2007年3月10日土曜日

070310 コメント欄に関すること(1)

 
【ジュセリーノ予言の真実 0310】 コメント欄に関すること(1) 

コメント欄のことであるが、今のところ開放のメドはまったくたっていない。

この件に関しては相当いろいろな意見を頂戴したのだが、なにぶん今全開放してしまうと管理がものすごいことになってしまい、それこそ本業に差し支えが出ることはほぼ間違いない。

実状をバラす。実は2週間前ほど前からメールの転送と、「コメント有り」を知らせる携帯の着信が昼も夜も鳴りっぱなしになったので携帯への通知はやめてしまったところなのである。

もちろん、コメント欄に書いている人の切実な思いであるとか、このブログを暖かく迎えていただいたものが多く、そういったものがこうやってひとつのことをやりつづけている自分にとっては大切な大切なモチベーションになってるのだが。

あくまでもこれは想定しておかなければならないことのひとつとしてなのだが、これからずっと上を目指すということは、この傾向がさらに強くなるということでもある。

もちろん覚悟の上ではじめたことではあるが。
そうねぇ、真面目なものが3だとすると、そうでないものが7くらいになってしまったのだ。
正直キツいっす。

ということで、とりあえず、2月末までの分のコメントに対する質問、批判、感想に対するお答えはここの本文中でまとめてさせていただきます。申し訳ない。

「まるむし」さん、「エビ」さん、「アクアン」さん、「ケン」さん(KENさんと同一人物だと思うのだが違っていたならごめんなさい)「JU-DEW」さんからの質問、というか確認。

「何故そこまで必死になってジュセリーノ叩きをするのですか?もっとはっきりとした証拠が出てくるまではジュセリーノを嘘つき呼ばわりするのは控えたほうがよくはないでしょうか?」というもの。

ある意味正論ではある。そういう意見が出てくることに関しては当然なのかなとも思う。

この他にも「もっとニュートラルな立場を貫いてジュセリーノの予言について分析するなり考察すべきではないか」という意見であるとか、もっときつい文面で「あなたのジュセリーノに対する批判は度を越していてみっともなく感じる。もっと冷静になって書きなさい」という意見も実は結構来ている。

それに対する答えは既に何度かここで書いている。このブログを最初(せめてジュセリーノの予言に関するところだけでいい)から読み返していただければ判ると思うが、何も最初からジュセリーノの予言そのものを嘘だとかインチキとか書いていたのではない。

その後、その都度ひとつひとつの事象に関しては詳細に検証してここに書いてきたとおりである。

自分のジュセリーノの予言に対する見方書き方がニュートラルでないとするのであれば、この世に遍く存在している「ジュセリーノの予言は本物!」とかのトーンで書かれているブログはどうなってしまうのであろう。そういうブログに対してこそ「ニュートラルでない」というような批判がされなければならないのではないか。

もし、贋物であるという証拠が出てくるまでは「本物の可能性もあるじゃないか」という立場でこのようなことを書いてきているのであるのならば、それはもう主義の違いというか、もっと根本的な次元での議論からはじめなければならないだろう。たとえば「この世に予言というものは必要なのかどうか」という議論とかである。

「ジュセリーノに対する批判は度を越している」という意見についてだが、自分はそうは思っていない。それはただ単に、自分のこのブログ以外にそういう「否定的なもの」がほとんどいないような状態がそう感じさせてしまうからではないのかと思っている。

掲示板などでコテハンでジュセリーノの予言に対する疑問や反証を書き込んでいる人がいる。ある意味そういう人たちの方が「まとも」な人たちであることはまちがいない。

「みっともない」とかはそれこそ感性の問題でしょう。それに、人に言われるまでもなく、今の自分が「必死すぎてイタい」状態であることぐらいはわかってるつもりだ。

「パラノイア(偏執症)的」と言われれば確かにそうなのだろう。なにせ最近の投稿記事欄を見るとズラッと「ジュセリーノ」というフレーズが溢れかえっているし。もうね、自分でも笑いたくなるときはありますよ。


次に、「どうせならまとめサイトみたいなものをWikiで作ればいいんじゃないの?」というご提案。こもっともです。参考にさせていただき、現在その方向で原稿とか書いています。

(つづく)