【ジュセリーノ予言の真実 0322】 3月の地震に関しての予想
まずは訂正から。たま出版から発売されるジュセリーノの本の発売日であるが、「3月20日」と書いてしまったが「30日」のようです。この記事を見て発売日を20日だと思い込んでて書店に買いに行ったという方がいてクレームのメールが来ました。申し訳ございませんでした。というか本音を言えば、~そんな本買うなよなぁ~なんだけど。まあしかたがない。素直にお詫び申し上げます。ここは。
30日発売ということは「3月東京大地震」というところを抜かして本にするということなのだろうか?
もし「3月中に大地震」がなかったことを考えると、本文中で「3月に東京で大地震がある」とか書いてあれば、その本は書店に並んだ時点で「ダメ予言本」になってしまうということだ。おそらくはその部分はカットするであろう。
しかし、不謹慎な発想だが、もし仮に3月中に東京で大地震があった場合、本の中にそのことに対する記述がなければ「予言を外した」ということにもなるのだが。
まあ、どういういいわけをしてくるかは大体わかっている。
「ジュセリーノに予言の最新版の確認を取れなかったのは残念なことだ。ひょっとしてジュセリーノは日本に関する3月の大きな予言をしている可能性は高い」とか言ってくるのである。このやり方でたま本(韮沢潤一郎氏)はずっと生きのびてきたといっても過言ではないからだ。
だとしたら発売日を30日にしたこと自体が大失敗でしたな。
伝え聞くところによると、ジュセリーノはアイルトン・セナだけでなく、ダイアナ妃、プレスリー、ビージーズ(モーリス・ギブのことか?)といった有名人の死をも予言していたという。それが今度出る本の中に書いてあるというのだ。よせばいいのに。
ジュセリーノはなんでこんなリスキーなことをするのであろう?
自分はジュセリーノの「アイルトン・セナの死は殺人である」という部分に対してすぐにその欺瞞を見破った。同様に世界的な有名人やその死について語れば、その知人や家族、あるいは熱心なファンからすぐにそのおかしな点を指摘されるだけなのだが。「事実と違っている」と。なんにしてもその本をそういう部分の興味だけで買うにはもうすでに色褪せてしまっているような気がする。
さて、在日ブラジル人のNSさんから久しぶりにメールを頂いた。
ジュセリーノはひょっとして北半球と南半球では季節が逆になっているのを忘れていて(知らずに)3月の予言として「イギリスに大熱波があって水不足になる」なんて予言をしてしまったのではないか?という疑問に対する彼女の意見が述べられていた。
NSさんによると「その可能性はものすごく高い」のだそうだ。その根拠というか理由も書かれていた。
例の「タイプの打ち間違い」に関することだ。ポルトガル語について詳しくわからないとなかなか理解しにくい部分のようだが、要するに、去年(2006年)の予言をよく見るとやはり「ヨーロッパ地方に関する予言の部分にはいくつもおかしなところがある」ということらしい。
ここで自分がそのことを書くには自分のポルトガル語の知識がなさすぎるのでこのことについてはじっくり確認してから後で書きたいと思っている。
追記
「ジュセリーノの2006年の予言」自体がすでに彼のHPからは削除されているのでその真偽については確証が取れ難いことのひとつなのであるが、2006年の予言の中に「10月にヨーロッパで大きな山火事がある」という予言があるらしいのだ。普通ならば考えられない。もしこれが春先ならばありえないこでもないのだが。ウィキペディアにもこの予言は載っているのだが、だからなのか勝手に「季節はずれの」と付け加えてあるのがなんともなところだ。ちなみに10月、ブラジルをはじめとする南米は春先、このような山火事がよく起きる季節である。だから考えられる可能性はやはり「ジュセリーノ、季節の反転のこと忘れててこんな予言をしたな」になるのだそうだ。(2007.04.21)
これもジュセリーノの予言の特徴のひとつなのだが、タイプ打ちした文章の中の固有名詞、特に地名が顕著なのだが小文字だけになっているものが非常に多い。古いポルトガル語には確かにそういう習慣はあるらしい。しかしブラジルのポルトガル語にはこのような習慣は継承されておらず普通に大文字で始まるのが当たり前になっていて、NSさんにしてもJYさんにしても「打ち間違いかもしれません。多すぎます。」と言っているのだ。(2007.05.26)
※改題しました 旧題は「新たなる疑問の浮上」
(※ 最終校正日 2007.08.01)