2007年3月2日金曜日

070302 その1 コメント欄に対する要望その他

【ジュセリーノ予言の真実 070302】 その1

コメントに関する問い合わせというかクレームが何件かきている。「全て公開にしろ!」という強い口調のものから、「早く公開して欲しい」というものまで様々だが。

残念だが、すぐにはご期待には添えない。自分にとって都合の悪いものがあるということではない。とりあえずコメントに返事が出来るころになったら順次公開してゆくつもりである。特に、長めのコメントに関してはどう答えてわからないものが多く、かといってこちらで勝手に編集したり手を加えたりするわけにも行かないのでかなり慎重になっています。

いましばらくお待ちを。また、コメントというよりも「トラックバック」に近いものもときどき寄せられてきますが、そういうものは掲載はいたしません。改めてトラックにてご投稿ください。(註)

さて、自分はこの自分のブログが多くの人の目に触れるということが良いことだと思っている。というかそういう方向に絞って特化した内容にしているつもりだ。

先月二月の後半から訪問者数が一度グンという感じで上がった。自分はそれは検索エンジンやポータルで上位に来たころと一致していたので単純にその効果だと位置付けていたのだが、先日(度々ここで登場している)友人からのメールで、このブログのURLがいろいろな掲示板に貼り付けれているということを知った。

ひょっとすると、そっちの効果の方が大きいのかもしれない・・・と思い始めているところだ。

自分でも2ちゃんねるのジュセリーノや予言関連のスレをずっと見てみたのだが、たしかに http://blog.livedoor.jp/akgoodco1224/ というこのブログのURLが貼り付けられていたのを見つけることが出来た。自分の文章が引用されている個所もあった。

それに関しては、きっとそれをした人は良かれと思ってしてくれたのだろうから感謝している。特に文脈その他の改竄をされていない限り歓迎すべきことなのではないかと思っている。それが、この「ジュセリーノの予言」騒動を鎮静化させる方向にもっているのであればだが。というかそうなるのではないかと確信した。

出来るのであれば(今自分は2ちゃんねるは読めるが書き込めない)このブログでよければご活用ください。

さて、話は変わる。当初二月発売予定となっていた『たま出版』から出るはずだったジュセリーノの本が「4月発売」になり、そして最近確認したところ「近日発売予定」になってしまっていた。

おそらくは、3月に東京で地震が来るのを待っているのであろう。
だとしたらアコギな商売を考えついたものだ。ゴンチチか。

まあ、これがどういうことかといえば、とりもなおさず当の『たま出版』自身が「ジュセリーノの予言」の内容・信憑性に自信が持てなくなってきたということなのではないだろうか?(TTさんからのご意見)
地震だけに。

流石に『三月、東京に大地震が来る!』というキャッチコピーが帯にデカデカとはいった本が4月になって書店に並んだら、それは単なるお笑いというよりも性質の悪いブラックジョークになってしまうだろうし。

でも、だからといって直接『たま出版』に電話して「いつ出るんですか?」などという問い合わせはしないほうがいいだろう。ダチョウ倶楽部の上島竜兵ならば絶対に止めるところだ。

念のためにもう一度書く。「絶対に『たま出版』に電話などしてはいけない」

それと、よく「ジュセリーノの予言は正しいと書いているようなブログに対する批判はここでは書かないのですか?」というようなことを言われるのだが、実は今までもそれをしようと思いながらもずっとためらっていた。まず、だいたいにしてだが、(8年前と同じで)そういうことを言ってみても無駄な連中ばかりばかりだからだ。

自分らの書いていることがいかに愚かしく恥ずかしいことなのかという意識も反省もない人間ばかりなのだ。

本当ねぇ、幾つかは見て回ったけれど、「こんなこと書いててあとで後悔しないのかね?」といいたくなるようなものばかりで。

おそらくは、本業がらみでこのジュセリーノの予言なるものも取り込むような感じで利用しなければという一種の才覚のつもりなんだろうけれど、こんなものにのっかっていたんじゃ逆に本業のほうがヤバくなるのは目に見えてくるのだが。わからないか。

なんにしても、こういう人たちに批評を加える必要はいまのところはないと思っている。もしあるとすれば、彼等のほうが先に私のブログの内容に文句をつけてきたときでいいだろう。そのときのための準備だけはしている。まあそんなこと起きないほうがいいに決っているのだが・・・。これはマジでそう思っている。




[註]09年5月段階ですべてのトラックバックをストップしている。理由はここで書いているのとほとんど同じだからだ。