへの返答は書かせていただきます。(こちらのコメント欄は閉じている状態なので公平を期すため)


さらにありがたい話なのだが、「ウィキペディア」の「ジュセリーノ」の項にこのブログへのリンクをするように働きかけてみます、という内容のメールも来た。

そうしていただくと非常に助かる。是非にお願い致します。実際にウィキペディアからリンクされるかどうかは(内容が批判に片寄っているために)非常に難しいとは思うのだが、少しでもこういう人が多ければ実現もあながち「無理」とは言えなくなるのではないかと思っている。

あくまでも「もし通知が来たならば」だが、そのときはタイトルの変更(元に戻すのは)は見合わせるつもりでいる。

それとは別にいろいろな方から、「こうすればいいんじゃないか」であるとか、いろいろなアイディアを頂戴している。ありがとございます。

特に、3月27日付けで頂いた「NOBU」さんからのメールにあった「アイディア」には、久しぶりに頭の上に大きな「!」が浮かんだ。ものすごいことを考え付くひとがいるものだと感服いたしました。

メアドまで書かれていた。早速実行いたします。ありがとうございます。目からウロコでした。

また、相変らず「必死ですね~」みたいな冷やかしのメールもたまには来るのだが、一応言っておくが、残念なことにそういうメールはあまり(今の)この自分には効き目はない。

そう、必死なのである。さらに詳しく言えば「その最初に持っていた必死な気持ちを忘れないのに必死な状態」なのだ。

自分をそうしてくれているもの - それはいうまでもないことだが、やはり皆さんから頂いた感謝や励ましのメールとかコメントである。




【追記】

もしこれが前前日あたりのものであるのならば「ありがとう」という言葉には半分皮肉のニュアンスがあっただろう。

しかしこの日の「ありがとう」は100%の真実の感謝の言葉である。

予言を信じているというような人たちが集う某サイトから飛んできたと思しきコメントやメールがうじゃうじゃと舞い込んできた時期であった。

書いてあることは皆ほとんど同じで、論破したり黙らせることはものすごく簡単なのだが、あきらかに同一人物ではない大人数による集中攻撃を受けている最中であったのだ実は。

たとえて言えば次々と襲ってくる量産型エヴァを意味もなく次々となぎ倒してゆくシンジ君の初号機というか。

そんなこと言ったら怒られるか「いい年したオヤジのくせしてエヴァオタかよ」とか言われそうだが。

しかしこのときには、それに気がついた人もいて中には具体的なアイディアを提案してくれた人、一般的な意味での「予言論者」を隔離する方法、あるいは遅々として進まなかったYahoo!対策についての画期的アイディアを教えられてもらったりで本当に心の奥から出た「ありがとう」の感謝の言葉であった。

特に「NOBU」さんという方から、いわゆる「リンク・サークル」と「リンクの無限ループ」を簡単に作製する「秘儀」を教えてもらい、ほんのわずか数日(実質1日というか1泊2日)でやっとこのブログをYahoo!検索の2ページ目に登場させることが出来たのである。

あまりの劇的な効果に本当にビックリしたものだ。

まあ「トラックバックなんかしねぇ」とか宣言していたので、そういうリンクのサークルを意図的に作成するするのはまず無理だと最初から諦めていたのだがやりようによってはいくらでも可能性はあるものだなということを痛感させられた。

実質6月から7月くらいまではこれでYahoo!対策は乗り切ることが出来た。問題はこれからだ。一応対案のようなものも用意はしている。

(最終校正日2007.07.31)

2007年3月29日木曜日

070329 メールが増えてますが

【ジュセリーノ予言の真実 0329】 メールが増えてますが

前に何度か「ブログの文章はほとんど校正とかしないでそのままアップしている」と書いたことがあった。

今でもほとんどそうである。

書いて、コピー&ペーストで順番を入れ替えたりして体裁を整えるくらいだ。

そして直前に一・二度読見直して、特におかしなところがなければそのままアップしている。多少の「てにをは」の助詞の間違いがあってもそのときは手を入れたりすることはない。

そのほうが読んでいて面白いからだ。

それと本音を言えば、ブログに掛ける時間はなるべく短くしたいという部分もたしかにあることはある。

ときどき「よくそんなに沢山書けるね」みたいな感じで感心されたり、驚かれたり、呆れられたりするのだが、自分としてはむしろまだ書き足りなくて、いつもどこか「不完全燃焼なまま」ということの方が多い。

特にこっちのブログに関して言えば、次から次と書かなければならないことが出て来て収拾がつかなくなることもあるわけで。

というか今がまさにその状態なのだが。

昨日もまた結構な数のメールを頂いた。コメントもちらほらあった。

まだ全部に目を通したというわけではないが、正直言って首を傾げたくなるようなものが多くなったのである、日曜日以降だが。

「大地震があったのだから予言は当ったといえる。何故そうまでして無理矢理ジュセリーノを贋物呼ばわりしつづけるのか。みっともないからすぐに謝りなさい。」みたいな感じのメールである。

中には「地震はない、と言っていたがちゃんと大地震は来たではないか」と書いてあるメールも来た。

よく読んでもらいたい。自分は一言たりとも「(大)地震は来ない」なんて書いた覚えはないぞ。そんな「地震は来ない」なんてことを断言すること自体が一種の予言になってしまうではないか。

きっとアタマの中で脳内変換して、「かまた=ジュセリーノの予言否定=地震はこない」と勝手に組替えてこんなことを言っているのかもしれないが。

自分が今「ジュセリーノの予言が贋物だ」言いつづけているのは前からとまったく同じスタンスのままである。

「大地震が来たから本物」であるとか、「来なかったら贋物」という単純なリトマスではない。もし東京でも日本のどこかにでも大地震が来なかったら、それはただ単に「外れた予言がひとつ増えた」くらいにしかならない。

それくらいジュセリーノの予言なんて最初から外れまくっているのだ。ただ、ブラジルから遠く離れた日本では何故か(←嘘、理由ははっきりしている)それが正しく伝えられずに、まるで今までしてきた予言が「90%の的中率」であるとか、航空機の事故を前もって公表していとか間違って伝えられているだけなのだ。

少なくとも、一昨年の暮れにそそのかされたジュセリーノがマスコミ向けに公表してしまった「予言」は、その内容を見ればすぐにでもわかるが5%程度の的中率でしかない。つまりその時点で「誰か」がついた嘘はもう明らかなのだ。

日本に関しての地震の予言も過去に大きなふたつを外しているし、「3月の地震の予言」にしたって、今回の能登の大地震のことを差しているようには読めない。なんとなく、無理矢理に拡大解釈すればそう読めるかな、程度のものだ。そしてこの「予言を無理矢理拡大解釈する」「そうやってハズた予言を当ったかのように見せてしまう」という方法論は数年前にノストラダムスの予言が世の中に跋扈したときに確立されたものとまったく同質である。

しかしノストラダムスは大昔のすでに死んでしまった「預言者」でるのに対してジュセリーノはいまでも口を聞くことの出来る、生きている予言者である。

無理矢理な拡大解釈をする必要もないし、してはいけないことなのだが。

そういう解釈をすればいずれ恥を掻くのは目に見えていることなのだ。

それにもし、仮にジュセリーノ当人が「そうだあの予言は能登で起きた地震の予言だ」というのであればだが、それでは911のテロの予言をして「高いビルに二機の飛行機が衝突する」というビジョンを見たと堂々と語る予言者にしては余りにも脆弱すぎる予言でしかないではないか。なんかおかしくはないか?そういう不審な事実ばかりが持ち上がってくる。それがジュセリーノの予言なのである。

そのこと(今までのジュセリーノの証言は、斯様に矛盾に満ちているものばかりだ)を考えれば、「ジュセリーノの予言」なんて、あとから体裁を取り繕ったただけのものだということは(冷静に物事を見られる人であるのならば)誰でもわかってしまうようなことなのであるが。それがわからないという人は頭の中に何かが足りないか、さもなくば余計なものばかりがぎっしりと詰っていて事実が見えなくなってしまっているのどちらかである。

日本に韮沢潤一郎はたったひとりでいい。別に彼の真似などしなくてもいいだろう。

2007年3月28日水曜日

TBSの地震報道から見えてくるこの局の体質

3月25日に起きた能登半島大地震のテレビ報道に関する文章である。

事実であるのでこれだけはまずはっきりとここで書いておくが、今回の地震で死者が出たということを一番早く報道したテレビ局はTBSだった。褒めているのではない。その逆だ。

TBSのテレビは臨時ニュースの中で「死者が出た」とだけ伝え、それが「どこで、誰が、何故」ということはまったく伝えずにただひたすら「死者が出た」とのみ繰り返していたのだ。

自分は輪島市の近くに知り合いがいる。羽咋にもいる。なものでこのニュースを耳にして急激に不安感を増してしまったのだ。

それでも心の奥底では「まあ、TBSだからあてにはならない」とか思っていたのも事実なのであるが。

おそらくは、まず間違いなく自分と同じように、石川県に知り合いがいるという人で、このTBSのニュースを見て不安になった人は多いはずだと思う。

その後、(確かNHKだったと思うが)別の局のニュースでその犠牲者が50代の女性で自宅の庭で倒れた石灯篭の下敷きになって死亡したという詳細を知り(不謹慎だとはわかっていてこんな言い方をするのだが)自分の知り合いでないことを知りほっと胸をなでおろした。

だが、その時刻TBSテレビの臨時報道番組は未だに「死者が出た」とばかり繰り返してして、その犠牲者の詳細については何も伝えてはいなかったのである。

どうやらこのテレビ局にとって大切なことは「死者が出た」ということで不安を撒き散らすこと、そのことで視聴者を釘付けにすることのほうらしい。たまたまそうなったのではなく確信してやっているようなのだ。

自分が「まあTBSのことだからあてにならない」と思ったのも、整形外科医の長女が誘拐されたときの事件報道のあり方であるとか、ここの局の捏造体質というものをよく知ってていたからだが。


あと、これは笑い話にしていいものなのかは微妙なところなのだが、

地震直後の被害の映像として、系列地方局の資料室の床に8センチCDが大量に飛び散っているところを何度も何度も繰り返し使用しているのには苦笑してしまった。
床に散乱しているのが8センチCDだけというところが笑いのツボなのである。

その映像で何を伝えたいのかがよくわからなってくるからだ。これでは地震による被害の生々しさ、大きさを伝えるというよりも、別の事実しか伝わってこない映像になってしまっている。

8センチに限らず大量のCDを所有している自分は、この映像を見て、「手前の系列局でのCDの扱い方の不手際を全国にぶちまけてどうするんだろう」という苦笑になったのだ。

8センチCD、昔はシングルCD(今では12センチサイズのものが主流になったためにこういう言い方は通用しなくなった)とも言ったが、今では演歌系のものしか見かけなくなってしまった。何故廃れたかというと、生産と流通のコストが見合わなくなったからだ。店側でもこういうシングルCDの専用什器(陳列棚)はどんどん置かなくなってきている。

一昨年の夏、宮城で震度5の地震があったとき、自分のCD、ミュージックカセット、ビデオ、本の入った棚や保管箱はビクともせずに中身が崩れ落ちたりということはまったくなかった。

それなりに気をつかった保管をしているからだ。

8センチCDはすべて縦に並べて、タイトルとアーチスト名が書かれている辺を上向きに揃えてCDと同じ大きさ(高さだけがやや高い)の箱に入れている。

箱(自分はごく普通のダンボール箱を使っている)の仕切りと底敷の厚みで調整して箱と同じ高さ大きさに詰め込めば結構な数を積み重ねても決して箱が潰れたりはしないものなのだ。というかそもそも8センチCDはそういう形で保管なり流通されることを前提にしている。それ以外の方法だと、大量に積み上げたりすれば崩れたり折れたり、あるいは変形するのがむしろ当たり前のことなのだ。

仮にも「資料室」と名乗るくらいならばせめてそれくらいのことはしてほしいと思ったね。

まあ、CDの件はこれくらいにするが。

さて、本題に戻る。それにしても、いまでもその特別報道番組でニュース原稿を読んでいた女子アナのことを思い出すたびに腹が立ってくるのである。「死者がでました」ということばかりを強調して繰り返してこちらの不安だけを煽ってくれたからだ。

決して彼女の責任でないことは頭ではわかっているのだが。一度植え付けられた悪感情というものはなかなか消えはしないものだということだ。

さて、不安を煽るといえば、今だにブログなどでジュセリーノの予言とこの能登の地震について関連づけてああだこうだと書いている人は多いようだ。

繰り返し言うが、今回の能登の地震とジュセリーノの予言とはまったく関係がない。

「日本のどこかで」と書いていればそう見えてしまう=当ったかのように見える、というだけだ。

その他の部分ですでにジュセリーノは幾つも予言はハズレている。これこそが事実というものだ。

そして「テレビ朝日」と「たま出版」にはその不安を煽ってきた責任がある。この重要な事実を隠したままだからだ。

どう言い訳をしようとも、こいつら(テレ朝+たま出版)が金(視聴率とか本の売れ行き)のためにジュセリーノの予言を利用したことだけは決して忘れてはいけないと思う。

まあ「たま出版」は置いとくとして、テレビ朝日の罪は重い。テレビ朝日というテレビ局でありれっきとしたマスコミだからである。

マスコミが不安を煽るためのものであっては決していいわけがないだろうということを改めてここで言っておく。

それともそれがテレビ朝日の目的なのか?


※追記
ジュセリーノの予言とは直接は関係のない文章ではあるが、もともとこのブログではこういうことを書いてきたわけで、自分としてはこのことだけは抜かしたり書かないでいたりすることは出来ないという強い動機があって記事にした。

実は3月分で一番反響があったのはこの記事であった。
逆にこの記事を読んで「ジュセリーノの予言」なるものを知ってしまったという人も出てしまったようだった。そうなると逆効果だったともいえる。

いや、はじめから「偽の予言」という形で「ジュセリーノ」のことを認識してもらうことが出来たということも出来るわけでそうなると正直微妙な感じがした。

それと、「正しい8センチCDの保管方法」について感心されたり、逆に「それでは間違っている。本当に正しいシングル8センチCDの保管方法は…」とかそっち方面の反響も多かったということを付け加えておきます。

それでも、今でもあの女子アナのNYの顔を見ると、やはりあの時のことがフィードバックして怒りがよみがえってくるのには我ながら困ったものである。彼女のせいでないということは頭では理解はしているのだよ。

(初出)2007.03.28「これもまた人生の一日」(ライブドア・ブログ)

2007年3月26日月曜日

070326 改めて言うが

【ジュセリーノ予言の真実 0326】 改めて言うが

石川県の輪島には知り合いがいる。羽咋市には昔アルバイトだった女の子がいる。七尾にもいる(最近はまったく連絡は取ってないが・・・)。非常に心配している。いまだに電話は繋がらないし。怪我とかしてないかとか、ちゃんと寝る場所はあるのかとか、食べるものはあるのかとか。

こういう事態になるとインチキの予言くらい始末に置けないものはないなということを改めて感じさせてくれるものだ。

ジュセリーノは「石川県」とか具体的な地名を出していたわけではない。一種の確率論的な言い方になるが、せめて「日本のどこかで大地震がある」とか書いていれば「当った」と見えてしまう予言にはなっていたのだろうが。

しかしそれとて「当ったかように見えてしまうということ」でしかないということだ。

このことをちゃんと理解できている人間の方が大多数なのは喜ばしいのだが、それでもやはり日本のどこかにはまだ「ジュセリーノの予言が当った!」とか騒いでいる連中がいる。

それどころか露骨にも喜んでいることを隠さないでいるアホもいるわけで。

これは自分で確かめたものばかりではないのでひとつひとつあげつらってああだこうだ言うわけにはいかないのだが、「能登半島と房総半島の形がそっくりなのでジュセリーノは東京と石川を勘違いしただけだ」とか「石川県も地球的に見れば東京の隣りだ」とか書いている人間がいるのだという。

こういうのを「予言のアホ解釈」というのだ。

ノストラダムスのときにはこういうアホ解釈だけが世の中に蔓延していた。まあ「と学会」の本とかもあって割りとすぐに沈静化したが。

でもまたこうして懲りない連中というものはかようにして湧いてくるものだ。ひとりいるということはその陰に最低でも50匹、じゃなくて50人はいる、という法則もあるが。

こういう連中のことが可哀想だなと思うのは、ジュセリーノの予言をノストラダムスの予言と同列にあつかってああだこうだと解釈して「予言が当った」と見せかける技術にばかり目がいってしまい肝心な事実を忘れていることだ。

それは、ずっと前にも書いたことだが、ジュセリーノは今も生きているということだ。

何故今生きている予言者の言葉をいろいろとこじつけたりする必要があるのであろう?

そんな無駄なことをするよりも直接当人に聞けばいいのだ。

生きている予言者の言葉をああだこうだと解釈してみても所詮は空しいだけだ。
そうでなくてもジュセリーノって人間は無駄に饒舌というかお喋りがすぎて自分で墓穴を掘ってきている。おそらくは今回も同じようなことをしでかすのであろう。

しかも、こういう(ニセ)予言者が予言者としての命脈を保つためには、すぐそばに有能な通訳・アシスタントというものを置いておき自分は沈黙を貫く必要があるものなのだが、ジュセリーノの日本でのサポートをしているのは、「たま出版=韮沢潤一郎」なわけで。

まあ、だからおそらくはこれから「ジュセリーノの予言は当っていた!」とか書くブログとかこれからいっぱい出るのだろうがそんな恥ずかしい真似は辞めたほうがいい。

一応アドバイスだけは送っておく。無駄だとは思うが。

※最初の3月25日分の投稿は削除(下書き)扱いにしました。能登で地震が起きる前のものだとはいえ、不謹慎と誤解される危険があるからです。




【追記】

某占いのブログでこの記事が取り上げられ(確認したのは相当あとになってからだが)、そちらから飛んできたとおぼしき方のコメントが数多くのこされておりました。ありがとうございました。

まあそれで削除した0325の記事であるが、「たとえ3月中に日本のどこかで大きな地震があって多数の死者が出たとしても、それとジュセリーノの予言を結びつけるのは間違いである。やはり言葉通りに東京で起きた大地震でなければ現在生きている予言者の予言としては当ったことにはならないだろう」
というようなことを書いた。
今考えてみれば過敏すぎるのかもしれないが、やはり実際に大地震がおきて死者が出た以上はそのままというのも問題だと思い0326でこのように書き改めた。

あと、羽咋に住んでいると書いた元アルバイトの子はすでに金沢に引越ししていた。連絡があったのだ。実家の家屋などは相当の被害があったというが大きな怪我をした人はいなかったようだとのことであった。

輪島町に住んでいる知り合いからは共通の知人を介して無事だとの連絡をもらった。だが「かまたさんが心配してたぞ」と伝えたところ「誰だっけ?その人」と答えがかえってきたそうである。ガク然。(笑)
忘れられているということにガッカリした自分であった。(忘れていたのは名前だけのようであるが)

七尾出身の人も無事だったようである。「それもう旧姓だから」との連絡があった。(笑)

2007.06.22

070326 昨日(3月25日)に起きたことについて

【ジュセリーノの予言の真実 0326】 昨日(3月25日)に起きたことについて

昨日の日曜日は大変だった。
一度公開扱いにした記事を引っ込めて代わりに書いた記事が何故か更新で反映されておらず、そのことに気がついたのは今朝になってからだった。

それも「直した」と思っていたのが結局は直ってはおらずに夕方やっと直ったことを確認したばかり。

こんな時期に「ジュセリーノの予言が・・・」とか言っていること自体が実は不謹慎なことなのだが。

メールが14通。コメント書き込みが26件。昨日一日に届いた分である。

あれだけ書いたにも関わらず「能登で起きた大地震」と「ジュセリーノの予言」を結びつけてあれこれと言っている(大真面目に信じているのである)ものが実際に来るのだ。結構な数。

「2ちゃんねるから来ました」みたいな感じのメールとかコメントも目につく。

リンクが張られること自体は、前にも言ったことだけど全然構わない。それは別に2ちゃんねるだけに限らない。どこの掲示板でもブログでもいい。そのほとんどが良かれと思ってそうしているということはちゃんと伝わってきている。

はっきりいって時にはクソみたいなメールも来るし、つまんないコメントとか書かれることもあるが、それはもうしかたのないことと覚悟していますので。
そんなんで折れるような神経は持ち合わせてはいない。

目的の実現のためには飲まなければならない現実の洗礼というやつで。

で、(いつもここで取り上げている)友人からのメールで「2ちゃんねるで叩かれてるぞ」みたいなことを知った。

なんでも「能登で大地震が起きたので沈黙をしてしまった」とか書かれているとか。

別に沈黙したわけでない。上記で触れたように一度書いた記事をひっこめただけだ。時期的に不謹慎だからだ。

ていうか、「沈黙してしまった」というのは、そう書いた人間の願望なのだろう。やっぱウザイですか。そうですか。そうでしょうね。

それで、自分はさっき実際に2ちゃんねるのジュセリーノ関連のスレッドを巡回してみたのだが、自分が見た限りではそういう書き込みは結局一レスしか見当たらなかった。拍子抜けした。

なんか、もっといっぱいあるのかと覚悟だけはしていたのだが。

まあ、そもそも「2ちゃんねるに書かれている」という言い方もおかしい。

どんな馬鹿でも書き込むことが出来るのが2ちゃんねる(という匿名の掲示板)だということだ。自分はそれだけのことなのだと思っている。

全体的に見ればむしろ2ちゃんねるは冷静なほうではないか。為になるまともなことのも多かった。酷いのはむしろYahooの掲示板のほうだ。


その2ちゃんねるのオカルト板にあった「ジュセリーノの予言2」というスレッドの当該書き込みだが


http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1172915418/


 916 本当にあった怖い名無し 2007/03/25(日) 20:15:56 ID:VOg80lzr0
ジュセリーノの預言をぼろくそに書き続けてきたブログも流石に今日は沈黙
している。
http://blog.livedoor.jp/akgoodco1224/archives/2007-03.html
練習では90%成功してきた世界歴代最高の浅田や安藤ですら本番になると、
まさかの失敗が続いてきました。
ジュセリーノも同じように、昨年から預言を公表し始めてからは、
予言パラドックスのような未経験の現象で外す事が多かったが、
これから慣れてくれば、今年度中に対策(例えば自動車全廃?)をしなければ
5年後までに人類が滅亡するほどのカタストロフィーに見舞われる事を
予言で証明し続けるでしょう。



あえて「どこが」とか言わなくとも、ただならないものが伝わってくるような怪しい文章である。

まず、たとえとして持ち出してくるのが「女子フィギア」だというのが凄い。

「予言パラドックスのような~」とか「慣れてくれば~」といったところは、きっと自分でも書いていてなにがなんだかわかんなくなっていたのであろう。

まあ、自分のとこにはこれに輪をかけたようなメールとかが来ているわけで、このスレに特段驚いたりはしないが。何事も経験は大切だという例である。この場合「経験」というよりは「免疫」といった方がいいか。

まあなんにしてもこうなってくるともう「ただの思いつき」だとか「警告の意味を込めて」とかの言い逃れはしては欲しくないものである。

でそういう自分が何を望んでいるかというと、いうまでもないことだがジュセリーノ本人に対して
「能登で起きた大地震と自分がした予言には因果関係があると思っているのかどうかに対する明解な返答」である。

この部分を曖昧にしたままにしておくと、日本にはこれからはもこのようなどうしようもない「予言バカ一代」の人々の数が増えてゆくという可能性は否定できないと思うのだ。

もちろん、ジュセリーノ本人が「因果関係有り」と言ってくれればむしろその方が叩き易くなるだけなのだが。

ジュセリーノ本人が出来ないというのであればやはりジュセリーノの本を出すという、たま出版=韮沢潤一郎がその責任を負うべきであろう、ここは。

まあこんなイージーな罠に引っ掛かるとは思えないのだが。

どこかの新聞社とか実際にやってみたらどうだろう。部数も伸びるだろうし社会的にも意義のあることだと思うのだが。


結果から言えば、少なくともたま出版の韮沢氏はこの能登大地震とジュセリーノの予言を結びつけるような発言(コラム)をしたことで墓穴を掘ったといえる。

まあ彼自身がこの私のブログを読んでいるとは到底思えないのだが、彼の身近にいる誰かがこのブログに目を通して彼に「こんなことを書いているブログがあるから気をつけた方がいいぞ」くらいのことは言ってそうだ。

韮沢氏がBBS上でジュセリーノ本人のものとは思えないような発言を紹介していたことに自分が突っ込みをいれ、「たま出版とジュセリーノ本人にはさほど密接なコミュニケーションはないはず」と書いたところ、次からは直接聞いたことではなく伝聞であることを匂わせるような表現に改めだした。これは単なる偶然なのだろうか?

あとやはり「ジュセリーノ来日未遂」の件であるが、間に入った某人物に高額なギャラを吹っかけられて、それをテレビ局(テレ朝とも日テレともいうがたぶん両方だろう)に蹴られたという話が伝わって来ている。日テレサイドから洩れてきた噂ではあるが。
(2007.07.21)

※最終校正日 2007.08.01

2007年3月24日土曜日

070324 こどもたちに伝えたいこと

【ジュセリーノ予言の真実 0324】 こどもたちに伝えたいこと

「ジュセリーノの予言」というものに関して、子供達に伝えたいことがあるとしたならば、それはたった一言「あんなものはインチキだよ。予言は当らない」ということになる。

人類皆に未来というものは確実にあるし、やって来る。

そういうことだ。

自分はそういうことをちゃんと言葉にできる大人でありたいと思っている。

じゃぁ何故こんな「偽の予言」が世の中に蔓延(はびこ)るかだ。

それは大人には「未来」というものがないからだと思っている。

未来に絶望した大人の願望、それが予言というカタチになって世の中に広がってしまうのだと思う。

何故そんなことが言えるかというと、自分の中にも(そういう大人たち同様の)「自分に対する絶望」があるからだ。

しかし、自分はその絶望を予言の実現というものには摩り替えたりはしない。
自分に対する「絶望」は自分のチカラでなんとかしなければならないものであって、それはどんな言い訳をしようが、決して逃れられない現実だからだ。


さて、子を持つ親の方々から時々お礼のメールを頂くことがある。書いてあることは皆大体同じだ。

「子供達に植え付けられてしまった「ジュセリーノの予言に対する恐怖」とかを取り除くために有効な手立てがどこにもなくて困っていたが、このブログを見つけてその幾つかを実際に確かめたり、実行することで子供達を納得させることが出来たという。

そのなかのひとつはもちろん直接テレビ局に電話をして、「ジュセリーノの予言が本物か贋物なのかをテレビ局の人間に(子供に向かって)答えさせる」ということなわけだ。

もし、他にもそういう悩みを持っているという親御さんがいたのならばこの方法をお奨めいたします。

こういう電話だったら当のテレビ朝日だって逃げも隠れも出来ないし、迷惑電話にもならない。

でも、だからといって、大きなお友達のみんなはこどものふりをしてテレビ局に電話しちゃダメだよ。わかってるね、絶対にダメだよ。

わかってるね!

2007年3月23日金曜日

070323 予言者のとるべき態度

【ジュセリーノ予言の真実 0323】 予言者のとるべき態度

もちろんこのブログを読んでいるという人ならばご存知の方も多いだろう。
22日関東地方で小さな地震があった。震源地は埼玉で震度でいうと3くらいだそうだ。

東京にいる知人の話はまだ実際には聞いてはいないが、目黒(中目黒駅近く)に住んでいる人のはなしとしてだが「気がつかなかった」というくらいのものだったそうだ。伝聞として自分の耳に届いてきている限りだが。

まあなんにしてもこれをジュセリーノの予言と結びつけるのにはいくらなんでも無理があろうというものだ。全然パニックになっていないし。

しかし、今さっきそういうジュセリーノの予言関連の掲示板を見て回ったのだが、いるんだよなぁ。そういう馬鹿野郎共がさ。「ほら、当ったじゃないか!」とかの書き込みがあった。

中には、「これは前震で数日したらもうちょっと大きいのが来るんじゃないのか」とか書き込んであったりして、まあこういう人間は正直なのか、それともとことん性根が腐っているのかはわからないが、どっちにしてもまったくもって不謹慎極まりない人間だなぁと少し腹を立てているところでもある。

そこまでして「ジュセリーノの予言」が当ったということにしたいのか?こういうことを思っている連中、書き込む人間にはこういう質問をして答えを聞いてみたいものだと思っている。

「では何故ジュセリーノは一昨年あった震度4レベルの地震に関する予言は残さないで、こんな小さな予言を見通したのか」と。

だからたとえ可能性としてジュセリーノが(予知能力があるという意味で)本物の予言者だとしても、その能力は極めて低くお粗末なレベルでしかないということだけは逃れようのない事実として突きつけられることになるのだが。

まあだからもし自分がジュセリーノに対して何かを言える立場の人間であるのならば、
「あなたのような能力のない予言者は迷惑だから、沈黙を守ってもらいたい、そういう態度を貫いていただきたい」ということだ。

もし彼が自分のことをいまだに「敬虔なクリスチャンである」というのであるのならばだが。

でなければ一刻も早く自分のついてきた嘘を白状してもらいたい。そっちのほうがよっぽど世のため人のためだ。ジュセリーノという予言者のためにいらぬ不安を感じたという人はとても多いのだから。

さらに言うのなら、こういう迷惑な予言者なんぞいなくとも地球温暖化に対する人々の真剣な取り組みは着実に進んでいっているということも併せていっておくか。

むしろこういう「矮小化」された予言みたいなもののほうがどれだけ「真剣に地球温暖化阻止のために活動している人たち」の邪魔になっているのか、そのことも真剣に考えてもらいたいのである。




【追記】 
この記事に対する反感や反論というものを結構な数頂戴した記憶がある。要するに「地球温暖化」に対する誤解に基づいてはいないかという主意、趣旨のものだった。

まあこのころはこのブログで書いていたのはあくまでもジュセリーノという突如現れた自称「予言者」の虚構を暴露することだけといってもよく、こののち民主党の代議士連が中心とするジュセリーノを持ち上げる政治的な動きが顕著になったのちに彼らの主張するところの「地球温暖化のシステム」がどれだけのまやかしであるかを説明する必要があったので「地球温暖化阻止」を訴えている人たちに対する批判はここではまだしていない。だからといってこれを読めば自分は別に「地球温暖化=人為的な二酸化炭素増加」を肯定しているのではないことは御理解いただけると思う。

2007年3月22日木曜日

070322 3月の地震に関しての予想

【ジュセリーノ予言の真実 0322】 3月の地震に関しての予想

まずは訂正から。たま出版から発売されるジュセリーノの本の発売日であるが、「3月20日」と書いてしまったが「30日」のようです。この記事を見て発売日を20日だと思い込んでて書店に買いに行ったという方がいてクレームのメールが来ました。申し訳ございませんでした。というか本音を言えば、~そんな本買うなよなぁ~なんだけど。まあしかたがない。素直にお詫び申し上げます。ここは。

30日発売ということは「3月東京大地震」というところを抜かして本にするということなのだろうか?

もし「3月中に大地震」がなかったことを考えると、本文中で「3月に東京で大地震がある」とか書いてあれば、その本は書店に並んだ時点で「ダメ予言本」になってしまうということだ。おそらくはその部分はカットするであろう。

しかし、不謹慎な発想だが、もし仮に3月中に東京で大地震があった場合、本の中にそのことに対する記述がなければ「予言を外した」ということにもなるのだが。

まあ、どういういいわけをしてくるかは大体わかっている。

「ジュセリーノに予言の最新版の確認を取れなかったのは残念なことだ。ひょっとしてジュセリーノは日本に関する3月の大きな予言をしている可能性は高い」とか言ってくるのである。このやり方でたま本(韮沢潤一郎氏)はずっと生きのびてきたといっても過言ではないからだ。

だとしたら発売日を30日にしたこと自体が大失敗でしたな。

伝え聞くところによると、ジュセリーノはアイルトン・セナだけでなく、ダイアナ妃、プレスリー、ビージーズ(モーリス・ギブのことか?)といった有名人の死をも予言していたという。それが今度出る本の中に書いてあるというのだ。よせばいいのに。

ジュセリーノはなんでこんなリスキーなことをするのであろう?

自分はジュセリーノの「アイルトン・セナの死は殺人である」という部分に対してすぐにその欺瞞を見破った。同様に世界的な有名人やその死について語れば、その知人や家族、あるいは熱心なファンからすぐにそのおかしな点を指摘されるだけなのだが。「事実と違っている」と。なんにしてもその本をそういう部分の興味だけで買うにはもうすでに色褪せてしまっているような気がする。

さて、在日ブラジル人のNSさんから久しぶりにメールを頂いた。

ジュセリーノはひょっとして北半球と南半球では季節が逆になっているのを忘れていて(知らずに)3月の予言として「イギリスに大熱波があって水不足になる」なんて予言をしてしまったのではないか?という疑問に対する彼女の意見が述べられていた。

NSさんによると「その可能性はものすごく高い」のだそうだ。その根拠というか理由も書かれていた。

例の「タイプの打ち間違い」に関することだ。ポルトガル語について詳しくわからないとなかなか理解しにくい部分のようだが、要するに、去年(2006年)の予言をよく見るとやはり「ヨーロッパ地方に関する予言の部分にはいくつもおかしなところがある」ということらしい。

ここで自分がそのことを書くには自分のポルトガル語の知識がなさすぎるのでこのことについてはじっくり確認してから後で書きたいと思っている。




追記
「ジュセリーノの2006年の予言」自体がすでに彼のHPからは削除されているのでその真偽については確証が取れ難いことのひとつなのであるが、2006年の予言の中に「10月にヨーロッパで大きな山火事がある」という予言があるらしいのだ。普通ならば考えられない。もしこれが春先ならばありえないこでもないのだが。ウィキペディアにもこの予言は載っているのだが、だからなのか勝手に「季節はずれの」と付け加えてあるのがなんともなところだ。ちなみに10月、ブラジルをはじめとする南米は春先、このような山火事がよく起きる季節である。だから考えられる可能性はやはり「ジュセリーノ、季節の反転のこと忘れててこんな予言をしたな」になるのだそうだ。(2007.04.21)

これもジュセリーノの予言の特徴のひとつなのだが、タイプ打ちした文章の中の固有名詞、特に地名が顕著なのだが小文字だけになっているものが非常に多い。古いポルトガル語には確かにそういう習慣はあるらしい。しかしブラジルのポルトガル語にはこのような習慣は継承されておらず普通に大文字で始まるのが当たり前になっていて、NSさんにしてもJYさんにしても「打ち間違いかもしれません。多すぎます。」と言っているのだ。(2007.05.26)




※改題しました 旧題は「新たなる疑問の浮上」

(※ 最終校正日 2007.08.01)

2007年3月21日水曜日

070321 SNSの中の人たち

【ジュセリーノ予言の真実 0321】 SNSの中の人たち

SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の中でジュセリーノの予言についてあれこれと話題にしている人たちがいる。もちろんずっと前々からそのことは知っていた。

特にmixiとかでは盛んなようでいろいろと中の様子は聞いて知っている。

それどころかときどき招待メールをいただくこともある。もちろんジュセリーノが話題になるずっと前からだ。でも自分はその中に入ってゆくつもりはない。これっぽっちもない。

聞けばやはりmixiなんかはジュセリーノだけでなくそういう疑似科学、波動信者の巣窟みたいになっている。知っている。

まあ普通にHPとかブログとかでそういうこと(波動思想)をやっていると「叩かれる」だけだし、そういう雑音(←まあ、はっきり言えば自分のことだ)をシャットアウトしたところで仲良く自分ら信じる宗教について語りたくもなるのであろう。わからなくもない。

実際そういうところでひっそりとやっている分にはこちらとしてもあまりああだこうだと批判したり反証したりする気にはならないのだ。

自分にとっては自分のすることが「予防」に繋がるかどうかという点も重要だからだ。

(隔絶されたところで)あまり人の見ていないところでオカルト批判をしてみても結局はそれだけで終わってしまい、二次的・三次的な効果は生まない。
それではやっぱり駄目なんである。やっぱり。

そもそもそういうところに入ってゆくというのは自分が掲げた方針とはまったくもって合致していないし、その中の特定の個人に向けて「ジュセリーノの予言なんて贋物だからいいかげんに気がついてそういう予言頼みの人生は改めなさい」とか言ってみてもからきしなんの役にも立たないと確信している。

というか十ン年前までそういうようなことを実際にやっていたわけで。

まあつまりは、たとえは悪いけど、その中に入って行ってひとりひとり論破していったってバイオハザードみたいな感じになるだけだと、まあ思っちゃうわけなんですけどね。例えは悪いけどさ。

最近やはり某SNSで「非オカルト」をやっているという某氏より「コミュに参加しませんか。というか手を貸してください」みたいなご招待をうけたがお断りしてしまった。

やはりなんの目的でそういうことをしているのかの部分で合致しないと同じ立場に立っての参加は出来ないということだ。

その目的さえ同じで同一軸上にあるのであるのならそういうSNSへの参加も吝かではないのだが。

自分の目的とはいうまでもない「反カルト」である。この部分が合致していないといずれ足並みは揃わなくなり逆に足元が掬われたりすることになりかねない。

もちろん、そういう隔絶されている中で同じ者同士がずっといると「カルト化」してくるものだということは見てきて知っているのだが。

というか、今のかたち・体制で日本にあるSNSがそうそういつまでも持つとは到底思えないのだ。mixiなんかもう存続が危ぶまれているというではないですか。

まあ、だからそういうSNSでジュセリーノの予言について肯定的に語っている人たちに言いたいのは「そうやってずっと引き篭もってろよ!絶対に出てくんな!」という愛の言葉だったりする。

2007年3月20日火曜日

070320 フォトンベルト・その他

【ジュセリーノ予言の真実 0320】 フォトンベルト・その他

すこし前に、「フォトンベルト」であるとか「アセンション」とかいわゆる「2012年人類滅亡説」を唱えているブログのことについて軽く触れた。

ネットでジュセリーノの予言について見て行くと、こういう「2012年人類滅亡」について書いているブログにぶち当たる。

また、けっこう多くの人たちからそういうメールが来ている。

最近、またこの「2012年人類滅亡説についてどう思うか?」みたいなメールとかコメントの書き込みが増えてきた感じがするのだ。

はっきり言って自分はこのことに関してはよくはわからない。自分はこのことに関しては、はっきり言えば素人でしかないし、これについてちゃんと答えられる人はほかに幾らでもいるだろう。

もっとも、この「2012年人類滅亡説」というもの、別に最近言われ出したことではない。

けっこう前から(特に1999年7月を過ぎたあたりから)世間に流布していた。でこれはあくまで自分の記憶だが。

そもそも、この「2012年人類滅亡説」の根拠は「マヤ暦」だったはずだ。

そして、それに乗っかかるような形で割と最近に言われだしているのが「フォトンベルト突入説」なのではないか。

だから、本来ならばこのふたつは別けて考えなければならないもののはずだ。違うか?

で、まずはフォトンベルト突入のほうだが。

まあ、この説もよく考えれば(というか良く考えなくとも)実にばかばかしいホラ話に過ぎない。「突然ブラックホールに地球(太陽系そのものがだが)が吸い込まれてしまう」という話のほうがまだリアリティが感じられるくらいである。

まずはっきりといっておくが、この宇宙のどこにもフォトンベルトなるものは確認されていない。見つかってもいないし、普通の科学者でこの「フォトンベルト突入説」を支持しているひとはひとりもいない。

まして、そういうものが帯状になっている個所に地球が突入してまるで電子レンジの中みたいになって(笑)とかなるともうこれはSFとしても出来は良くない。

そんなことを心配するのは、たとえて言うのならば「高層ビルのマンション住んでいる人が窓からバイクが数十台飛び込んで来て部屋の中を滅茶苦茶にされるんではないか」というのと同じかそれ以上の杞憂というものだ。

心配するならもっとほかのことを心配したほうがいい。

たんなる仮説としてもだ。もし仮にそんなものが存在していたとしても(人類側の都合にあわせたかのように)「20××年に地球が突入する」とか時間的な計測なんてできるわけがないのであって、もし「5年後の2012年に突入する」とか真面目な顔して説く人間が目の前に現れたらそのときは「今度はいつ予定を変えるの?」とあらかじめ聞いておいたほうがいいだろう。

というのも、このフォトンベルト突入説、最初に登場したのが確か(これも自分の記憶だが)1980年代の終わりころで、それからときどき「延期」しているからだ。

しかも何故かいつも「5年後」あたりに再設定されている。

このへん、ノストラダムスの1999年人類滅亡説が騒がれはじめた時期が1994年あたりだったこととあわせて考えてみると非常に興味深いものがある。

オウム真理教の布教の内容が急変して、活動そのものも終末思想の実現に動きだしたのもだいたいこのころだった。(オカルトとカルトの連動というものを説明するのに非常に興味深い例だ)

そして今回はたまたま前からあった「2012年人類滅亡説」と重なって、まるで「多くの予言者や(疑似)科学者が同じようなことを言っている」ように見えてしまっているだけなのである。

「三丁目の平日」さん、「コウジ」さん、「男爵夫人」さん、「ぬこみみ」さん、「YUKA1348」さん、「EGKYUWS」さん、「CD1号」さん、「フラウ」さん、「麗」さん、「市川ママ」さん、その他無記名の方々、それとコメントで寄越した「びんで~」さん、「おっとっと」さん、「りの」さん、その他のみなさん、自分はそういうことだと思っています。

そしてこれは「3月も半ばになって、ジュセリーノの予言肯定派の勢いがなくなって来た」という感覚は正しいんだろうなという証左として自分は捉えている。

2012年人類滅亡説もそうだと思う。

これについてはもう少し本腰を入れて、いろいろな本を読んだり関係者から話を聞くとかしないと本格的な反論であるとか否定論は吐けないとは思っている。

マヤ暦とかちょっと素人にはわかりかねるものばかりだからだ。

だが、今の段階でもはっきりと言えることはある。「2013年になるまでは多少は信じてあげよう」ということだ。可能性的にはまったくのゼロというわけではないわけだし。

しかし、あわせて2012年滅亡説を唱えている人には論破しなければならない論敵は山のように沢山いるぞということだけは言っておかなければならないだろう。

まず彼ら全員を説き伏せて(論理的に納得させてから)改めて世間に対してこういう滅亡説を唱えたほうがよくはないかということを思っている。

その論敵とは「2008年人類滅亡説」を唱えている人々から始まって、「2009年人類滅亡説」「2010年人類滅亡説」「2011年人類滅亡説」を唱えている人々のことだ。いるんだから、実際に(笑)。

そう毎年毎年人類が滅亡するはずもないので、このうちひとつを残してあとの残り全部は嘘を言っていることにもなるわけで、そういう意味で早急に議論の必要があるはず。まずそれをやっておいてほしい。

こういう人たちは「2012年滅亡説」とは根本的な部分から違うことを唱えている考え方の持ち主なわけで、こういう人たちは「2012年説」をとる人とは決して仲間ではなくて、思想的・論理的には徹底的に議論をしなければならない「論敵」だろう。

まず彼らと議論を交わす必要があるはずだ。

「2008年派」すらすると「2012年派」なんて「ものすごく楽観的なことを言っている連中」ということになるはずだろう。

いってしまえば「人類滅亡派」によるプレイオフである。

そして、2012年になった段階で(もっと前からでもいいが)改めて2013年滅亡説などを唱えている人たちと戦えばいい。たとえ議論が長引いて2013年以降になろうとも(笑)。

そのときに2012年人類滅亡説については真剣に考えてあげようと思うのだ。かわいそうだし。

本来ならば自分等のような「人類はそうすぐには滅亡しないよ」派は、そういったプレイオフを勝ち抜いて来たひとつとだけと議論をすればいいはずなのだ。

毎年毎年 糞みたいな「人類滅亡の予言」と議論しててもしょうがねーよ、という軽い怒りみたいなものが自分にこんなことを言わせる。

2007年3月19日月曜日

070319 コメント欄・その他のことについて

【ジュセリーノ予言の真実 0319】 コメント欄・その他のことについて

批判されるのはある程度折込済みというやつで、そのことで深く考えたりはしないでなるべくすぐにメールを返信したり、あるいはこの本文で取り上げてそれに答えるような形で答えてきた。

コメントに対する要望も、2月18日以降ここではじめて書きこみをしたという人には申し訳ないが、諦めてほしい。せめて本文中で取り上げていることだけでもこちらの誠意なのだと捉えていただきたいと思っている。いずれは再開することにはなるのだろうが。

また、これは「困る」というのではなく、どう反応していいのかがまったくわからなくて今まであえてここでは触れてこなかったことなのだが、

このブログのことを褒めていただいたり取り上げていただいているHPやブログがある。
そのこと自体はありがたいと思うし、うれしくもあるのだが、なんか取り上げられ方が過剰というか完全に自分の思っているのとは違うところまで引き上げられて「反オカルトの戦士」であるとか「オカルトバスターの勇士」というような修辞を付けられて語られると正直なんとも言えなくなってしまう。

自分の中にそういうものに対する「いいなぁ」と思う部分は確かにある。あるがほんのちょびっとでしかない。それはこのブログをずっと読んでいただければわかることだと思う。

そんな勇壮なもんじゃございません。内情はときどきここでも触れているが、もっとドタバタとしているし、結構文句とか泣き言とかをブーブーいいながらやっている。

レベルでいうと「勇者」にしては限りなくへたれに近い。一般人としてならばまあかなりのものであるとは自認はしているが。そんなところだと思う。

ただ、自分としては「反オカルト」の旗を揚げていることだけは間違いはないことだし、これからもずっとこういうことはつづけてゆくのだろうという嫌な予感はある。というかそういうものだけは逃げずに受け止めようとは思っているが。まあそんな感じです。


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2007年3月18日日曜日

070318 誤解と弁明 ☆☆☆☆☆☆

 
【ジュセリーノ予言の真実 0318】 誤解と弁明 

自分がここでYahoo!Japan に対して文句を言っていることへの「批判」みたいなメールであるとか「コメント欄を開放しろ」とかのコメントがあとを絶たない。

まあ、批判されるのは承知の上でこのようなことをはじめてしまったのでそういう批判はあらかじめ織り込み済みである。

ただ、それが事実誤認の上からくるものであるとしたならばそういう「誤解」だけは解く努力だけはしなければならないだろうと思った。

まず、多くの(そういうメールをしてくる人たちが)勘違いしていることなのだが、自分は、何もヒット数が欲しくて、Yahoo!Japanの検索で、「ジュセリーノ」という単語で自分のこのブログが出てこないことがすなわちヒット数に多大な影響を及ぼすからといってYahoo!Japan を非難するようなことを書いているのではない。

もし仮にYahoo!Japanの検索でこのブログが上位にあったとしても、もうそんなにはヒット数はかわらないだろうと思っているくらいで。

そうではなくて、自分が目指しているのはあくまでも「検索での順位が常に上位にあって、誰かがジュセリーノの予言の本当のこと」について知りたいと思ったときにすぐに見られるような体制にしておきたいということだ。ある意味逆なのだ。

Yahoo!Japan で自分のこのブログが「無視」されることははじめからわかっていた。それに相応するようなブログなのである、このブログは。昔からYahoo!Japan とか本体のソフトバンクに対する悪口をバンバン書いてきたし。

しかし、決定的な要因として「スポンサー」がからんでくるとは思わなかっただけで。

どういうことか。論より証拠というやつで、一度試していただきたいのだが、Yahoo!Japan で「ジュセリーノ」や「ジュセリーノ 予言」というキーワードだとまったく顔を出さないこのブログだが、手打ちで(つまり並べられた関連複合の部分をクリックするのではなく)「ジュセリーノの予言」で検索すると、このブログなんと実は常に5位くらいになるのである。

実際にそうやって自分のこのブログに辿り付いたという人が結構多いのでまずまちがいのないことだと思うのだが。

その際、検索の結果に現れる画面の大きな違い。それが自分のこのブログが出てこない最大の理由だと確信するところまでは来た。(現在最終的な検証中ではあるが)

そして、もうひとつこれは見逃せない事実なのであるが、exciteの検索で自分のこのブログが常に上位(常に五位以内、だいたいは1位2位だ)にあるというのも、実はスポンサーがらみでそうなっているようなのだ。言われて気がついたことだったが。

だから、スポンサーがらみでそうなっている、というのであれば自分はYahoo!のこういう順位の優越のつけ方に対しては文句を言えるような立場ではないということだ。

というか「ない」ということを前提にしていろいろと悪あがきを繰り返している。

繰り返しになるが、自分が目指しているのはあくまでも「検索での順位が常に上位にあって、誰かがジュセリーノの予言の本当のこと」について知りたいと思ったときにすぐに見られるような体制にしておきたいということだ。

何故かというと、そのほうが「ジュセリーノの予言」を誰からかの中途半端な伝え聞きなどで不完全な形で知ってしまい、不安を感じた人という人に対しての「心の救い」になると確信しているからだ。

手っ取り早く確実なこと、それはジュセリーノの予言の「嘘」の部分を明解にすることだろう。

もちろん、そんなことをはじめから思っていたわけではない。きっかけは別のところだった。

なんとなくいつもの惰性で、「オカルト批判」のワンオブゼムとしてここのブログに書いたことなのにもかかわらず、びっくりするくらい反応だったことだった。

とにかく、メールの数が尋常でなく(まあ、今でも500未満だが)そのうちの5割以上はこのブログを読んで良かったと書いてきてきている。

さらにそのうちの2割(つまり全体からすると1割強)の人が「ほっとした」「心の落ち着きを取り戻した」「ひさしぶりに過呼吸の症状から開放されて安眠できるようになりました。」「やっと赤ちゃんを産む決意をすることが出来ました」「子供たちに対してちゃんとした言葉での説明をすることが出来て親として非常に助かりました」「3月の卒業式もちゃんと出席しようかと思っています。」という謝辞とともに長いメールを送って寄越してくれた人たちだった。

長いメールだったが、ただ単に長いというのではなく、それなりに必然というか切実な抱えていた思いというものを書いてきたというひとばかりであった。

そして何人かは「このブログがもっとわかりやすいところ目立つところにあればいいと思う。」と書いてきた。

自分はそれまで一種の自己満足だけでこのブログを続けて来たわけで、そういわれると困る部分はある。

しかし、


>自分のように不安を抱えてパソコンの前でいろいろとネットで
>あちこちホームページやブログを見ててやっと
>(中略)たどり着いたという人もいるだろうし
>もしかしてみつけられなくてたどりつかなくてあきらめて
>今でもなんとなくモヤモヤした気分のままという人
>多いんじゃないかと思うのです


この言葉が自分の中にあった重いものを動かした。

自分はいわば「過去の人」である。自分は自分でそう自己規定してきた。今尚急激なスピードで進化し続けているネットにおいて、自分は「最先端」のところで活動しているという意識はこれっぽっちもない。

だから、本当のところ、自分のこのブログが各社の検索の結果順位で、どうやれば常に上位にいられるのかということがはっきりとはわからないままで、とりあえず見切り発車のままスタートしてしまい、肝心な部分が抜け落ちていたり、あるいは無駄な二度手間・三度手間をくったりしてあまりスマートとはいえなかったのだ。振り返ると。

しかしそれらを救って、余りあったのはやはり自分のこの思いをストレートに汲み取っていただいた数多くの皆さんのお陰である。


さて、ここに来て日本での「ジュセリーノの予言」騒動は実は収束する方向へ動き出している。

さまざまな部分でそれを感じることができる。

たとえば、そのYahoo!JapanでもあるいはGoogleでもなのだが、「ジュセリーノ」で検索されてヒットされる件数だが、ここ二週間でしだいに減ってきているのだ。

閉鎖したり削除したブログもやっと自分の目で確認しているところだ。あれだけ真剣にジュセリーノの予言の実現性を説いていたブログ自体が消えたり、あるいはその記述を削除したり修正してきたり(新しく疑問を称えるようになったり)してきている。

もっと露骨にわかるのは掲示板での動きかもしれない。「2ちゃんねる」だけでも一時期各版合計すると常に二十ちかくはあったはずのスレッドの数も今ではその半分くらいしかなくなった。
それだけ「一方」に勢いというものがなくなってしまったからであろう。

自分が常々「2ちゃんねる は意外に健全だよ」といつも言っているのは、こういう部分がいつでも正直だからだ。世間のナマの反応というものを計るのには非常に良い目安になるからだ。

むしろ常に「誰か」がリードしてないとグチャグチャになるYahoo!の掲示板のほうがよっぽど不健全といえる。

その今は勢いがなくなった「一方」とは、この日本のどこかで、あるいは東京に大地震が来てパニックになることを待ち望んでいるような不謹慎な連中でもある。

彼らはの頭の中の片隅のどこかでは、もうすでにジュセリーノの次にやってくるであろう新しい「人類の破滅を唱えてくれる予言者」の登場を期待しているのかもしれない。

別にそれはそれでいい。今、自分がするべきことはまずは「ジュセリーノの予言」の真実
つまり、実は「予言」だなんて語るもおこがましいただのインチキでしかないことをなるべく多くの人に伝えることだと決めている。

正直、こういう役目をキチンと果たしてくれる「新しい世代の人」がどんどんと出てくることを望んでもいるのだが。

2007年3月17日土曜日

070317 ジュセリーノに囁かれている噂

【ジュセリーノ予言の真実 0317】 ジュセリーノに囁かれているある噂

3月の予言についてここでいろいろと書いたときに似たようなことを書いているメールを3通ほどいただいた。

そのうちの一件、割りとわかりやすく書いたものを紹介させていただく。
「まちゅーら」さん、たぶん女性の方だと思う。

(前略)
>もしですね、ジュセリーノの立場に立って考えたときにです
>3月という寒い時期に高温で水不足になる予言しますか?
>もし仮に本当にそんな光景を夢で見たとしても
>普通だったら「ちょっと待て」みたいな気持ちが働くのでは
>ないかと思ったのです

>だってこんな予言をしてハズしたら、即予言者として名声を
>失うだけですよね?⊂⌒~⊃。Д。)⊃

実は自分も前々からチラチラとそういう疑念は持っていた。

特に1月から3月にかけての時期に「温暖化」だとかの予言が
集中していることになんだか妙な感じを受けていたのは事実だ。
これという確証がないのでちょっとためらっていた。

「まちゅーら」さんの推理は続く。
自分の経験を踏まえた実に興味深い文章だ。

>いや~、実はですね~、私も最近知ったというか
>思い出したことなんですケド
>確か南半球って北(半球)とは冬と夏逆じゃないですか?
>1月が夏で7月が冬
>ひょっとしてジュゼリーノって人北半球が冬だということ
>すっかり忘れててこんな予言しちゃったのかなぁ、なんて

鋭い。
といいつつ自分もそう思っていたことをここで正当化してみせているだけだが

他にも「TT」さん」「正義の右肩上がり」さんからのメールにも同じような意見というか推測が書かれていた。

もし仮にジュセリーノが夢の中でそういう「3月にヨーロッパで熱波による水不足」というビジョンを得たとしても決して彼はその予言を口にしたり公証書として残したりはしないであろう。
何故なら3月の終わりとともに彼の予言者としての名声が崩れ去ってしまうからだ。

確かに、地球の温暖化は事実だし、各地にその証拠ではないかと思われる現象が見受けられているのもまた事実だ。

だとしたら、どうせならばこういう温暖化に関する「予言」をするのであれば少しでも実現の可能性の高い(当ったと見えてもおかしくない)7月とか8月にしそうなものなのだ。

が、彼はそれをしなかった。

残される可能性はたったひとつのみだろう。

ジュセリーノがヨーロッパの3月は(南半球とは逆で)まだまだ冬だということをすっかり忘れていたからではないかということだ。

まあそういう推測で彼がいままでして来た「予言」をずっと見てみるとそこには確実にそれらしき傾向が見て取れる。

果して、彼が夢で見たという高温で水不足になるイギリス、フランス、スペインなどの北半球の各国。どこの北半球のことなのだろうか?

誰か韮沢さんに聞いてみてよ。

自分もNSさん(在日ブラジル人の方)に確かめてみたいことだ。

2007年3月15日木曜日

070315 恥ずべきこと そしてもっと恥ずべきことについて  

【ジュセリーノ予言の真実 0315】 恥ずべきこと そしてもっと恥ずべきことについて

前にも少し触れたことだが、今でも毎日下手をすると原稿用紙の枚数に直すと50枚分の文章を書いている。書くというよりも「打つ」だが。

一見スランプとかは無縁のようだが、打っているときはおもいっきりハードルを下げた状態なので実際に陽の目を見るのはそのうちの10%(原稿用紙5枚分)をちょい超えたくらいになるか。滅茶効率は悪い。

もちろんオクラ入りになった没原稿は捨てずとっておいてそのまま寝かせておき、あとで再使用することもある。

このブログ用の原稿も実はものすごいストック量になってしまった。おそらくは毎日更新してってもあと3ヶ月は絶対にネタ切れにはならないくらいの量だ。スゲェ。

これには自分の方が少し暗鬱になってしまった。結果的にものすごい無駄になってしまいそうだからだ。そういう鬱を少し解消したいという気持ちが強くなった。


さて、(予言肯定派の)他ブログへの批判・攻撃はまだしないと宣言したが、やはり、やるべきことはやっておいたほうがいいであろうという判断もある。(メールとか読んでいると)それを期待されているのかな、と感じる部分もある。

ひとつは、そのブログの大きなテーマである波動であるとかフォトンベルトとかの疑似科学とジュセリーノの予言を無理矢理結びつけたことへの批判であり、もうひとつはそういうブログで引用されているジュセリーノの予言につけられた「間違った日本訳」に対するつっこみである。

疑似科学への批判自体はずっと以前からやっていることでもあるので、今ここで持ち出さなくても後回しにしてもいいのかもしれないが(つまり、彼らはジュセリーノの予言を引っ込めたあとでもそういう疑似科学依存のブログはやめないであろう、ということだ)とりあえず、疑似科学とジュセリーノの予言を無理矢理くっつけたり、日本語の訳を捻じ曲げたりしていることだけは批判の対象としてここで俎上に上げたほうがいいのではないかと思っていた。

しかし自分もまたポルトガル語にはかなり不自由で、そういうことをやると自ら墓穴を掘ってしまいかねないというキケンもあったりする。したがって自分が出来るのは、NSさんやJYさんと連動して頂戴した「過去の予言の訳」の部分のみになる。名指しだけは控えておいた。そのブログの主が気がつけばそれでいい。


3月の上旬、アメリカ合衆国の南西部を大型の竜巻が襲った。被害は甚大で死傷者も出た。

このニュースをジュセリーノの予言と結びつけて語る人たちが(日本に)いた。

しかし、ジュセリーノは3月の予言の中では「アメリカに竜巻が」なんていう予言は公表してはいない。

竜巻による被害について述べているのは「四月」である。どう考えても、この竜巻の被害と四月の予言は別物である。結びつけて語るほうがおかしいのである。

「三月に竜巻の被害が(アメリカに)ある」と公表していなればジュセリーノの予言は当ったことにはならないし、四月にアメリカて竜巻の甚大な被害があったときにはじめてジュセリーノのこの予言は「当った」といえるのだが。(アメリカで竜巻のない月はないじゃないかというツッコミはまた別のところで)

ところが、何故か日本には(ブラジルにもいるらしい)この四月の予言が「前倒し」して実現したものだとしたり顔で語る馬鹿がいるのだ。なんなんだ、予言の前倒し実現って?

まずよく思い出してほしいのだが、ジュセリーノは何故ここまで皆の注目を集めてきたのかをだ。

「911同時多発テロや東京の地下鉄サリン事件を、正確な日付まで予言した」と言って出て来た予言者なのだぞ。そんな予言者にとって一カ月もズレた予言の成就なんてあってはいけないだろう。


E)Tornados atingem cidades Americanas e provocam muitas desordem e destruicao pelo pais;



「竜巻はアメリカの都市に到着します、そして、竜巻は両親に多くの被害と破壊を引き起こす」という日本語訳をつけているのだ。

子供達が竜巻の犠牲者になったという実際の竜巻の被害とその訳の中の「両親のために」という部分を結びつけて「子供が竜巻の被害者になるということを予言していてそれが当った!」とか書いていた掲示板の書き込みがあったらしいのである。(私は実際には確認はしていない)

どこまでも不謹慎な連中である。そのことに対する怒りはここでは少し納めておく。

さて、問題なのはそれを丸写しにしたブログがあったことだ。(それは自分のこの目で確認している。3.15現在もそのままになっている)

そこでもこの日本語訳(同じ機械訳サイトを使ったのか)が堂々と載っていた。

「竜巻(複数形)はアメリカの都市に到着します、そして、彼ら(竜巻)は両親のために多くの障害と破壊を引き起こします」


なんなんだろうねぇ。恥ずかしくないのかよ。こんな訳を載せておいて・・・

最後の「pelo pais」の部分に「両親のために」と訳を充てたりしたら、いまどきの高校生だってなんか日本語としてはおかしいと気がつくはずだ。(実際に高校生からこの訳はなんかヘンですよね?というメールが来ている)

自分はポルトガル語はほとんど読めないがフランス語ならば今でもそこそこは読めるので「pais」はすぐにわかった。ジュセリーノの3月の予言の中にこの「pais」という言葉が出て来たときにも逆にNSさんに「(ポルトガル語という意味ではなく)ブラジルでもこういう言い方をするのか?」と訊くことが出来たのもフランス語に似ている(おそらくは同源)からだった。

こういう疑似科学であるとかオカルトのブログ自体を全てここで否定する、ということではないにしても、少なくともこういう間違った訳がいつまでも堂々と載っているということはすなわち「そのブログ自体の信頼性自体がない」と判断されることでもある。

自分なんてこういうミスをすると誰かがちゃんと指摘してくれたりする。これはものすごくありがたいことなのだ。かれらにはそういうフェイル・セーフはまったくないようだ。

こういうUFOとかオカルトのブログをやっている人は、そういうことも言い出せない一種の「裸の王様」状態だからなのだろうが。

ヒントぐらいはあげよう。自分はそこまでイジワルではない。「pai」という言葉でGoogleのイメージ検索をすればすぐにわかる。もしそれでもわからなかったら、オカルトの人(オカルトのブログをやっていてこういう間違った日本語訳を載せていて気がつかない人)は基本的に何かが大きく欠けているとしかいいようがなくなるが。



※タイトルの「恥ずべきこと」というのはこういうことをエラそうに指摘することが一番恥ずかしい、という意味ですので勘違いなさらぬように

※これで原稿用紙約10枚分になるのだ。楽といえは楽だよなぁ。中身はともかく。(自己反省中)

2007年3月14日水曜日

070314 4月分の訳のこととか

【ジュセリーノ予言の真実 0314】4月分の訳のこととか  

「4月分以降の(ジュセリーノの予言の)訳は載せないのですか?」という問い合わせが来ている。

肯定派・否定派というくくりを超えた大きな立場からすると載せた方がいいのかも知れないが、今の状況ではあまり積極的に載せたくはない。NSさんからは「ここで先に訳を載せるのはよいことではないと思う」という意見が出ている。まあ、詳しくは言えないが一種の戦略としての話である。

JYさんも4月になったらブラジルに戻る予定だというし、ひょっとすると今までのようには行かなくなるかもしれない。

本当ならば、自分達がでなく、誰か本当にポルトガル語と日本語がちゃんと出来るという人が出てくるのを待つべきなのだろう。

もし、4月になって、そういうボランティー的な人が出てこなかったときには相談の上だがここに載せるつもりではある。

自分でもチョコチョコっとだが訳に挑戦してみたのだが、やはりポルトガル語は手におえない。それでも葡日辞典を引きながらなら、少しぐらいは大方の意味くらいはなんとなくわかるようにはなったが。

ひょっとすると、このままずっとこんなことをやっていれば来年の今頃くらいにはそこそこポルトガル語が読めるくらいにはなっているかもしれない。

まあ、でも本心から言えば、そんなに長くジュセリーノの予言なんかには付き合いたくはない。

さて、話は変わる。自分としてはまだ未確認のものになるが、ジュセリーノの予言を扱っていたブログで閉鎖したものが幾つか出ているのだという。もちろん「ジュセリーノの予言は本物だ」とか書いていた、いわゆる肯定派のブログの話である。

良いことだと思う。なにもせずにずっとそのままにしておくのならば削除するなり閉鎖すべきだと思う。

自分としても、今でも「ジュセリーノの予言は本物だ」と主張しつづけているブログの主とは区別しておきたいという気持ちがあるので削除されると非常に助かるという部分がある。

なんにしても一番良くないのはほったらかしっぱなしにして逃げてしまうことだと思う。

というか他のジュセリーノ肯定派のブログの皆さんにも早いとこ間違っているところを削除するなり、場合によっては閉鎖してやり直すぐらいのことはしてほしいと思っています。

その方が絶対に多くの人の為になりますから。
削除は出来なくとも、少なくとも、間違った個所、外れた予言の部分についてはそのことをはっきりと明記すべきでしょう。

でないとそのブログ自体の信用がなくなるだけなのだが。それでもいいのだろうか?
早いに越したことはないと思うのだが。

2007年3月13日火曜日

070313 再び「本」について

 
【ジュセリーノ予言の真実 0313】 再び「本」について

訂正。

たま出版から出るジュセリーノの本のことであるが、タイトルは「未来からの警告」だそうです。

ネットで(あるいは彼の公式HPで)書かれていたのはこの本(の原著)のことのようだった。

ちなみに、タイトルの「Homem Frente das Profecias, O」を匍→仏でフランス語に機械訳したら「Le Devant de l'Homme des Propheties」になった。
直訳すると「予言者の見た人類の前方」

これを意訳すると「予言者の見た人類の未来」くらいが適当かと思う。

著者は前項に書いたとおりで「MARIO ENZIO BELLIO JR」で
「BELLIO」がいわゆる名字になるのだと思う。

これで検索してみたら結構出てきたのだった。(このへんは不思議だが、自分はなにか失敗とか思い込みをしていたのかもしれない)

書評もずいぶんと出ていた。
もちろん全てポルトガル語なので読めないが。

雰囲気だけでいってしまうと、表紙の色使いや写真(911やテロの現場の写真を使っている)の感じからあまり上等そうには見えないんだが・・・

もう一度はっきりいっておくが、内容に期待をしてはいけない。

2007年3月12日月曜日

070312 本について、再びコメント欄について  

 
【ジュセリーノ予言の真実 0312】 本について、再びコメント欄について 


たま出版からでるそのジュセリーノの本の発売日とかが決ったそうだ。
マリオ・エンジオという著者名の「未来からのメッセージ」というタイトルだそう。

当たり前の話だが勧めたりするつもりは毛頭ない。というか内容のショボさについては絶対に保証する。今までここの出して来たオカルト本を(参考資料として)何冊も読んできた自分が(逆の意味で、つまり買わないことを)お奨めするのである。それにここ数年の顕著な傾向なのだが、3ヶ月もすればブックオフですぐに定価半額以下で出回るのです。買取り価格も発売日一カ月くらいでガクンと下がるので読んだらすぐ売りたいという人は注意をしたほうがいい。

著者名の「マリオ・エンジオ」にはピンと来た。
向こうでジュセリーノの仕掛け人ではないかといわれているその人のことではないかと思ったからだ。

名前の「Mario Enzio」でいろいろと見てみたがそれらしい証拠は出て来なかった。スペルは間違いない。伊達にF1を25年近く(途中抜けているので実質15年くらいだが)見ているわけではないので、このスペルで間違いはないはずだ。ブラジル人にはよくある名前だ。(おそらくは名字は別にあるに違いない。ペンネームだと思う)

たま出版の本なので相変らず誤字脱字も多いだろうし、外国人の名前の日本語表記がバラバラだったりあるいは不正確だったりとかの不具合はある意味デフォルトだと覚悟したほうがいい。

むしろこういう「たま本(=怪しげなオカルト関連のことをこう呼ぶと専門家っぽく見られます)」の見所・読みどころは、韮沢潤一郎氏による「あとがき(まえがきのこともある)」のほうだったりする。

もうほんとうに無茶苦茶なことばかり書いていて笑えますから。それをあと半年くらいしてから韮沢さんにつきつけて「この本のあとがきで韮沢さん、こんなことか書いていますよね?」とか問いただしたくなるようなことばかりなのだ。

「火星人の襲来に関して日本政府は米国の政府からの命令を受けていずれ発表しなければならなくなるであろう。」だとか「月の裏側にある宇宙人と人類による共同基地に関する情報についてもうすぐNASAから重大な発表がある」だとか。

そういう「韮沢語録」の最新バージョンを入手して置きたいという人にならお奨めかもしれないが。

っていうか「そのネタで自分が本を書けよ!」って突っ込みを入れたくなりますから。


さて、本題。いつもと逆だ。

コメント欄に関することの続きである。

ちょっと見逃せないというか看過できないコメントが2件(厳密には7件だが)3人分あった。そのことに触れておきたいのだ。

2月の18日に数件に分けてと25日の二回である。IPからすると同一人物かもしれない。非常に似通ったIPになっている。

まず、18日のもの。5件分をつかった、ものすごく長いコメントになっている。要点だけを抜書きすると


>前略)このブログを読んで感じるのは こころの貧しさがそのまま文章に出
>ているということです。せっかく大切なメッセージを送ってくれているのに
>何故それをそのまま受け取って生かそうという気持ちになれないのでしょう
>か?(中略)ただ単に批判したり嘘を見破ったりすることばかりに勢力

【←「精力」の間違いだと思う】>傾けていないで そのメッセージにある本質の
>部分に素直に耳を傾ける気持ちこそが重要なのだと想うのですが違うでしょ
>うか?」



自分のこころが貧しいかどうかはここでは断言はしない。それこそある人からすればそう思えるであろうし、また別の立場の人からすればそうは見えないかもしれない。

が、少なくとも、こういうことを指して(心が貧しい、とか)書いてしまう人よりは、まだ自分は自由な気持ちでいられる、自由な自分の気持ちのままに文章を書けているなと思ってしまうのである。

どんなものに対しても、それを受け入れるかそうしないでおくかという重要なことを、自分で-つまり自由に自分の意志で-閉じたり開いたりできる「心の弁」を自分は持っているのだと実感してしまうからだ。

そしてこのメールの主の書くコメントの主旨はどんどんと違う方向へと行く。


>(略)そんなあなたのほうが むしろジュセリーノの予言というものをもの
>すごく気にして 囚われているということも言えるのではないですか? 違
>いますでしょうか?」



違います。残念ながら。私のブログをよく読んでください。きっかけはあくまでもただの「ついで」でしかありませんでした。驚いたのはその「ついで」に書いた自分の文章に「安心できた」「心の落ち着きをとりもどすことが出来た」というたくさんのメールを頂いたことであり、それが今のこのスタイルになるきっかけになっています。

一番最初にも書いたことだが、自分自身はこの手の「予言」や「予言者」といったものには飽き飽きしている。「ジュセリーノの予言」もそういう、ありがちな(いずれ消えてゆく運命にある)予言者のひとりに過ぎないと思っている。今の自分にとって重要なこと、それはこんな自分に対しても、あるいは自分の書いた文章に対してもまだ役目はあるのだ、待っている人は少なくはないのだということを実感した事の方だった。



>(略)私も以前はかまたさんと同じような立場の人間だったのだと思います
>。【!?】自分で勝手に道を作って いい気になって回りの人間に迷惑をか
>けるような間違った言葉ばかり口にしていたと反省しています。



よく考えると(考えなくても)、私ことかまたに対してケンカを売ってるのも同じだよな、この部分は(笑)



>大切なのは沢山のことばを口にすることではなく まずその模範となるような正
>しい生きかたを皆に見せることなのではないでしょうか?」



もうこのあたりになると、ある種の方向付けが感じられてくる。そしてここから自分達のやっていることを延々と説明する件が続く。
ひょっとして・・・そうなのかな?とか思いながら最後まで読むと



>○○日の○時○○○○○○にて、今度私達のセミナーの講習会がありますの
>で一度おいでになってはいかがでしょうか 」であるとか「これからの○○
>○について現在の自分のある姿をより明らかにするためにも」

>「それこそもっと有意義な生きかた
>を導くことが役目であると確信しております」」

※(○の部分はこちらで勝手に省略させていただいた)


となるのだ。


要は勧誘ですか。随分と長々としているわりにはバレバレなのか笑えるところだが。

というか、日付でピンと来た人もいるかもしれないが、このコメントこそが自分が「コメント欄を閉鎖しなければならないな」と決断したきっかけである。

こういうものを皆の目に無防備なまま触れさせるわけにはいかないと判断したわけだ。

25日には、そういう自分のやり方に対して

>がっかりした

とか

>もっと心の広い方だと期待していた

などという書き込みがなされている。

残念なことですが(嘘)、反カルトを旗印にしているこのブログでそういう怪しげな活動を告知したり勧誘したりするコメントがあったら話にならない。

一件一件削除する手間とか考えるととてもじゃないがいくら時間があっても足りなくなるだろう。

今更ここで「こんなことがありまして」とか書くのも気がひけるのだが、そういう事情なので今はまだコメント欄の全開放は考えてはいないということをご理解頂きたい。そういうことです。



※追記

後日同じ人物と思われる人間の「別にケンカを売るとかそういう気持ちは毛頭ありません」というようなコメントがあった。
いや、そういうことが問題なのではないっていうのに。
なのにその肝心な部分に関してはコメントはまったくなし。
いやいやまいったまいった(笑)

2007年3月11日日曜日

070311 ヤフーの非常に有意義なシステム 

 
【ジュセリーノ予言の真実 0311】 ヤフーの非常に有意義なシステム 

(前ページからのつづき)
これも前に一度書いたことなのだが、確認のため、念のためにもう一度書いておく。

Yahoo!Japan がやっているような検索の順位のつけかた、これ自体は必要なことだと思っているということなのだが。

実際、自分がネットの検索で調べものをするときなどは、こういう優先順位のつけ方があるお陰で随分と楽をさせてもらっているというのも、これまた大きな事実だからである。

たとえば、今でも同じ検索語で上の方になんの役にも立たないクソみたいなブログがずらずらと並ぶことがあって、そういうときは何かの手段でこういうブログをカットしてくれないものかなどと思うことがある。

実際、ジュセリーノについて調べたときがそうだったし。というか「ジュセリーノ」で検索したときも実際にはこういうフィルターが作動して、不必要だと判断されたクソブログをずっと下のほうに表示する仕組みになっているのだと思う。つまりこのブログのことだが。(泣)

でも、自分のブログがなんだかのフィルターでカットされたり、あるいはずっと下に沈められること自体は当たり前だとしても、何故か上のほうに未だに「アセンション」だとか「フォトン・ベルト」だとか、「祈り」だとか「波動」だとかのブログがあることが不思議なわけで。

何故かと言うと、そっちの方がどう考えても間違った予言というものを世の中にばら撒いていたり、広めるという点でものすごく有害だからだ。

「どうせカットするのなら、そっちのほうがカットされるべきだ」とか「下のほうに順位を下げろ」だとか。まあ一種の僻みみたいに聞こえるのだろうが。

まあたしかにやはり一種の「僻み」なのだろう。やはり。

がしかし、これが単に自分ひとりの思い込みだとか思い上がりだとかであるのならば批判も甘んじてうけて堪えることも出来るが、自分がここまでずっとやってきたことには裏づけがあるわけで。

それはもちろん「ジュセリーノの予言」というものを知ってから怯えていた人たちの心の中にあったその不安を取り除いたという事実なのだが。

約50人。メールを頂いた人数である。これを少ないと見るか多いとみるかはそれぞれだろうが。

もちろん、ここで自分が書いてきたことはすべて自分ひとりの力でなし得たことではなく、有形無形いろいろなの形でたくさんの人たちの協力で出来たということでもある。

そういう人たちの協力に報いるためにも自分はこれからもこのブログを続けるし、Yahoo!Japan の検索でも上位に顔を出すようにと頑張りつづけますよ、という一種の決意の表明でもある。(この項終わり)

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070311 コメントに関すること(2)

 
【ジュセリーノ予言の真実 0311】 コメントに関すること(2)
 
(前ページからのつづき)
ただし、Wikiの場合念頭に置かなければならないことがあって、それは「ブログ」や「SNS」とはまた違うコンセプトでの「共有」という部分があることだ。

普通に考えてみてもこの部分をどう生かすかどうかでWikiをやるメリットとかあるいはデメリットが出てきたり、場合によっては「だったら今まで通りにブログでいいんじゃない」という結論に落ち着く可能性もあったりする。

特に、引用であるとか写真の掲載に関しては今まで以上に細心の注意を払わなければならなくなり、そうすると、もう自分ひとりだけの手で負える範囲は超えてしまうであろう。

とりあえず、周囲に声を掛けてみたことはみたのだが皆あまりやる気はなさそう。「ジュセリーノというたったひとりの予言者に関する反証のためのHPとか作ってもなぁ・・・」という感じなのだ。まあ確かにそうだ。しかも自分は最近、共名の名義でやっていたブログをひとつ辞めたばかりで、そういう自分が逆に参加を打診するというのもまことに自分勝手なはなしなので、そういう事を言い出し辛いという側面があるのである。

もし、ポルトガル語(と日本語)の出来る方で、なおかつブログを立ち上げたり(→IDの取得が可能という意味)管理の出来るという人限定になってしまうが、そういうWikiに興味のある方がいらしたらご連絡お願いします。


次に、「Yah∞に対して何故そんなに敵意を丸出しにするのか」であるとか、「検索の結果とか順位に拘りすぎではないのか」とか「検索エンジンがらみの話はウザイ」というご意見。チラホラだが。このあたりになるとトータルでも10件以下の質問になるが。

どちらから説明すればいいのか正直悩むところなのだが、まず大前提として、自分はこのブログをなるべく多くの人の目に触れさせることを目標としている。実際2月になってから「このブログをはじめて見ました」といって来ている人のほとんどが検索でジュセリーノの単語で出たHPやブログを見ていってたどり着いたと言っている。しかもほとんどの人がYah∞ではなくてg∞gleだ。

その差を埋めるための努力をしている。

そもそも、自分はこのブログともうひとつのブログではずっと前からyah∞批判、及びその本体の「〓」に対して、その企業リテラシーというものの批判を続けて来た。そのためだと思うのだが、このブログに対してかなり前からある種のマーキングがなされているらしいということは気がついていた。自分だけではない。同様な批判をしているブログやらHPはそのようなマーキングはされているし、これはYah∞に限ったはなしではなく、どこの検索もポータルもだいたいは同じようなことはやっている。

そのことに対してはあまりどうこう思わない。ある意味、「企業」としては当然というかそれどころか「健全」なことだとすら思っているわけで。

まあ「健全」という言葉の使い方、間違ってますけどね。

しかし自分も、今更批判を辞めたり、矛先を弱めたりするつもりもない。

Yah∞の減点方法はあってあたりまえ、あるのが前提として、それでもなおかつ「Yah∞」の検索の順位を上にすべくいろいろな手を打ってきた。

そして、それだけではなくて「その為に自分は~をやっている」と自分の目的と手段を表明することもまた戦略の一環としては重要なのだと理解しているのでずっと「Yah∞でああだこうだ」という話のマクラというか無駄話を挟んできた。

そしたら、ある方のアドバイスというかヒントを得ることができて、前にちょっと触れたように「ブログ検索ではこんなことになってしまった」事実を掴むところまでくることが出来たのだ。地味だが、実はこれはものすごい収穫なのである。まあ、いままでここまで徹底的にやる馬鹿(←自分のことです)はいなかっただけなんだろうが。

これは、自分のような立場の人たちにとっては胸のすくような出来事なのではないか。
ある意味、向こうは向こうでまた新たなシステムというか新しい「方程式」を投入するのであろうが。

ということで、あくまで目標があってやっているということなのでお目こぼしというかご理解を頂きたいと思っています。

2007年3月10日土曜日

070310 コメント欄に関すること(1)

 
【ジュセリーノ予言の真実 0310】 コメント欄に関すること(1) 

コメント欄のことであるが、今のところ開放のメドはまったくたっていない。

この件に関しては相当いろいろな意見を頂戴したのだが、なにぶん今全開放してしまうと管理がものすごいことになってしまい、それこそ本業に差し支えが出ることはほぼ間違いない。

実状をバラす。実は2週間前ほど前からメールの転送と、「コメント有り」を知らせる携帯の着信が昼も夜も鳴りっぱなしになったので携帯への通知はやめてしまったところなのである。

もちろん、コメント欄に書いている人の切実な思いであるとか、このブログを暖かく迎えていただいたものが多く、そういったものがこうやってひとつのことをやりつづけている自分にとっては大切な大切なモチベーションになってるのだが。

あくまでもこれは想定しておかなければならないことのひとつとしてなのだが、これからずっと上を目指すということは、この傾向がさらに強くなるということでもある。

もちろん覚悟の上ではじめたことではあるが。
そうねぇ、真面目なものが3だとすると、そうでないものが7くらいになってしまったのだ。
正直キツいっす。

ということで、とりあえず、2月末までの分のコメントに対する質問、批判、感想に対するお答えはここの本文中でまとめてさせていただきます。申し訳ない。

「まるむし」さん、「エビ」さん、「アクアン」さん、「ケン」さん(KENさんと同一人物だと思うのだが違っていたならごめんなさい)「JU-DEW」さんからの質問、というか確認。

「何故そこまで必死になってジュセリーノ叩きをするのですか?もっとはっきりとした証拠が出てくるまではジュセリーノを嘘つき呼ばわりするのは控えたほうがよくはないでしょうか?」というもの。

ある意味正論ではある。そういう意見が出てくることに関しては当然なのかなとも思う。

この他にも「もっとニュートラルな立場を貫いてジュセリーノの予言について分析するなり考察すべきではないか」という意見であるとか、もっときつい文面で「あなたのジュセリーノに対する批判は度を越していてみっともなく感じる。もっと冷静になって書きなさい」という意見も実は結構来ている。

それに対する答えは既に何度かここで書いている。このブログを最初(せめてジュセリーノの予言に関するところだけでいい)から読み返していただければ判ると思うが、何も最初からジュセリーノの予言そのものを嘘だとかインチキとか書いていたのではない。

その後、その都度ひとつひとつの事象に関しては詳細に検証してここに書いてきたとおりである。

自分のジュセリーノの予言に対する見方書き方がニュートラルでないとするのであれば、この世に遍く存在している「ジュセリーノの予言は本物!」とかのトーンで書かれているブログはどうなってしまうのであろう。そういうブログに対してこそ「ニュートラルでない」というような批判がされなければならないのではないか。

もし、贋物であるという証拠が出てくるまでは「本物の可能性もあるじゃないか」という立場でこのようなことを書いてきているのであるのならば、それはもう主義の違いというか、もっと根本的な次元での議論からはじめなければならないだろう。たとえば「この世に予言というものは必要なのかどうか」という議論とかである。

「ジュセリーノに対する批判は度を越している」という意見についてだが、自分はそうは思っていない。それはただ単に、自分のこのブログ以外にそういう「否定的なもの」がほとんどいないような状態がそう感じさせてしまうからではないのかと思っている。

掲示板などでコテハンでジュセリーノの予言に対する疑問や反証を書き込んでいる人がいる。ある意味そういう人たちの方が「まとも」な人たちであることはまちがいない。

「みっともない」とかはそれこそ感性の問題でしょう。それに、人に言われるまでもなく、今の自分が「必死すぎてイタい」状態であることぐらいはわかってるつもりだ。

「パラノイア(偏執症)的」と言われれば確かにそうなのだろう。なにせ最近の投稿記事欄を見るとズラッと「ジュセリーノ」というフレーズが溢れかえっているし。もうね、自分でも笑いたくなるときはありますよ。


次に、「どうせならまとめサイトみたいなものをWikiで作ればいいんじゃないの?」というご提案。こもっともです。参考にさせていただき、現在その方向で原稿とか書いています。

(つづく)

070310 一区切りをつける 

【ジュセリーノ予言の真実 0310】 (10) 一区切りをつける 

まず先にジュセリーノの予言の3月の部分の残りについて訳ではなく解説だけを載せておく。やはり中途半端なままで置くのは良くないことだろうし。


F)Manifestos na Argentina e novas crises rondam o pais;
F)アルゼンチン政府の政策が新たな危機となる(国中に広がる)



強引な解釈をしてしまうと、アルゼンチンの経済破綻からの立ち直りが実は良くないことだという「予言」になってしまう。

誰にとって良くないかかといえばもちろん隣国であるブラジルであり、南アメリカすべての国にとってということである。

しかし、この部分を読んだNSさんとJYさんによる(日本語の)訳は微妙に違っている。JYさんは「まちがっている(タイプミスのこと)とおもいます」と書いてきている。
「ブラジルではあまりこういう言い方(比喩のこと)はしない」ということ。

それにしてもポルトガル語は不思議な言語だ。というか、ブラジルで使っているポルトガル語はもう本家のポルトガル語とは途中で分かれて別の進化を辿ったということなのだろうか。

なんにしても、巷間伝わっている「アルゼンチンで金融恐慌が発生し、財政破綻」という予言の訳文はどこかおかしい。

何故なら、いうまでもないことだがアルゼンチンはすでに経済破綻しているからだ。「Manifestos」はいうまでもなく政府の表明する「再建策・施政方針・安全宣言」の意味に取らなければ予言にもなんにもならないことになる。過去を「予言」してどうする。

ていうかIMF管制管理下から完全に脱却したこの時期、3月という時期に政府がなんだかの声明を出すのはむしろ当たり前のことだろうし。




G)Novos deslocamentos de Blocos de Geleiro na Groelandia demonstra o aquecimento gloval;
G)グリーンランドの氷河地域の縮小が地球温暖化の証拠を示す




おふたかたとも文句を言っているのが、ジュセリーノのタイプ文には間違い(タイプミス)や明らかな誤字が多いということである。「本当に学校の先生なのでしょうか?」などと言われてますぞ。確かに、「Groelandia」は明らかに「Groenlandia」の間違い。また「Geleiro」は 「guerreiro」ではないかとふたりとも言って来ている。

おそらくは、この部分に関する日本語の訳がほとんど見当たらないのも、こういう誤字脱字に気がつかずに機械訳をかけてしまい結果が得られなったためではないかと自分は邪推しているのだが。

地球温暖化に関する予言(のひとつ)。予言とは言えないと思うが。自分も10年以上も前に科学ニュースかなんかの記事で読んだことがあるからだ。
ここでいう「新しい」というのは「新しく発見される」という意味でなくて、きっと「最近出来た」ということなのだろう。それがこの時期に発表されようがされまいが誰も確かめようがないわけでこれで「予言」といわれても困る。

ジュセリーノのかつて出した文章にも頻繁に出てくることでもあるので、特にこの「地域」で(衛星写真とかじゃなくて肉眼でという意味で)目に見えるような変化でもなければ予言は当ったということにはならないと思うのだが。というかこの島については実はまだよく判ってないことのほうが多いのだ。何があっても不思議じゃない気がするくらいで。「これが地球温暖化の証明だ」というのには理由が薄弱すぎると思う。

なんににしても、書いた時点で予言は半分以上当ったも同然なわけで、この時期にNASAとかが発表するかどうかは別にしてもこれも「そうですね。深刻ですね」としか言いようがない。

むしろこの人の文章の特性でもある「繋がりのある描写」の「締め」として書かれたとも言える(といっていました)。

以上、3月の部分に関する詳細な考察はこれで終わりにする。

それにしても、今ジュセリーノの予言として信者さんたちのブログに書いてある「カリフォルニアで大地震と津波が発生し、西海岸のいくつかの都市が壊滅」とか「世界金融恐慌が発生」というのはいったいどこに書いてあることなのだろう?

4月の部分なのか、それとももっとあとの個所なのか?今度、それぞれのブログに対してそのことだけでも質問状を送ってみようかなとかも思っている。

2007年3月9日金曜日

070309 ここでひと休み

 

【ジュセリーノ予言の真実 0309】 (9) ここでひと休み

Yahoo!Japan の検索に新しい機能が追加された。まだ試験段階のようだが。

それはブログ検索の画面にあるのだが、評判情報とかいってその検索ワードに対する評価を「肯定的」「否定的」「その他」のみっつに色分けして円グラフで表示するのである。

そこで「ジュセリーノ」「ジュセリーノ 予言」といった検索ワードでブログ検索をしてみたのだが、これがなんと、上位全部がこのブログで埋め尽くされているということがあった。藁った。

スゴい機能だな。頑張って開発を続けて下さい、Yahooの関係者の皆さん。

でないと、「このブログがYahoo!の検索画面の上位に全然出てこない理由はなんなんだ?」という素直な疑問に対するちゃんとした答えが口に出せなくなるからだ。

しかも、機械で単純に割り振ってしまったためにこのブログがジュセリーノの予言を肯定的に書いている、と判断されてしまっていたりして二度笑ってしまった。

面白いといえばけっこう面白い機能ではある。

そこでふと思い出したことがあった。

自分は二週間ほど前にこのブログでYahoo!Japanをベタほめした記事を書いたことがある。Yahoo!Japan が用いているポジフィルター(ネガフィルター:ともに仮称)の影響範囲を確かめるためだ。

ひょっとすると「Yahoo!Japan 」で「Yahoo!Japan 」という検索ワードでブログ検索をしたならばこのブログ結構上のほうにくるかもしれないな・・・とふと思いついて試してみたのだ。

その結果である。なんと二画面目、つまり11位~20位の間にこのブログの、その「Yahoo!Japan」をベタ褒めした記事が出て来たのである。

Yahoo!Japan は素晴らしい!(鷽)本当に素晴らしい!(鷽)自分に最高の笑いを提供してくれたYahoo!Japanは本当にすばらしいと思った(本当)


さて、本題に移るとする。最近、「前置き長いよ」と批判も多いのだが。

本当ならば、いつものようにジュセリーノの予言の3月の部分について日本語訳をつけてひとつひとつああだこうだと書き並べてところなのだが、ひとつあまり喜ばしくない事情が発生した。

ここで今それを詳しく書くことはできないのだが、数日前に「してほしくない」と書いたにもかかわらずそれをやっているブログを見つけた。

単なる偶然でもなく故意というか意図的にやっていることは明白で、それは何故わかるかというと、自分は更新される前のものと更新された後の両方を見比べて、そしてその日付を確認しているからだ。

それで申し訳ないのだが、少しだけここでジュセリーノの予言の翻訳を中断して、そのブログの管理者の反省を促したいと思っている。

念のために付け加えておくが、こちらは好意でもって翻訳していただいたものを載せている身分というか立場である。ともにギャランティのようなものはまったく発生していない。

自分が何故こんな徒労な事をやっているかといえば、それはもちろん日本のインターネット上(おかしな表現だが)にあまりにもジュセリーノの予言を改竄して不安を煽るような記事を書いているアホどもがいっぱいいるからだ。

10年前のノストラダムスの騒ぎとまったく同じといってよい。

そしてそれに加担するようなことだけは二度とはしたくないと思っている。
(つづく)

070309 世界的ということのひとつの目安として 

【ジュセリーノの予言の真実 0309】 (8)世界的ということのひとつの目安として


珍しく久しぶりに同じ内容のメールを数通頂いた。

昨日「惜しくも目標を達成できませんでした。すいませんでした」と書いたところ、「いや、ちゃんと10位以内に入っていたよ」ということを書いてきている。

実はチラホラそういう話は小耳に挟んでいたのだが、いかんせん実際に自分の目で確かめたことがないのである。まあそれにすぐに落っこちちゃうんじゃ本当の10位以内とはいえないしねぇ。

なんか昼間の内は9位とか10位とか下の方に顔を出しているのに夜になると11位以下に沈んでいるってことか。まるで北極圏の冬の太陽のような動きだ。(笑)

本題に移る。

さて、そのジュセリーノという人の世界的な知名度についてである。これが全てだというのではないがある種の目安にはなると思うので貼り付けておく。

「みち☆まり」さんという方が送ってよこしたメールの一部である。
使用した検索エンジンはグーグル。右側にある検索オプションで各言語別に設定して得られた結果だそうである。


アルファベットを使用している代表的な言語での結果。

Jucelino Nobrega da Luz の検索結果のうち/ポルトガル語のページ 約60,100件
Jucelino Nobrega da Luz の検索結果のうち/※スペイン語のページ 約****45件
Jucelino Nobrega da Luz の検索結果のうち/※フランス語のページ 約****11件
Jucelino Nobrega da Luz の検索結果のうち/※イタリア語のページ 約****12件
Jucelino Nobrega da Luz の検索結果のうち/※※※※英語のページ 約****71件

そして日本語設定での結果

Jucelino Nobrega da Luz の検索結果のうち/※※※日本語のページ 約****93件

なんとポルトガル語以外なら全ての言語圏の中でも一番多い!

「ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース」の検索結果 約***529 件
「ジュセリーノ※」          での検索結果 約26,300 件

※ジュセリーノの検索結果からクビチェック(註)を除外した数
                  (≒ノーブレガ・ダ・ルースに関するもの)


Jucelino Nobrega da Luz の検索結果と世界での話者(言語使用者数)
そしてそれで割った指数(大きいほど関心度が高いといえる)

ポルトガル語のページ 約 60,100 件/*2.3億人 26130.0(0.00026130)
※スペイン語のページ 約 ****45 件/*3.2億人 14.0(0.00000014)
※フランス語のページ 約 ****11 件/*1.3億人 08.4(0.00000008)
※イタリア語のページ 約 ****12 件/*0.7億人 21.4(0.00000021)
※※ドイツ語のページ 約 ****17 件/*1.3億人 13.0(0.00000013)
※※※※英語のページ 約 ****71 件/11.5億人 06.1(0.00000006)

※※※日本語のページ 約 ****93 件/*1.3億人 71.5(0.00000071)
※※※韓国語のページ 約 *****0 件/*0.6億人(北朝鮮を除く)

「ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース」の検索結果
           約 ***529 件/*1.3億人  406.9(0.00000406)
「ジュセリーノ※」での検索結果
約 26,300 件/*1.3億人 20230.7(0.00020230)




これを見ると、日本でのジュセリーノに対する関心度は、ほぼ、ブラジル・ポルトガル並のの高さといえる(と思うのですが)。ボボ・ブラジル 懐かしいな。

2ヶ月前に自分がやったときとはかなり違った結果のようである。あれから、ジュセリーノ(Jucelino Nobrega da Luz )に関する記事・HPは、日本だけが爆発的に増加しているということなのだろう。

なんにしても、日本でのジュセリーノの扱いだけが異常だということだけはわかっていただけたかと思う。

特にジュセリーノの予言というものにヘンな期待をかけているという人だけが増えているという気がする、という自分の見解のひとつの裏付けでもある。

ていうか、欧米諸外国のジュセリーノに対する関心度のほうが正しいような気がするのだが。

タカ&トシか。欧米か。ということで英語のページはこちら。(English page is here)

CONCLUSION; JUCELINO IS ONLY FAMOUS IN BRAZIL AND JAPAN    

註)ジュセリーノ・クビチェック:政治家。ブラジルの元大統領。首都ブラジリアの建設などブラジルの開発事業に着手。一時期は多大な国家的な赤字の責任を問われるなど政治的評価は低かったが、最近の工業化の成功で再評価する気運が高まっている。

MOST DETAILED INTERPRETIVE NEGATIVESIDE JAPANESE BLOG
ABOUT JUCELINO THE BRAZILIAN PROPHET

CHOICED BY GOOGLE, YAHOO!,AND ALL SEACH-ENGINES

2007年3月8日木曜日

070308 2007年3月の予言の部分 (5)  

(つづき)

さらに、昨日やはりインドネシアで航空機の墜落事故があったのだそうだ。死者が出たという。

航空機の事故の予言なんてほとんど毎日のようにいっぱいしているというので、おそらくジュセリーノはあと何日かしたら「これがその事故の予言を書いて公証所に届けた文面だ」といって「証拠」の紙を見せるという(いつもの)パフォーマンスを行なうのであろう。

これは自分の非常に個人的な感想であるのだが、非常に不謹慎極まりない行為にしか見えないのだ。少なくとも「敬虔なクリスチャン」のすべきことではないだろうということだ。

しかし、ジュセリーノも何故こんなことを何度もやるのだろう?やればやるほど胡散臭く見えてくるということを周囲にいる誰も注意したりはしないのだろうか?

実際、Sさんという方からのメールで知ったことなのだが、ジュセリーノのこういうパフォーマンスに対してはブラジルのほとんどの人が冷ややかで批判的なのだそうだ。

日本ではほとんど知られていないことだが。というか肯定派のメディアしかない現状ではしかたのないことなのかもしれないが。


さて、こういう流れで一通の自分宛てのメールを紹介する。名前は伏せる。転載の許可も貰っているわけでもない。


(前略)
>ようは祭りなワケですよ お祭り イベント
>みんなで楽しんでるよ 予言なんてそんなもんでいいじゃ ない っ ですか

>マジメな(・∀・)顔して否定されてもウザい だけだし 
>楽しくないの そういうことされると つまんなるなるら 
>だ か ら 黙っててくなはい たのみます
>ブログ閉鎖!

(後略)



こういうメールが来るのも仕方のないことだとは覚悟はしていた。
怒りを覚えた、というよりも、10年前に感じた怒りを思い出した。

10年前、これと同じようなことを目の前で言い放った人間がいたからだ。

この世にはいろいろな人間がいる。たしかにこういう事故の予言だとか、カタストロフィー的な予言を待ち望んでいるような人間もいるのだろう。残念なことだが。

そんな人間の奥底にある暗い情熱なんて誰にも制御出来ないものなのだろう、きっと。
これまた残念なことだが。

問題なのは、10年前よりもそういう人たちの数が増えていってしまっているような気がしてならないことだ。これは自分の単なる気のせいなのか?

それともただ単にネットの発達、匿名という隠れ蓑で今まで心の奥底仕舞っていた暗い情熱いうものが簡単に吐露できてしまう、ということなのだろうか。

判断に悩む。まあこういうメールばかりが来ているというのではないというのは救いだし、
さらに、こういうことを言われるとだったらもっと頑張ってやろうという気持ちになっているところだ。

落ち込んだりしたこともあるけれど、わたしは元気です。

魔女の宅急便か。

070308 2007年3月の予言の部分 (4)

 

まずはお詫びを。

先月21日の段階で

>おそらくあと二週間もしないうちにこのブログ、「ジュセリーノ」という検索語だけでも10位以内、あわよくば5位以内につけることもあながち不可能ではないところまで来たという確信を得た・・・

と書いたのだが、その目論見は外れた。実は瞬間的に9位くらいになったことはあるらしいのだが(自分の目では確かめていない)、結局「ジュセリーノ」だと11位~14位のところを上下しているのが現状である。

これもひとえに自分の力不足であると痛感している。ご支持を頂いた皆様の熱意を結果として達成出来なかったのは全て自分の責任であると反省しております。

選挙で落選した候補者みたいなことを言っているが、ほとんど本心だ。
さらに、このような場合は「ひとえに~」という形容は使わないらしいが。

「力不足」というとなんか曖昧で責任逃れをしたような言い方だが、要するに初動の遅さにあったのだと思う。そう反省しているところだ。

もちろんこれでこのブログを辞めるわけでもないし(誰だここでガッカリしている奴は)
これからもさらに上を目指す姿勢には変わることはないのだが。

これからもよろしくお願いします。

で、さて本題に移る。3月の部分の訳の続きである。



E) Vendas de Madeiras no Amazonas e feito por pessoas envolvidas na protecao do lugar
アマゾンの木の販売と人々の事実が保護地域を巻き込む。



とりあえず、機械訳したものをあげてみた。

というかこういう感じの訳を載せていたサイトを見つけたのだ。これではなんのことか良くわからないだろうに。こういう手抜きをしておいて、これから後付けで適当な解釈を当てはめて「当った!」と大騒ぎをする人間、いそうだしな。

これは訳というよりもブラジルの現況を知らないとおそらくはなんのことか判らないと思う。えらそうなことを言ってすいません。私も教えられてやっと理解した口です。

現在、ブラジルではアマゾンの原野林の伐採が深刻な問題になっている。焼畑や野生木の切り出しといった行為は法律で禁じられているのだが、一部の材木業者が政治家と内通して不許可地域を許認可にしたりという政治腐敗が問題になっているのだそうだ。

そういう現状で、「材木業者がアマゾンの保護地域でやっていることが明らかになり(汚職?)事件になるぞ」という予言なのだそうだ。

というかブラジルではこういう事件は普通に良くあることらしく特に「当った」かといっても「別に普通?!のことです」とも言っているが・・・。

話は変わる。

3月6日、インドネシア スマトラ島でマグニチュード6.3の地震があったそうである。死傷者も出たそうだ。ここのところあの地域は大きな地震が多い。本当に当地の方々には辛い毎日かと思う。頑張って復興してもらいたいものだ。

それにしても、何故ジュセリーノはちゃんと「3月6日にスマトラ島で大地震がある」と明確な予言をしてあげなかったのだろう。自身のHPに書けば済むことではないか。

使えない気のきかない予言者だなぁ、まったく。贋物じゃしょうがないのかもしれないが。

ところがいつの時代にも「困ったちゃん」はいるもので、何故かこのスマトラ島の地震と3月東京の地震を結びつけて「惜しかった」とか「このまま行けば予言があたるのではないか」とか言っている人たちがいるみたいなのである。死者が出ているというのにまことにもって不謹慎な連中である。

なんでそうなる。

全然関係ないでしょ。少なくともジュセリーノの予言とは。してないんだからそんな予言は。

それどころか、こんな大きな地震を予言できなかったということは、とりもなおさず「予言者」としては大失態だと恥じるべきではないだろうか。

そういう考え方はできないのだろうか?

もちろん、もしジュセリーノが本物の予言者ならばだが。

まったくもって日本にいる「予言主義」の人たちの思考回路にはジュセリーノ本人よりも困ったものだと思う。(続く)

2007年3月7日水曜日

070307 2007年3月の予言の部分 (3)

3月に入ってからすぐにメールをしてくる人たちの構成ががらりと変わった。
ここ数日は届くメールが日に2・3通とかなり落ち込んだというか落ち着いたのだが。

十代の人からのではないかと思うメールが多くなってきたのだ。その何人かは「ジュセリーノのことをもっと世界的に有名な予言者なのかと思っていたらそうでなかったのでガッカリしました。」などと素直な感想を書いてきている。

こらこら「ガッカリ」はちと違うだろう。

実際、そういうジュセリーノの予言を「真実のもの」として広めようとしていると思われる、「ジュセリーノの予言は的中している」とか書いてあるブログを眺めていて「おや」と思うのは、その中の幾つかがジュセリーノのことを「世界的に有名な予言者」と紹介しているところである。

しかし、たま出版のウエブを見ても、韮沢潤一郎氏が書いたと思われる文章のどこにもジュセリーノのことを「世界的に有名」だとは書いてはいない。

そういえば、自分もだいぶ前にこのブログに、ついうっかりしてジュセリーノのことを説明するときに「世界的に有名」と書きそうになったことがあった。

その誤解はどこから来ているのかを真剣に考えてみたのだが、どうやら、テレビでこのジュセリーノを紹介したときに、この「世界的に有名」というフレーズを多用してしまったためにこの番組を見たときの印象で「ジュセリーノ=世界的に有名」とストレートに思い込んでしまった人たちが多いのではないか。

しかしその番組もよく見てみると、別にジュセリーノのことを「世界的に有名」だと言っているのではなく、「世界的に有名な大事件を予言したジュセリーノ」といっているだけに過ぎないのだ。

実際、このジュセリーノという人はブラジルと日本以外ではほとど知られていないといって良い。

以前、ジュセリーノの予言の2007年の分を英語かフランス語で正確に翻訳したサイトかなにか無いかを調べてみたことがあったのだが無いに等しかった。

別記事にしたものを見てもらうとよくわかると思うのだが、ジュセリーノの予言というものを真剣に(肯定でも否定でも)扱っているサイトの数は微々たるものだ。

というか、本国ブラジルは別として、予言者ジュセリーノの扱い、日本だけが異常なのである。はっきりといえば。

まったく罪作りなことをしてくれたものだと思う、テレビ朝日は。


さて、3月の予言の部分の続きです。


D)Grande conflitos entre Palestinos e Israelenses causam muitas mortese e ha planos para matarem o primeito Ministro de Israel.
多数の死傷者とパレスチナによるイスラエル首相の暗殺計画が原因でのパレスチナとイスラエルとの大きな衝突。


ポルトガル語の読めない自分にも単語を眺めただけでなんとなく意味はわかった。もちろんそれだけでは訳にはならない。

「causam」を英語の「cause」、「・・・because of ~」と同じに、後ろがその原因という具合に取っていいのかということ。因果関係が逆では予言にもなんにもならない。

どういうことかというと「パレスチナとイスラエルの衝突が大きくなり死傷者が多数でる。そしてイスラエル首相暗殺計画が企てられる」では予言にはならないだろう、ということだ。

パレスチナによるイスラエル首相暗殺計画なんて1950年代からずっとありつづけてきただろう。今更ここで予言として「暗殺計画が企てられる」とか言われても「当たり前じゃん」としか言いようがないわけで。

NSさんからのメールは意訳なのかもしれない。ひょっとしたら因果関係は逆かもしれない。

今、自分はポルトガル語の訳をお願いしている立場であり、頂いたものにケチをつけたりすることは出来ないのだが。

まあ少なくとも、「オルメルト政権が崩壊・・・イスラエルの解体が進む。」なんていう部分が後から付け加えた偽の予言文であるということはわかっていただけたとは思うが。[註]



[註] いまとなってはわかりにくい一文だが、ジュセリーノの予言にそうでないものをくっつけて「これがジュセリーノの予言だ」とデタラメなことをやっていた「オリハルなんとか」という人のHPに対して文句を言っている。(08.08.07)

2007年3月6日火曜日

070306 2007年3月の予言の部分 (2)の追加


1b76eeef.jpg



最近、メールやコメントでの問い合わせでこのブログに載せた日本語訳を自分のブログに転載していいか?という問い合わせが来ている。

どうぞご自由にお使いください。改竄とかしなければ全然構わないのではないか。そもそも自分はポルトガル語なんて読めないし喋れない。ここに書いたジュセリーノの予言の訳は、ポルトガル語の読めるという方に教えてもらった意味をほぼそのまま載せているだけだ。自分に著作権があるわけでもないし、主張できるような立場にあるわけでもない。名前を付記したりURLを載せる必要もないと思うくらいで。しかし読者のことを思うのならリンクは張るべきなのだろうけれど。

そもそもブログなんてそんなもんじゃないかと思うのだ。特に「転載を禁ず」とか書かれてなければ利用者や読者のためにもどんどん引用すべきだと思う。

しかし、困るのがその改竄というか無茶な解釈というやつだ。5年くらい前にノストラダムスのときにこれをやられてえらく困ったことがあった。自分がした訳に書いてもいない解釈をくっつけて「ヘンテコ予言解釈」としてあげつらわれたということが二度ほどあってそのときの恨みというか怒りは消えてはいない。

昨日、ジュセリーノの3月の予言の一部を「必要ないのでパスする」と書いたところ友人から「ちゃんと載せとけ」という忠告を受けた。こういうところに偽予言がはびこる隙があるというのだ。たしかに言われるとおりだ。そこで教えられたこの予言の意味を書いておくとする。

B) Ze Donitinho(Praca e Nossa) podera passar mal e ter problemas de saude(inicio...) Ha grande risco de vida...


ひとことでいうと、ブラジルの人気テレビ番組にトラブルがあって(主役に何かの原因があって)終了するかもれないよ、という予言である。

「A Praca e Nossa」というのはブラジルで30年続いている人気コメディ番組。Ze Donitinhoというのはこの番組の主役の名前で、本当は正しくは「Ze Bonitinho」であった。

何故、「B」と「D」を間違えたかというと、画像を(拡大して)見てもらうとよくわかるのだが、タイプライターのインクリボンが捻れたかなにかで調度真ん中が切れて「D」に見えてしまっていたからだった。

この文を読んだ限りでは「見逃せない程の悪いことが起きる」のが、この「Ze Bonitinho氏」そのものになのか、それとも演じている俳優になのかは明言されていないらしい。それでもとにかく「(番組)終了の重大な危機だ」と言っている、なんていうのか実に曖昧な予言である。

実になんていうのか「911」を予言したと主張しているのと同一人物とは思えない弱気な予言である。

まあ、この予言そのものについてはあまりどうこう思わない。日本で例えれば「笑っていいとも!」について回る番組打ち切りの噂があるがそれと同質のものであろう。もし、日本でも「笑っていいとも!」が終了になったらきっと国民的な関心事になるであろうことだけは確かだからだ。そういうものを予言したからといってジュセリーノの名声が色褪せたりするものではないだろう、という考え方もあるだろうし。

しかし考えてみれば3月はブラジルにおいても番組の改変期である。それが当ったとして、それがどういう意味を持つのか。不思議でしかたがないのだ。

まあこのあたりについて書き出すとものすごく長くなるのでこの予言に関してはこの辺で打ち切るが。

070306 2007年3月の予言の部分(2)

なんか、最近はメールやコメントで「必死すぎてイタいですよ」とか書いてくる人が目立つ。さっきも2ちゃんねるを見たらそう書かれていた。2ちゃんで名指しでそう書かれたのは初めてか。ある意味記念にはなるな。喜んでる場合じゃないか。

自分でもそのくらいは承知である。今の自分は必死すぎてイタい、確かに。
いつもの自分が今の自分を見たらきっとそう思うだろう。

ていうか別にそういう反応は全然気にしてないので、必要と思う方は遠慮せずにどんどん引用なりなんなりして下さい。むしろお願いします。荒らしとかもある程度は覚悟というか想定してますので。

ま、とにかくジュセリーノの予言の嘘が徹底的に暴かれて、それを利用して信者を獲得しようだとかお金儲けをしようとかを企んでいる連中が胡散するまでです。

あるいはこういう反証ブログの数がどんどん増えてゆくのを期待しているわけです。

そのときは2ヶ月前と同じような深海ブログに戻すつもりですし。


さて本題。つづきです。


B) Ze Donitinho(Praca e Nossa) podera passar mal e ter problemas de saude(inicio...) Ha grande risco de vida...

今まで、ネットを巡回して、この(予言の)部分について触れている日本のブログはあるかと調べてみた。が、ひとつとして見当たらない。やはり3月の予言でもこの部分には触れられなかったか。

自分もこれに関しては飛ばしてしまおうとか思った。

「プラシャエノッサ?」に属する「ゼ・ドニチーニョ?」という人物に関する悪い予言であることはずっと前からうっすらとはわかっていたのだが・・・

Ze Donitinhoという人に何か見逃せない問題が起きて重大な命の危機(grande risco de vida)が起きるという予言だということぐらいは(ポルトガル語の読めない)自分にもなんとなくうっすらとははわかったのだが、しかし、そのZe Donitinhoなる人物が誰のことなのかさっぱりわからないのだ。

ネットで検索しても全然でてこない。「政治家じゃなさそうだし・・・、」とか考えていたら
NSさんからのメールでやっとすべてが氷解した。やはりこういうことはブラジル人でないとわからないことだ。いくら翻訳サイトで調べても正しい訳にはならないのだろうなぁ。

該当するHPもあってまず間違いはなさそうだった。

日本人には全然関係のない(世界的に見ても意味のない)予言なので申し訳ないがここではパスさせていただきます。

「ブラジル人にとってはとてもたいせつなことです」
NSさんがそう書いて寄越した。ブラジル人にとってはとても関心のある予言らしい。

というか、この「予言」の持つ意味について書くと、それこそとても長くなりそうなので後回しにしたい。とりあえず別のブログのほうには訳ぐらいは書いておきますけど。


つぎに、例の問題の日本の地震に関する部分である。


C) Terremoto no Japao em Toquio,provocara panico;
(日本の東京で地震、パニックになる)


シンプルでいいのだが、この予言も訳のしかたによっては

(日本で地震があり、パニックになる〖日本の中心の〗東京)と読めなくもないのだそうだ。(註)

これでは東京に(大)地震がなくとも日本のどこかで大地震があれば(東京では騒ぎになるであろうから)予言は当ったということにもなりかねないので用心したほうがいい、とのこと。

日本には、どうにかこじつけてでも「ジュセリーノの予言が当った」ということにしてしまいたいという人たちがわんさかといるということだけは確かだ。

そんな人たちにこういう拡大解釈のヒントを与えてしまうのもシャクなのだが、なにはともあれ先に言っておくとする。

Terremotoは地震のことだが、それだけで大きな地震という意味合いが強い。

というかフランスにしろ、スペインにしろラテン語圏内すべてがそうなのだが、もともと向こうには小さな地震というものが存在しない。

地震があればすなわちそれはドカングラグラという大きな直下型の地震であり、「地震」=建物は崩れ落ちる、くらいの意味で捉えている。
まあそれでTerre(大地)+ moto(動く)というのだろうが。

日本のように震度2程度のものが頻発することなど考えもしないだろうし、あえて「Terremoto grande」とか言わなくとも「Terremoto」だけでも震度4とか5クラスの大地震のことを意味すると思ってよいのだそうだ。

そしてそのジュセリーノは昨年二度にわたりその地震(Terremoto)が日本に起こると予言して二度とも外している。

あたりまえのことだが、地震の予言なんて何度もしていればそのうちにあたることだし、外せば外すほど次には当る確率だけがどんどんと上がってゆくだけだ。

たとえ3月に東京(あるいは日本のどこかで)でその(震度4クラスの)大地震が起きたとしても、それでは「ジュセリーノの予言」は当ったというよりも確率的にそうなった、というだけの話で、それと同時にジュセリーノがたいした予言者でないということもまた確かなことといえてしまうのだ。

まあだからここであえて言っておきたいことは、「ジュセリーノの予言は当る!」とか書いている人、もしこれを見ていたのなら、それは恥ずかしいことだからお止めなさい、ということなのだが。

自分のしていることも充分に恥ずかしいことではあるのだが。
果して来年、再来年もずっとそのままにしておいて恥ずかしいのはどっちなんだろう?ということです。


※註 普通のブラジル人の会話体としてはありうるというようなレベルでの話である。
「日本で地震が、東京がパニック」というニュアンスで訳しても間違いにはならないというようなくらいのことだということを言っている。東京=日本くらいの認識しかなければそういう言い方もあるのではないかということを教わった。しかしジュセリーノのほかの予言と較べてみれば一目瞭然なのだがジュセリーノは「日本」と「東京」を使い分けた予言をしている。あえてここでだけ「東京=日本」という「解釈」をするということは極めて不自然な話であって「予言が当った」ということにするためだけにこういう解釈を持ち出すことはあとあと自分の首を締めることになるだけだということを判っていない人が随分といるようである。

現実、お約束ともいえる事前予言が当ったときに必ず出して来るジュセリーノによる公証所届けの証明入りのものをこの件ではジュセリーノは出してこなかった。つまりジュセリーノ自身がこの予言は外れたと言っているようなものなのではないか。

2007年3月4日日曜日

070304 2007年3月の予言の部分(1)

【070304】 2007年3月の予言の部分(1)

少し遅れてしまったが、ジュセリーノの予言の3月の部分を翻訳した部分を掲げる。



引用した画像はジュセリーノの公式サイトに掲載されていた2007年の予言の2枚目の終わりと三枚目の頭の部分をくっつけたもの。


3.Marco-2007:Inglaterra tem problema serio de calor e de falta
de agua e ja atinge Franca,Portugal e Espenha(possibilidade de ra-
cionamento de Agua;
(テキストに起こしたさいにアクセント記号は省いた)

「3月-2007年 イギリスで熱波による水不足が深刻な問題になる。(そしてそれは海を隔てたフランス、ポルトガル、スペインにまで広がり)給水の必要性が出る」


異常気象(?)に関する予言である。自分はポルトガル語は読めない。この訳は在日のブラジル人の方に訳してもらったものである。

これを見れば「移民問題が~」などとこの予言を捻じ曲げて解釈して載せているブログがやたら多いということが丸わかりになる。

(ほら、そこの、ブログで「ジュセリーノの予言は本物!」とか書いている人、削除するなら今が最後のチャンスですよ。でないと後で恥を掻くだけだから。)

少なくとも、現時点でイギリスにもその他西ヨーロッパにも深刻な水不足問題は起きていない。おそらくはあと3週間という短期スパンで急に熱波による水不足が深刻になるということは考えられない。また、地域によっては局所的に水不足の地域はあることはあるが、決して国内レベルでもヨーロッパレベルで見ても大きな深刻な問題にはなっていないのが現状である。というかこの時期局所的にみた場合「水不足」自体よくあるということなので、よっぽど広範囲にわたっての深刻な水不足にでもならないかぎりこの部分の予言は当ったことにはならないといえるだろう。

こうして、ジュセリーノの予言の嘘はひとつ暴かれたのである。もちろん暴かれたのは、日本のインターネット(矛盾した表現になるが)で「移民問題が」などと書き込んでいる人たちのついている嘘である。

こうして少しづつ訳をしてゆくとそれは間違った日本語訳を載せて(ありもしない)人類破滅の予言で不安を撒き散らし世間に迷惑を掛けているような「彼等」を晒し者にしてゆくことになるのだろう。それはそれでいいのではないかと思っている。結果的に恥を掻くのは自分もだが、それ以上に彼らに深刻なダメージを与えられればそれでいいと納得している。

嘘デタラメでジュセリーノの予言を捻じ曲げたりして不安を煽るようなことをしている人たち、辞めるのなら今のうちだと思うよ。君等が思っているいるように人類は滅亡なんかしないし、それどころか五年後には検索のキャッシュに残っている君等のブログがネットのあっちこっちに貼られて恥を掻くという未来が待っているだけだ。

【追記】

まあ実を言えば、この時点ですでに「なんで3月に水不足の予言なんだろ?…」と少しおかしいとは気が付いていた。が、何故そのようなリスクのある予言をあえて公表したのかその真意が読めずにいたのだが、まちゅーらさんというからのメールで氷解した。

どうやらジュセリーノ、北半球と南半球の季節の反転を忘れていてこのような予言をしてしまった可能性が高いようなのである。もしこれが3月でなく9月の予言だったら部分的にはあたったと見えてもおかしくはないからだ。

2007年3月2日金曜日

070302 その1 コメント欄に対する要望その他

【ジュセリーノ予言の真実 070302】 その1

コメントに関する問い合わせというかクレームが何件かきている。「全て公開にしろ!」という強い口調のものから、「早く公開して欲しい」というものまで様々だが。

残念だが、すぐにはご期待には添えない。自分にとって都合の悪いものがあるということではない。とりあえずコメントに返事が出来るころになったら順次公開してゆくつもりである。特に、長めのコメントに関してはどう答えてわからないものが多く、かといってこちらで勝手に編集したり手を加えたりするわけにも行かないのでかなり慎重になっています。

いましばらくお待ちを。また、コメントというよりも「トラックバック」に近いものもときどき寄せられてきますが、そういうものは掲載はいたしません。改めてトラックにてご投稿ください。(註)

さて、自分はこの自分のブログが多くの人の目に触れるということが良いことだと思っている。というかそういう方向に絞って特化した内容にしているつもりだ。

先月二月の後半から訪問者数が一度グンという感じで上がった。自分はそれは検索エンジンやポータルで上位に来たころと一致していたので単純にその効果だと位置付けていたのだが、先日(度々ここで登場している)友人からのメールで、このブログのURLがいろいろな掲示板に貼り付けれているということを知った。

ひょっとすると、そっちの効果の方が大きいのかもしれない・・・と思い始めているところだ。

自分でも2ちゃんねるのジュセリーノや予言関連のスレをずっと見てみたのだが、たしかに http://blog.livedoor.jp/akgoodco1224/ というこのブログのURLが貼り付けられていたのを見つけることが出来た。自分の文章が引用されている個所もあった。

それに関しては、きっとそれをした人は良かれと思ってしてくれたのだろうから感謝している。特に文脈その他の改竄をされていない限り歓迎すべきことなのではないかと思っている。それが、この「ジュセリーノの予言」騒動を鎮静化させる方向にもっているのであればだが。というかそうなるのではないかと確信した。

出来るのであれば(今自分は2ちゃんねるは読めるが書き込めない)このブログでよければご活用ください。

さて、話は変わる。当初二月発売予定となっていた『たま出版』から出るはずだったジュセリーノの本が「4月発売」になり、そして最近確認したところ「近日発売予定」になってしまっていた。

おそらくは、3月に東京で地震が来るのを待っているのであろう。
だとしたらアコギな商売を考えついたものだ。ゴンチチか。

まあ、これがどういうことかといえば、とりもなおさず当の『たま出版』自身が「ジュセリーノの予言」の内容・信憑性に自信が持てなくなってきたということなのではないだろうか?(TTさんからのご意見)
地震だけに。

流石に『三月、東京に大地震が来る!』というキャッチコピーが帯にデカデカとはいった本が4月になって書店に並んだら、それは単なるお笑いというよりも性質の悪いブラックジョークになってしまうだろうし。

でも、だからといって直接『たま出版』に電話して「いつ出るんですか?」などという問い合わせはしないほうがいいだろう。ダチョウ倶楽部の上島竜兵ならば絶対に止めるところだ。

念のためにもう一度書く。「絶対に『たま出版』に電話などしてはいけない」

それと、よく「ジュセリーノの予言は正しいと書いているようなブログに対する批判はここでは書かないのですか?」というようなことを言われるのだが、実は今までもそれをしようと思いながらもずっとためらっていた。まず、だいたいにしてだが、(8年前と同じで)そういうことを言ってみても無駄な連中ばかりばかりだからだ。

自分らの書いていることがいかに愚かしく恥ずかしいことなのかという意識も反省もない人間ばかりなのだ。

本当ねぇ、幾つかは見て回ったけれど、「こんなこと書いててあとで後悔しないのかね?」といいたくなるようなものばかりで。

おそらくは、本業がらみでこのジュセリーノの予言なるものも取り込むような感じで利用しなければという一種の才覚のつもりなんだろうけれど、こんなものにのっかっていたんじゃ逆に本業のほうがヤバくなるのは目に見えてくるのだが。わからないか。

なんにしても、こういう人たちに批評を加える必要はいまのところはないと思っている。もしあるとすれば、彼等のほうが先に私のブログの内容に文句をつけてきたときでいいだろう。そのときのための準備だけはしている。まあそんなこと起きないほうがいいに決っているのだが・・・。これはマジでそう思っている。




[註]09年5月段階ですべてのトラックバックをストップしている。理由はここで書いているのとほとんど同じだからだ。

2007年3月1日木曜日

070301 ジュセリーノ予言の嘘(携帯用)

 
■「ジュセリーノの予言はニセモノである」自分がこのブログで書いてから早くも一年が過ぎた。その間いろいろなことがあったが、結局のところ皆さんもよくご存知のとおりで、ジュセリーノが事前に発表した予言に関していえばそのほとんどが外れている。■日付までも正確に当っている予言は、事件や事故が起きたあとで「実は自分はこの事件・事故を予知していた」として発表する「公証役場に届けたという手紙」に書かれていることしかないのだ。■しかも、ジュセリーノが出してきた公証役場に届けたという手紙に関して言えば、「ジュセリーノが発表したものと公証役場に届けたものとは本当に同じ文面なのか」という点についてはブラジルでも相当以前から疑問視されており、現実に、「貼り付けたスタンプシールの上からタイプライターで加筆されているもの」が見つかったりと、ブラジルではジュセリーノのしていることに対する信頼性というものは著しく低下している。■決定的だったのは、2007年の1月にインドネシア領空で起きた飛行機事故に関する「予言」をジュセリーノが事故後に発表したときであった。ジュセリーノはこの旅客飛行機が「島の山中に墜落して、生存者がいる」という予知の手紙を公表した。ジュセリーノはこの警告の手紙を事故のはるか以前にインドネシアにあるラジオ局に送った、そしてそれは的中したのだといってこの手紙を公表したのだ。しかし、この飛行機事故の詳細について言うのであれば、ジュセリーノの公表した予言は大外れであったのである。なんとその旅客機は山にではなく海に墜落しており、生存者はまったくいない。つまり最初に流れた事故の第一報は誤報だったのだ。つまりジュセリーノの予言は外れただけではない。ジュセリーノは事故後に流れた事故の第一報そのままの予言を発表してしかも「自分の予言は当った」といってしまったということになる。■何のためにジュセリーノはそんなことをしなければならなかったのだろうか。ジュセリーノはよりによって自分自身の手で自分の予言というものの信頼性を貶(おとし)めるような真似をしたのかだ。■その答えはひとつしかないだろう。ジュセリーノがニセモノの予言者でしかないということだ。これこそ、彼が「当ったのだ」といって事件事故後に出して来る「予知による警告の手紙」というものが実は事件事故後に捏造されたものだという大きな証拠だ。■問題なのは、実はジュセリーノの予言がニセモノだということよりも、もっと別のところにある。ジュセリーノがニセモノの予言者であることを知ってなのかはともかく、ジュセリーノのことを「本物の予言者である」と紹介した本・雑誌・テレビ番組がこの日本にあふれかえったことだ。■特に、このジュセリーノの本を出版した「たま出版」と社長韮澤潤一郎(敬称略)の罪は重い。韮澤潤一郎はその本の中で「ジュセリーノが予言したインドネシアの飛行機事故は的中した」と書いている。もちろん真っ赤な嘘である。事故の様相はジュセリーノが予言したのとはまったく違っていた。山にではなく海に墜落したのであって、しかも生存者はゼロであった。■さらに2007年11月25日のジュセリーノによる地震の予言というものを捻じ曲げて公表するなど、韮澤潤一郎という人間はジュセリーノの名前を使っては嘘をつきまくっているのだ。■問題が深刻なのは、にも関わらず、このジュセリーノを特集した番組をオンエアしたテレビ局がふたつもあったということだろう。(2007年9月25日・12月21日の日本テレビ系/2008年2月12日のテレビ東京系)■その全ての番組が「ジュセリーノの予言は当った」というスタンスで作られており、まるで「その証拠があるのだ」というようなことまでも放映されていた。■しかし実際にはこのブログ上で自分がすべて看破したとおりで、その全てが底の浅いトリックである。そのテレビ局が持ち出してきた「証拠」なんてものはただのトリックにしか過ぎないし、「ジュセリーノが本当に事前に本物の予知をしていたのだ」という証拠にはなってない。むしろその逆で、ジュセリーノによる「予言の手紙」というものが後から捏造されたものでしかないということを証明するようなものになっていた。■つまり、これらのテレビ局は視聴者を騙す内容の番組を放送したということだ。■自分が憂いを抱くとすればこの点である。日本のテレビマスコミの堕落というものを象徴するような出来事だからである。「テレビ局は嘘をつくものである」という、ここ数年喧(かまびす)しく言われている問題がちっとも改善されていないことを図らずも露呈したからだ。■その後、そのテレビ局が「ジュセリーノの予言」について、なんだかのかたちで訂正事項であるとかを公表したとかの話はまったく聞かない。■今、「予言者ジュセリーノ騒動」というものは終息の方向に向っているということは言えるだろう。いろいろな面で自分はそれを感じることが出来る。■だからといってそれでメデタシメデタシというわけにはいかないだろう。このようなマスコミの捏造によって仕立て上げられる「予言者」はおそらくはこれからも登場するのだろう。第二第三のジュセリーノが登場するその芽というものは残っているからだ。■ジュセリーノの予言で不安になったという人は確実に存在する。本来不必要な、あってはならない不安を与えられてしまった犠牲者である。■そのようなことをするテレビ出版社などのマスコミが相も変わらずなくならないというのであれば、誰かがそれを阻止しなければならない。たとえその力が微々たるものだとしてもだ。ひとりでもふたりでもそういう人が増えることを切に願っている自分である。(2008.04.06)

※以下の記事は07年03月01日のものです。

■ブラジル人の自称予言者「ジュセリーノ」という人が、「3月に東京で大きな地震がありパニックになる」という予言をしていることが話題になっています。■この予言は本物なのでしょうか?本当に3月に東京に大地震はあるのだろうか?と心配をしている人は多いと思います。■結論から言いますと、「3月に東京に大地震が来るかどうか」は誰にもわからないことですし、ジュセリーノは予言者とは言えません。■日本は地震の多い国です。世界中で起きている地震の約10%近くが日本列島のどこかで起きているといわれるくらいの「地震大国」ですので、3月に東京で大地震が起きる可能性は誰にも否定は出来ないと思います。■ですが、重要な事実としてこれを書きますが、実は「ジュセリーノ」は昨年二度「日本には大きな地震が来る」という予言(5月と8月)をしていましたが、そのふたつの予言は外れています。それ以外にもむしろ彼が口にした予言は大半が外れています。■ですから、もし仮に3月に東京に大地震があったとしても、決してそれは「ジュセリーノ」の予言が当ったというよりも確率的にそうなった、ということでしかありません。■しかし、だからといってもちろん「3月中に東京に大きな地震」がこなかったからといって安心していい、ということにはならないと思います。■予言としてではなく、「東京・南関東地方にはいずれ大地震が来るであろう」ということは多くの地質学者が警報として口にしていることだからです。■重要なのは、こういう悪質なデマには惑わされずに「もし今大地震が来たならばどうすべきなのか」という冷静な対処法を常に心の中に持ちつづけることなのではないでしょうか。■たとえば、今このサイトを「電車の中で見ている」という人もいるかと思います。ひょっとすると地下鉄の中で~という人もいるかもしれません。実は、地下というのは大地震の際には「最も安全な場所」といわれています。しかし、もしかすると地震の際には車内が真暗になるかもしれません。そのときに重要な事は、決して慌てずに落ち着いてその場を動かない事だといわれています。パニック状態になり出口に押し寄せたりするとそれがもとで怪我や死亡事故になりかねないからです。■むしろ心配なのは、地震そのものよりも、そういうパニックによる二次災害のほうです。そして、それはみんなの努力で最小限にも、ひょっとして限りなく0に近づけることもできるのだ、ということだけは常に心のどこかに覚え留めてほしいものだと思います。■さて、ジュセリーノの予言の嘘についてはこのHPにその証拠がいくつも書かれています。それは私ひとりが集めたりしたものではありません。数多くの人の協力で書かれたものです。そのほとんどが誰でも「なーんだ」とすぐにわかることです。■本当に恐ろしいことは「予言は起きるものだ」と盲信してしまったり、根拠のないウワサをそのまま真実だと勘違いしてしまうことなのです。■もし、私が書いていることがまだ納得出来ないでいるという方には、初めて「ジュセリーノの予言」をテレビで紹介したテレビ局に直接電話をして確かめることをお勧めいたします。■すでに何人もの方が試して実証されていることですが、その「テレビ局」は昨年12月30日に放送になった番組を「バラエティ番組」として作っており、決して「報道番組」でもなければ「情報番組」でもなく一種のフィクションとしてオンエアした、と答えています。■「テレビでやっていたから~」とジュセリーノの予言を信じていた方もいるでしょうが、でも、テレビが必ずしも本当の事ばかりをやるのではないということは、毎日のように報道されているとおりです。■また、そのテレビ番組の中で「ジュセリーノの予言」を日本に紹介した韮沢潤一郎さんの「たま出版」という会社は東京の新宿にその本社がありますが、3月中も普段と変わりのない業務を行なうのだそうです。つまり彼等もジュセリーノの言った「3月に東京で大地震が起きる」なんて予言は信じていないからでしょうね。おかしな話だと思いませんか?

【追加】■さて、3月の25日、石川県の能登地方を中心としたものすごく大きな地震が起きました。この地震とジュセリーノの予言を結びつけて語る人が多いのだそうです。■今回能登で起きた大地震の被害の大きさについては言うまでもありません。お亡くなりになった方もいます。なのにもかかわらず、まるで一種のゲームのようにして、「予言が当った」だとか「外れた」とか語ること自体が不謹慎なことなのだということは肝に銘じていただきたいものだと思います。自分もこのことだけは念頭に置いて以下のことを付け加えます。■能登の大地震とジュセリーノの予言を結びつけること、これはものすごくおかしななことです。もし本当にジュセリーノが的中率90%の予言者なのであれば(インドシナ大津浪や阪神淡路大震災と同じように)ちゃんと「石川県」であるとかせめて「日本悔側」とか場所を特定したような予言をしていなければ当ったことにもなりませんし、過去ジュセリーノ自身が「当ててきた」と断言してきた数々の予言も疑いの目で見られてもしかたのないことでしょう。■ですので、もし仮にジュセリーノの口から、能登の大地震と「3月東京で大きな地震が起きる」という自分の予言を結びつけるような発言をしたのならば、それはそのときはジュセリーノが自分で自分のことを駄目予言者だと認めてしまうことになってしまいます。■また、能登の大地震と「3月東京で大地震」という予言とがまったく関係のないものだと発言したのならば、そのときはふたつの大きな天災に関する予言を外したということにもなります。つまり東京の大地震を外したことと、能登の大地震を当てられなかったというふたつです。どっちにしてもジュセリーノは予言者としては役立たずだということを立証してしまうことになってしまうのです。■ですから、ジュセリーノに対しては、自らの予言者としての能力のなさというものを自覚していただき、少なくともこれからは日本での地震とか天災に関する予言だけは口をつぐんでいただきたいと思うのです。迷惑なだけですからね。(4月8日)■もし機会があればパソコンでこのブログの残りのページを一度じっくりと読んでいただければ幸いです。(かまたあきよし) 続き(ジュセリーノの予言の嘘 携帯用その2)を読む

メールはこちらまで
akgoodco1224@gmail.com

070301 ジュセリーノの予言の嘘6 ネットで予言の流布をする人たち(2)

【ジュセリーノ予言の真実 0301】 ジュセリーノの予言の嘘6 ネットで予言の流布をする人たち(2)

前の記事からのつづき

一時期減っていたメールがここ二日でまたぐぐっと増えてきた。本文中にメールフォームを埋め込んだ効果だと思われる。

以前よりもどちらかというと(自分のこのブログに対して)批判的なものが目に見えて増えてきたか。
それはそれで良い傾向かと。そういう人たちにも直接語りかけることが必要かと思っていたからだ。

メールフォームを埋め込んでメールをしやすくしたということに対しては、ちょっと前から「どうせメアドを出すならメールソフトが起動しやすくするようにフォーム化しちゃえば?」というようなメールやアドバイスは来ていた。

手順を踏ませていただいたのだ。今だから言うけど、迷惑メールが凄かった。一日に平均すると100通は来ていたか。これはしかたがない側面がある。閲覧者の数が増えるということはそういうことでもある。覚悟はしていた。しかしその迷惑メールほとんどのドメインがヤフーのものなのだ。90%がそうだった。いや95%か。まるでジュセリーノの予言の的中率である。(笑)

そんな状態でさらにメールフォームを埋め込んだりしたら迷惑メールの数だけがうなぎのように増えてゆき、とてもじゃないが捌きれなくなることは目に見えていたので先にヤフーのドメインのメールをすべてカットするという手順を踏ませていただいたのだ。何人かの人にはご迷惑をおかけしたが。しかし「背に腹はかえられない」というやつで。
まあ、「うなぎようにふえてゆく」なんて言い方は日本語にはないが。それをいうなら「うなぎのぼりに増えてゆく」だ。

しかしヤフーのドメインって100種類くらいはあるのだろうか?すごいね。改めて感心させられた。

でその今まであまり目にすることのなかった自分に対する批判のメールを読ませていただいて感じる事なのであるが。

「予言を信じる」ということと、「それを人に対して伝える」というこのふたつのことの間には本来ならば大きな隔たりがある。

自分が信じていることを他人にも信じてもらいたいというのであれば、そこになんだかの信じるに足りる証拠であるとか確証があるはず。というかなければならないはずなのだが。

ジュセリーノの予言というものを信じ、ジュセリーノの予言をネットのブログに書き込んだりしている人のその確証とはいったいなんなのだろう。それを改めて感じたのだ。


8年前に出版されたある本の中で、ネットで「ノストラダムスの予言は当る。人類は滅びる」などと真剣に書き込んでいる人たちを以下のように分類していた。

1:宗教 2:世の中に対する不満 3:滅亡主義者・破壊主義者 4:予言主義者 5:その他

また、別に予言は信じていないにもかかわらず、利益のためにこういう予言を利用している人たちもいるとして、

1:不安ビジネス(宗教・占い・マスコミを含む) 2:政治利用 3:金融・為替・株価・地価の操作 4:日本人の心を惑わす陰謀説(いるのか?) 5:その他
この図式はいまでも尚もそのまま「ジュセリーノの予言」にも当てはまっているといえるであろう。残念なことだが。まあ、日本を惑わす陰謀があるかどうかは知らんが。


さて、ピノさんという方から以下のような内容のメールを頂いた。同様の内容のメールが何通か届いている。

要約するとこうなる。

「科学の進歩はついにこの地球から全ての生物が生存できなくなるところまでにしてしまいました。ジュセリーノ先生は 非常に真面目で敬虔なクリスチャンです。先生は人類の将来を案じて警告として自分が神から与えられた役割としてこのような予言をしています。残念なことに人類は自分達の愚かしさに気がついておらず、破滅への道を辿っているのだとだと思われます。かまたさんがなさっていること(ジュセリーノ批判のことかと思われる)は結果としてそういう人類の破滅を速めることになるのであって、決して人類ためになっているとは思えないのです。」

残念だが、このピノさんは大きな誤謬を犯している。まず、第一に間違った予言はキリスト教においては禁じられているということ。(ピノさんはキリスト教徒ではないのではないか?)もしジュセリーノが本当に真面目なクリスチャンであるのなら、決してこのような予言は口にはしないであろう。

科学の進歩(だけ)が人類を破滅に向かわせているのかどうかは知らないが、少なくとも、過去人類の歴史の中で宗教が人類を救ったことなど一度もなかった、ということである。逆はいくらでもある。宗教の対立というものがどれだけ世界に不安を撒き散らしているかなんていくらでもあるだろう。この世にある宗教は決してキリスト教だけではない。そのことを抜かして世界の平和であるとかを語ってははならないと思う。

自分のしていることが人類のためになるかならないかはわからない。(だいたい、そんな大袈裟な話じゃないし)しかし、このような予言が流布するということは決して人の心に対して良い影響を及ぼすとは思えない。

現実、自分のところにはこのジュセリーノの予言を知ってから不安でしかたがなかった、という人がいて、そのうちの何十人もが自分のこのブログを読んで、「安心した」「心の落ち着きを取り戻した」と書いてきているのである。

どちらを取るかだ。今、目の前にいる(ヴァーチャルな意味でだが)人の心を救うのは、自分のような予言否定なのか、それとも(ピノさんのような)宗教なのかだ。自分は前者のほうが正しいと思っている。自分が大切にしなければならないのはこうしてメールを送ってきてくれた人たちのほうだ。

もしジュセリーノがピノさんの言うとおりに本当に「敬虔なクリスチャン」であったとしても、それが人の心を救わないのならば、その口から出たものは絶対に認めてはいけない、そう思うのである。

そこにいる、不安に怯えている人を救うものは「大丈夫だよ。あれは贋物だから」という言葉と説明であって、「神様があなたを守るから」なんて言葉は空手形に過ぎない。少なくとも、本当に神を信じている人が口にすべき言葉ではない、というのが私のスタンスです。

(この項終了)


最終校正日 2007.06.28

【追記】
世の中にはわけのわからない人間というのはなんぼでもおるわなぁ、というようなことをつくづく感じさせられたこととなった。

ジュセリーノの予言というものを肯定的に捉えてそれを世の中に広めることに一生懸命な人たちが確実に存在するのだということを教えられたからである。

別にこのような滅亡の予言というものはジュセリーノの予言だけではない。昔からいっぱいあったし今でもいくつもある。「アセンション」であるとか「波動」もそうなのであろう。「このままでは人類は滅亡するのは必至だから今からそれに備えて自分自身の変革をしなければならないと訴える「波動」もまたやはり滅亡の予言のひとつと捉えるべきなのである。(基礎部分がキリスト教からの借用であるから当然といえば当然である)

そしてこれからも同じような滅亡の予言を口にするものは後を絶たないことであろう。その形がかわるだけで本質は変わらない。そういうことなのであると思っている。

また、実際に「滅亡の予言とは心の癒しである」というようなことをメールなどで書いてくる人たちもあとを絶たないようであるがこれだって実はものすごく迷惑な話なのである。

さて、その中でひとつだけメールを紹介する。以前(このブログがジュセリーノの予言というものに特化するよりもずっと前のことだ)何度かメールを寄越した人である。

彼自身はジュセリーノに対してはものすごく覚めた目でみている。ある意味滅亡の予言のプロ(笑)であるからそういうものを見る目は厳しいということであろう。はっきりとあれはニセモノだと言い切っている。そんなもの(一目嘘が見破られるような浅はかな予言)では役に立たないということらしい。

(前略)社会不適合の烙印を押された人間または勝手に自分で自分にそのような決め付けをとったものにとってノストラダムスのような滅亡の予言は快いものだしそういう未来を夢想することで自分の心の均衡と平成を保つことができるというのは自分の中では紛れもない事実なので誰もそれを奪う自由はないということです。わたしはそのような予言にもって毎日をやっと生き長らえているといってもいい。(中略)でもそんな自分にはジュセリーノ予言はなんの癒しにもならないしそれは彼の的中した予言がその鮮やかさがうそ臭くみえてしまうというところにある。(中略)嘘はいけないのです。嘘予言は!嘘の予言は癒しにはならない。喉につかえるトゲのようなものだ。自分がかまたさんにこのようなお手紙をするというのも面妖なことだが(中略)私はこの件に関しては貴殿のブログ活動を支持しています。(後略)

滅亡の予言というものが人に生きてゆく希望を与えるというのはおかしなはなしである。なにかが大きなところで間違っているとしかいいようがないではないか。

しかし、たとえばそれ(滅亡の予言が希望になるということ)が本当だとしてもだ、その予言が嘘で塗り固められていたりしてはいけないだろうし、そういうものを塗布して誤魔化して嘘の部分をないことにして世間に広めるというのはやはり犯罪的な行為なのである。

それに、もし救いを求めるというのであればそれはなにもジュセリーノの予言でなくてもよいということになる。「他の滅亡の予言」でも構わないはずだ。というよりもはっきり言えばそのメールを寄越した彼みたいに、嘘に気がついた時点でジュセリーノ予言というものを(自分の心の均衡維持のために)消し去りたいと願うという心の動きのほうがそれでも理にはかなっていると思うのだが。

こうまでジュセリーノ予言にすがる人が多いということはこのような予言の素人ばかりが増えてきたということなのであろうか。自分が嘆いたりすることではないのであるが。

(校正日 2007.07.08~07.11の間)