2007年3月6日火曜日

070306 2007年3月の予言の部分(2)

なんか、最近はメールやコメントで「必死すぎてイタいですよ」とか書いてくる人が目立つ。さっきも2ちゃんねるを見たらそう書かれていた。2ちゃんで名指しでそう書かれたのは初めてか。ある意味記念にはなるな。喜んでる場合じゃないか。

自分でもそのくらいは承知である。今の自分は必死すぎてイタい、確かに。
いつもの自分が今の自分を見たらきっとそう思うだろう。

ていうか別にそういう反応は全然気にしてないので、必要と思う方は遠慮せずにどんどん引用なりなんなりして下さい。むしろお願いします。荒らしとかもある程度は覚悟というか想定してますので。

ま、とにかくジュセリーノの予言の嘘が徹底的に暴かれて、それを利用して信者を獲得しようだとかお金儲けをしようとかを企んでいる連中が胡散するまでです。

あるいはこういう反証ブログの数がどんどん増えてゆくのを期待しているわけです。

そのときは2ヶ月前と同じような深海ブログに戻すつもりですし。


さて本題。つづきです。


B) Ze Donitinho(Praca e Nossa) podera passar mal e ter problemas de saude(inicio...) Ha grande risco de vida...

今まで、ネットを巡回して、この(予言の)部分について触れている日本のブログはあるかと調べてみた。が、ひとつとして見当たらない。やはり3月の予言でもこの部分には触れられなかったか。

自分もこれに関しては飛ばしてしまおうとか思った。

「プラシャエノッサ?」に属する「ゼ・ドニチーニョ?」という人物に関する悪い予言であることはずっと前からうっすらとはわかっていたのだが・・・

Ze Donitinhoという人に何か見逃せない問題が起きて重大な命の危機(grande risco de vida)が起きるという予言だということぐらいは(ポルトガル語の読めない)自分にもなんとなくうっすらとははわかったのだが、しかし、そのZe Donitinhoなる人物が誰のことなのかさっぱりわからないのだ。

ネットで検索しても全然でてこない。「政治家じゃなさそうだし・・・、」とか考えていたら
NSさんからのメールでやっとすべてが氷解した。やはりこういうことはブラジル人でないとわからないことだ。いくら翻訳サイトで調べても正しい訳にはならないのだろうなぁ。

該当するHPもあってまず間違いはなさそうだった。

日本人には全然関係のない(世界的に見ても意味のない)予言なので申し訳ないがここではパスさせていただきます。

「ブラジル人にとってはとてもたいせつなことです」
NSさんがそう書いて寄越した。ブラジル人にとってはとても関心のある予言らしい。

というか、この「予言」の持つ意味について書くと、それこそとても長くなりそうなので後回しにしたい。とりあえず別のブログのほうには訳ぐらいは書いておきますけど。


つぎに、例の問題の日本の地震に関する部分である。


C) Terremoto no Japao em Toquio,provocara panico;
(日本の東京で地震、パニックになる)


シンプルでいいのだが、この予言も訳のしかたによっては

(日本で地震があり、パニックになる〖日本の中心の〗東京)と読めなくもないのだそうだ。(註)

これでは東京に(大)地震がなくとも日本のどこかで大地震があれば(東京では騒ぎになるであろうから)予言は当ったということにもなりかねないので用心したほうがいい、とのこと。

日本には、どうにかこじつけてでも「ジュセリーノの予言が当った」ということにしてしまいたいという人たちがわんさかといるということだけは確かだ。

そんな人たちにこういう拡大解釈のヒントを与えてしまうのもシャクなのだが、なにはともあれ先に言っておくとする。

Terremotoは地震のことだが、それだけで大きな地震という意味合いが強い。

というかフランスにしろ、スペインにしろラテン語圏内すべてがそうなのだが、もともと向こうには小さな地震というものが存在しない。

地震があればすなわちそれはドカングラグラという大きな直下型の地震であり、「地震」=建物は崩れ落ちる、くらいの意味で捉えている。
まあそれでTerre(大地)+ moto(動く)というのだろうが。

日本のように震度2程度のものが頻発することなど考えもしないだろうし、あえて「Terremoto grande」とか言わなくとも「Terremoto」だけでも震度4とか5クラスの大地震のことを意味すると思ってよいのだそうだ。

そしてそのジュセリーノは昨年二度にわたりその地震(Terremoto)が日本に起こると予言して二度とも外している。

あたりまえのことだが、地震の予言なんて何度もしていればそのうちにあたることだし、外せば外すほど次には当る確率だけがどんどんと上がってゆくだけだ。

たとえ3月に東京(あるいは日本のどこかで)でその(震度4クラスの)大地震が起きたとしても、それでは「ジュセリーノの予言」は当ったというよりも確率的にそうなった、というだけの話で、それと同時にジュセリーノがたいした予言者でないということもまた確かなことといえてしまうのだ。

まあだからここであえて言っておきたいことは、「ジュセリーノの予言は当る!」とか書いている人、もしこれを見ていたのなら、それは恥ずかしいことだからお止めなさい、ということなのだが。

自分のしていることも充分に恥ずかしいことではあるのだが。
果して来年、再来年もずっとそのままにしておいて恥ずかしいのはどっちなんだろう?ということです。


※註 普通のブラジル人の会話体としてはありうるというようなレベルでの話である。
「日本で地震が、東京がパニック」というニュアンスで訳しても間違いにはならないというようなくらいのことだということを言っている。東京=日本くらいの認識しかなければそういう言い方もあるのではないかということを教わった。しかしジュセリーノのほかの予言と較べてみれば一目瞭然なのだがジュセリーノは「日本」と「東京」を使い分けた予言をしている。あえてここでだけ「東京=日本」という「解釈」をするということは極めて不自然な話であって「予言が当った」ということにするためだけにこういう解釈を持ち出すことはあとあと自分の首を締めることになるだけだということを判っていない人が随分といるようである。

現実、お約束ともいえる事前予言が当ったときに必ず出して来るジュセリーノによる公証所届けの証明入りのものをこの件ではジュセリーノは出してこなかった。つまりジュセリーノ自身がこの予言は外れたと言っているようなものなのではないか。