【ジュセリーノ予言の真実 0320】 フォトンベルト・その他
すこし前に、「フォトンベルト」であるとか「アセンション」とかいわゆる「2012年人類滅亡説」を唱えているブログのことについて軽く触れた。
ネットでジュセリーノの予言について見て行くと、こういう「2012年人類滅亡」について書いているブログにぶち当たる。
また、けっこう多くの人たちからそういうメールが来ている。
最近、またこの「2012年人類滅亡説についてどう思うか?」みたいなメールとかコメントの書き込みが増えてきた感じがするのだ。
はっきり言って自分はこのことに関してはよくはわからない。自分はこのことに関しては、はっきり言えば素人でしかないし、これについてちゃんと答えられる人はほかに幾らでもいるだろう。
もっとも、この「2012年人類滅亡説」というもの、別に最近言われ出したことではない。
けっこう前から(特に1999年7月を過ぎたあたりから)世間に流布していた。でこれはあくまで自分の記憶だが。
そもそも、この「2012年人類滅亡説」の根拠は「マヤ暦」だったはずだ。
そして、それに乗っかかるような形で割と最近に言われだしているのが「フォトンベルト突入説」なのではないか。
だから、本来ならばこのふたつは別けて考えなければならないもののはずだ。違うか?
で、まずはフォトンベルト突入のほうだが。
まあ、この説もよく考えれば(というか良く考えなくとも)実にばかばかしいホラ話に過ぎない。「突然ブラックホールに地球(太陽系そのものがだが)が吸い込まれてしまう」という話のほうがまだリアリティが感じられるくらいである。
まずはっきりといっておくが、この宇宙のどこにもフォトンベルトなるものは確認されていない。見つかってもいないし、普通の科学者でこの「フォトンベルト突入説」を支持しているひとはひとりもいない。
まして、そういうものが帯状になっている個所に地球が突入してまるで電子レンジの中みたいになって(笑)とかなるともうこれはSFとしても出来は良くない。
そんなことを心配するのは、たとえて言うのならば「高層ビルのマンション住んでいる人が窓からバイクが数十台飛び込んで来て部屋の中を滅茶苦茶にされるんではないか」というのと同じかそれ以上の杞憂というものだ。
心配するならもっとほかのことを心配したほうがいい。
たんなる仮説としてもだ。もし仮にそんなものが存在していたとしても(人類側の都合にあわせたかのように)「20××年に地球が突入する」とか時間的な計測なんてできるわけがないのであって、もし「5年後の2012年に突入する」とか真面目な顔して説く人間が目の前に現れたらそのときは「今度はいつ予定を変えるの?」とあらかじめ聞いておいたほうがいいだろう。
というのも、このフォトンベルト突入説、最初に登場したのが確か(これも自分の記憶だが)1980年代の終わりころで、それからときどき「延期」しているからだ。
しかも何故かいつも「5年後」あたりに再設定されている。
このへん、ノストラダムスの1999年人類滅亡説が騒がれはじめた時期が1994年あたりだったこととあわせて考えてみると非常に興味深いものがある。
オウム真理教の布教の内容が急変して、活動そのものも終末思想の実現に動きだしたのもだいたいこのころだった。(オカルトとカルトの連動というものを説明するのに非常に興味深い例だ)
そして今回はたまたま前からあった「2012年人類滅亡説」と重なって、まるで「多くの予言者や(疑似)科学者が同じようなことを言っている」ように見えてしまっているだけなのである。
「三丁目の平日」さん、「コウジ」さん、「男爵夫人」さん、「ぬこみみ」さん、「YUKA1348」さん、「EGKYUWS」さん、「CD1号」さん、「フラウ」さん、「麗」さん、「市川ママ」さん、その他無記名の方々、それとコメントで寄越した「びんで~」さん、「おっとっと」さん、「りの」さん、その他のみなさん、自分はそういうことだと思っています。
そしてこれは「3月も半ばになって、ジュセリーノの予言肯定派の勢いがなくなって来た」という感覚は正しいんだろうなという証左として自分は捉えている。
2012年人類滅亡説もそうだと思う。
これについてはもう少し本腰を入れて、いろいろな本を読んだり関係者から話を聞くとかしないと本格的な反論であるとか否定論は吐けないとは思っている。
マヤ暦とかちょっと素人にはわかりかねるものばかりだからだ。
だが、今の段階でもはっきりと言えることはある。「2013年になるまでは多少は信じてあげよう」ということだ。可能性的にはまったくのゼロというわけではないわけだし。
しかし、あわせて2012年滅亡説を唱えている人には論破しなければならない論敵は山のように沢山いるぞということだけは言っておかなければならないだろう。
まず彼ら全員を説き伏せて(論理的に納得させてから)改めて世間に対してこういう滅亡説を唱えたほうがよくはないかということを思っている。
その論敵とは「2008年人類滅亡説」を唱えている人々から始まって、「2009年人類滅亡説」「2010年人類滅亡説」「2011年人類滅亡説」を唱えている人々のことだ。いるんだから、実際に(笑)。
そう毎年毎年人類が滅亡するはずもないので、このうちひとつを残してあとの残り全部は嘘を言っていることにもなるわけで、そういう意味で早急に議論の必要があるはず。まずそれをやっておいてほしい。
こういう人たちは「2012年滅亡説」とは根本的な部分から違うことを唱えている考え方の持ち主なわけで、こういう人たちは「2012年説」をとる人とは決して仲間ではなくて、思想的・論理的には徹底的に議論をしなければならない「論敵」だろう。
まず彼らと議論を交わす必要があるはずだ。
「2008年派」すらすると「2012年派」なんて「ものすごく楽観的なことを言っている連中」ということになるはずだろう。
いってしまえば「人類滅亡派」によるプレイオフである。
そして、2012年になった段階で(もっと前からでもいいが)改めて2013年滅亡説などを唱えている人たちと戦えばいい。たとえ議論が長引いて2013年以降になろうとも(笑)。
そのときに2012年人類滅亡説については真剣に考えてあげようと思うのだ。かわいそうだし。
本来ならば自分等のような「人類はそうすぐには滅亡しないよ」派は、そういったプレイオフを勝ち抜いて来たひとつとだけと議論をすればいいはずなのだ。
毎年毎年 糞みたいな「人類滅亡の予言」と議論しててもしょうがねーよ、という軽い怒りみたいなものが自分にこんなことを言わせる。